専制を非難されるナポレオン没後200年 | 歴史ニュース総合案内

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 ナポレオン・ボナパルトが流刑先のセント・ヘレナ島で死去してから5月5日で200周年を迎え、フランス政府の式典がナポレオンの墓のあるパリのアンヴァリッド・ドーム教会で開かれた。エマニュエル・マクロン大統領は演説でその功績を称える一方、奴隷制の容認は啓蒙精神への裏切りだったと批判した。

 

 恐怖支配に陥ったフランス革命政府の激動を一先ず終わらせ、ナポレオンは最終的に帝王となった。アンシャン・レジームへの完全復帰を否定しても、マルティニーク島などの植民地では革命政権下で廃止されていた奴隷制を復活させた。フランス領だったハイチの運動家トゥーサン・ルヴェルチュールは1804年の独立を前に、ナポレオンに介入されて獄死している。ナポレオン民法や刑法は近代的と看做されているが、その根本には民法213条等で男性の女性への優越を規定する男子中心主義があった。

 結構負けていても天才的軍人と呼ばれるナポレオンのこうした男性主義や白人主義はこれまでも歴史ジャーナリズムの世界で取り上げられてきたが、その性向をもってナポレオンのみならず歴史人物の事績を全否定しようとする動きが、歴史学への関心薄まる一般社会で加速。銅像解体につながる偉人の否定をキャンセル・カルチャー(コールアウト・カルチャー)と呼ぶが、こうした行為は歴史の審判法として公正でなく、やがて落ち着くべきところに落ち着くだろう。