薄っすら対人恐怖をGemini先生に聞いてみた。

■ご自身の状況、よくわかります
ASDの症状が落ち着かれ、絵手紙のボランティア団体に再び足を運ぼうとされているのですね。しかし、愛着のあるものへの変化に戸惑い、対人恐怖を感じているとのこと、お気持ちお察しします。

・なぜ「見慣れた顔」が怖く感じるのか?

ご経験されているような感情は、心理学的には「再会不安」や「変化への不安」と呼ばれることがあります。特に、かつて愛着を感じていたものとの関係性が変化した際、人は強い不安を感じるものです。
 * 愛着の喪失: 長く関わってきた団体への愛着が、一時的な離脱によって薄れてしまったように感じているのかもしれません。
 * 変化への恐れ: 以前の自分と、今の自分が変わってしまったように感じ、周囲の反応を恐れている可能性があります。
 * 対人関係への不安: 以前のように自然に接することができるか、周囲の人からどう思われるかなど、対人関係全般への不安が大きくなっているのかもしれません。

・心理学的な視点から
このような感情は、決してあなただけのものではありません。多くの人が経験する、ごく自然な反応です。特に、ASDの方は、変化に対して敏感な傾向があるため、より強く感じる可能性があります。



私が言い出しっぺになって立ち上げた絵手紙のボランティア団体。2008年から活動している。

ASDが発覚してしばらくの間欠席していたが、もう落ち着いてきたしそろそろ顔出ししてもいいだろうと、行く気になったのだが今度は見慣れている人に会うのが怖くなっている。

恐怖という言葉は強過ぎるが、億劫とかめんどくさいとか照れくさい、という言葉ではない。軽く怖い。

こだわりの強いモノ、コトへの愛着を手放すと、こんな変化が起こるのか。初めての感覚だ。Gemini先生に聞いてみなきゃ。



ASDの私のこだわりの強さは「強い愛着のあるヒト、モノ、コトへの感情、行動のコントロールができない」だったが。

「強い愛着のあるヒト」に感情、行動のコントロールができないのは、私の面前DVでの乖離前の3歳児のインナーチャイルドのせいだったことが判明した。

長い間独りで寂しい思いをして、初めて元クライアントに声をかけてもらい話しかけてもらいいい子いい子してもらえた。初めての嬉しさに彼女に懐き好きになった。人を好きになるとはこんなにも幸せなことなのだと思った。はしゃぎ過ぎた。

3歳児はおかげで今は5歳児ほどに成長した。本体の私はすっかり落ち着いて、マインドフルネスで感情の流れを眺めている。

さて、あれほど狼狽えた、セルフチェックを3回やって22点以上を叩き出した私のASDはどこへ行ったんだろう。コト、モノへの強い愛着はどこへ行ったんだろう。



「心理学によると
人から利用される人は
人から認められたと錯覚する」

私もそうだった。
自己犠牲。承認欲求。

自己肯定感、自尊心が低い。
これを上げるために他者からの評価を求める。
自分のためでなく他者のために動く。他者からの評価が自己評価の全てに置き換わる。

これを延々と続け、疲れ果てた。
ようやくこの勘違いに気がついて、止めた。気がついてよかった。



乖離前の3歳児の私のインナーチャイルド。
元クライアントに構ってもらったおかげで彼の長い間の寂しさは解消された。これで3歳児は幸せに過ごしていける。
これはいくら彼女に感謝してもしきれない。本体の私は寂しさと後悔でいっぱいなのだが、インナーチャイルドの笑顔を眺めて、辛うじて平静を保っていられる。

私には2人のインナーチャイルドがいることに驚いている。
面前DVの前と後、その間には7年ほどの時間の隔たりがある。この時間の溝を越えて一つになれないようだ。

そしてこの度の「感情と行動のコントロールができない」は、どうやら乖離前のコイツのせいらしい。ここら辺は普通の3歳児らしく、焚き火の周りで興奮し奇声を上げて走り回るのと一緒だ。

とはいえそのせいで元クライアントに迷惑をかけ不快な思いをさせたことが許される訳ではない。

そしてもう一人は私と共に過ごし、親からもらった機能不全、AC 共依存 乖離時のPTSD そこから来るASD パーソナリティ障害 を一手に引き受けているこれも不憫な奴だ。
インナーチャイルドの癒やしのセッションで「エンプティ チェア」的なことをやった時に現れた3歳児は今は私の実年齢に近くなり落ち着いている。

乖離前の3歳児は相変わらず元クライアントに笑顔を送っている。
平和な光景だ。




「嫌いな自分も受け入れてやれよ。好きな自分だけ受け入れで嫌いな自分を受け入れないのか?」
【自己嫌悪、でいいじゃないか】

に書いたことはとても効果的で、長い間できなかった事ができた。

「嫌いな自分を受け入れない」
これは親にやられていたこと。親に従うなら好きだが、従わなければ嫌い、この条件付きの愛を自分が自分に向けてやっていた。

嫌いな自分を受け入れることができて、とても安定した。

では今度はこれを他者にもできるか?「あなたにはこんな嫌なところやこんな嫌いなとこやこんな気に入らないとこもあるけど、私はあなたが好きだよ」
これは人間界では普通に行われていることなのだろうか。
もしかしてこれが「愛する」ということなのか。
私には未知の世界である。




もう愛着のある他者からは離れようと決めた。これ以上続けば今度は逆に私のBPDの嗜癖「こき下ろし」が彼女に向けて発動される予感があったからだ。


しかしなぜこんなにも他者への愛着がやめられないのか。

「◯◯◯😀」「◯◯◯😁」と元クライアントの名前を呼び、はち切れんばかりの笑顔で手を振る私のインナーチャイルドを見つけた。

面前DVで乖離する前の、3歳児の私だ。彼女との経緯はコイツも知っている筈だ。それでも諦められないようだ。長い間親にも構ってもらえなかったから、よほど嬉しかったのだろうと不憫になる。

困ったことだがこれもそのまま受け入れよう。「ずっと好きでいようね。嫌いにならなくてもいいよ」と言ってやろう。



主人公・鷹野がこんな台詞を言う。ドラマでは使われなかったかもしれない。

ばんざき朝未「無能の鷹」© より


「必要とされなくても 何もできなくても 私は今ここにいる  
意味なんてなくても
私は私の存在を 誇りに思う・・・!」

このメッセージはなかなか刺さる。定型発達、発達障害にかかわらず刺さる。自分の存在を誇りに思うなんて、なかなかできることではない。

「会社は自分を必要としていないかもしれないが、自分は会社を必要としている」とも。

こちらも「会社」が主人公なのではなく「自分」が主人公だとのメッセージだ。会社という他者の意思に従うのではなく自分の意思に従うのだ。

設定では鷹野は普通に発達障害、ADHD、LDかと思われる。
前にも書いたが、この作品には定型発達が発達障害を差別する場面がない。それどころかみんなが優しく互いを見守り、支える。

作者のこの視点に私は多いに共感している。こんな時代が来るといいな、と。

「感情のコントロールができない」は認知行動療法で改善し、マインドフルネス療法で落ち着いた。


さて「言動のコントロールができない」はどうする?
方法のひとつは「他者との距離を取る」。愛着のある他者は特に距離を充分に、充分過ぎるくらいに取る。

もうひとつの方法、話し方は音声言語も文字言語も敬語にする。
これは元クライアントが私に向けて敬語を使っていたので、ミラーリングのつもりで敬語を使ってみた。距離感が生まれてすこぶるよろしい。
暫定的ではあるがしばらくの間はこれでいってみよう。

考えてみれば今までの長い間、仕事でもピアカウンセリングでも「相手との距離を詰める」でやってきた。良くも悪くもずっとこれだった。本来ではないのかもしれないが、自分にとっては「快」だった。改める方がいいのかもしれない。




BPDについて検索してたら

✦「認証」とはあるがままの自分が受け入れられることで、「不認証環境」とはあるがままの自分が受け入れられない環境のことです。親の期待にこたえた時にだけ褒められたり、受け入れられたりする環境に置かれると表面的には「良い子」で頑張りますが、自分の存在そのものを受け入れてもらえているという安心感がないので、常に「頑張らなければ、見捨てられる」という不安を引きずり続けます。

…これ私もそうだったぞ。他人事じゃないぞ。条件付きの愛(ではなく支配と操作)で育った者の典型だぞ。
今の私の場合はほとんど改善し、そんな過去は遠い風景として眺めているが。


✦トラウマはいわゆる虐待など明らかな外傷体験だけではなく、何気ない振る舞いでも繰り返されることでトラウマになりえると考えられています(「関係性のストレス」)。トラウマ体験を受けると解離によって記憶が思い出せなくなることもあり、エビデンスを得ることが大変難しく、トラウマとパーソナリティ障害との関係は常に結びつくとは証明されていませんが、幼いころの傷つくような体験が根底にあり、成長した後にトリガーとなるストレスを受けることで発症するのではないかと推測されています。

…これも私が体験したことだ。

私にもBPDの要素が少なからずあったのが分かる。だから同じBPDに過剰に反応した。過去が蘇ったように。
だから元クライアントのことが放っておけないのかもしれない。

でもBPDは人の言うことを聞かないから。言えば言うだけ頑固になるから。自分で気づいて変えない限りずっとそのままだから。何なら相手を変えようと、支配と操作をしてくるからね。(過去の私)