キッシンジャー100歳で死去 | 歴史ニュース総合案内

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 米中国交正常化が代表的事績とされるアメリカのヘンリー・キッシンジャー元国務長官が11月29日、コネティカット州で100歳で死去した。退任後は活発に言論人として活動したその外交は、国益を追求するものだった。

 ドイツでユダヤ系の家庭に生まれるが、ナチスの迫害を避けて15歳で米国に亡命。第二次大戦では欧州戦線の諜報部隊に従軍した。復学してハーヴァード大学で博士号を取り、ナポレオン後のヴィーン体制を安定した体制とした。

 研究が認められ、民主党のリンドン・ジョンソン政権で国務省顧問となり、共和党のリチャード・ニクソン政権とジェラルド・フォード政権で外交を担当。大統領補佐官としてニクソン訪中につながる極秘訪中やベトナム戦争から手を引くパリ和平協定の樹立に取り組み、1973年にノーベル平和賞を受賞した。この年に国務長官となり、ニクソンがウォーターゲート事件で退陣してからも1977年まで留任した。

 

 中国で今なお高く評価されているキッシンジャーだが、社会主義つながりでもチリではアウグスト・ピノチェト将軍によるアジェンデ政権への反共クーデターを支持。ソ連という敵の敵は味方という原理で中華人民共和国と修好したのは、米国の国益のためだった。ベトナムでも停戦までは更なる侵略を提起していたともされ、ヴィーン体制のメッテルニヒ外交に学んだ勢力均衡外交は冷戦下の権謀術数主義である。

 

 米中の対立が深まっているが、今の米国もまたロシアのウクライナ攻めを非難しても、イスラエルのパレスチナ・ガザ地区への激烈な攻撃は寧ろ後押ししている。民主主義と権威主義の戦いとか、人間の安全保障などといっても、外交は国益でもって動く。