行基の円形供養塔か | 歴史ニュース総合案内

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 奈良市の元興寺文化財研究所は5月20日、平城京の西方にある菅原遺跡で奈良時代の類例なき円形の建物跡を発掘したと発表した。立地から行基のための供養塔の可能性があり、文化財保存全国協議会らが現地保存に動き出した。

 丘の上の菅原遺跡は、「長岡院」という行基の建てた寺院の基壇部が1981年に確認された場所の北隣にある。住宅地建築に先立つ発掘調査で、16基の柱穴が同心円状(南北38.5m、東西36.4m)に出土した。南面の柱列雨落ち溝から8世紀中期の形式の軒平瓦が出土し、平城京の華やいだ時期の建物だったことが分かった。建物跡の北側からは、回廊の遺構もまた確認された。

 この柱穴からは円形の建物があったことが伺えるが、こうした「円堂建築」は供養塔に当たる。奈良時代に大陸由来の多宝塔のような円堂建築は珍しく、誰を供養したかとなると749年に亡くなった長岡院開基者の行基が第一候補となる。多くの寺を開いた伝承が全国に残る行基は、山裾の喜光寺で亡くなった。

 

 奈良県は現地保存も検討していたが折り合わず、最終的に発掘記録のみを保存することになった。対して、奈良歴史遺産市民ネットワークと文化財保存全国協議会は5月24日、現地保存を求める連名の要望書を奈良市や開発業者の三都住建に提出した。

 

復元図(発掘報告から)