〇解決のためにありたけの能力を駆使して、しかも力が及ばないと悟ったその時こそあなたは何らかの力、自分より大きな力を持つ霊に対して、問題解決のための光を求めて祈る完全権利があるといえる。そして、その導き、その光を手にするはずである。なぜならあなたの周りにいるもの、霊的な目をもって洞察する霊は、あなたの魂の状態をありのままに見抜く力があるからである。例えばあなたが本当に正直であるか否かは一目瞭然である。
その種の祈りとは別に、宇宙の霊的生命とのより完全な調和を求めるために祈りもある。つまり、肉体に宿るが故の宿命的な障壁を克服して、本来の自我を見出したいと望む魂の祈りである。これは必ず叶えられる。なぜならその魂の行為そのものが、相応しい当然の結果を招くからである。このように一口に祈りといっても、その内容を見分けたうえで語る必要がある。
〇祈りとは魂の行である。より大きな自我を発見し、物的束縛から脱して本来一体となっているべき高級エネルギーとの一体を求めるための手段である。真の祈りとは魂が正気を取り戻し、力を増幅するための手段、言い換えれば、より多くのインスビレーションと霊的エネルギーを摂取するための手段であるといえる。それによって神の意思との調和が深められるべきものである。
自己を内観することによって、そこに神の認識を誤らせている不完全さと欠陥を見出し、それを是正して少しでも完全に近づき、神性を宿す存在により相応しい生き方をしようと決意を新たにするための行為である。
〇事故の現場に居合わせる人も災いにあう確率が高い=事故に遭遇した当事者だけでなく、事故現場の周りにいる人の全ての人が、そういった事故にあう可能性を持っている人だと思っていただきたい。事故現場を見ている人、遭遇する巷の火事現場にどういうわけか駆けつけている人もその一人である、つまり、その現場にいるという人は同調してそこにいるということになるからである。
普通はまず行こうと思ってもそこに行くことができない。災いに遭遇しない人は事故が起こる場所でそれとマッチしていても気がつかずに通り過ぎていく。だか、事故は同時刻に起きてその人は傍らを通っていたはずである。しばらくして人が集まってきて何かが起きたと気付く。その人の意識の中に自己と同調するものが全くないから無関係にその場を行き過ぎていく。
〇「印」は手を組んだ文字に魂が宿るものである。印は言霊と同様に魂が宿るが、若干の方向性の違いがある。印を組めれば、その人の周りの雰囲気が変わる。印の形を作ると、雰囲気が変わるのは、そこに言霊が宿るからである。言霊が宿るだけであれば、これは祝詞になるが、印は祝詞にプラスして力が加わる。
印の力は扱うもののレベルによって歴然とした差が現れてくる。印の祓いの力を強くするためには、5年10年20年と繰り返し修行をする。修行した人間の印ははるかに高レベルな印を結んでいく。
「印とは魂宿る力の世界である。魂宿る力を操るのが、印を組む人間である。人間の手の結ぶ印は自と開かれ、その力がその方向性を持ち、結果として現れる。その結果とは、祓いであれば祓いの力、浄霊であれば浄霊の力であり、あらゆる印を組んだその形はすべて力に現れる。」
この印を結ぶことによってそこに宿る九字の印を意識を込めて何回も形通り行って行く。そうすればどんな事情であれ、正規な形で印を組めばそれは文字であり、言霊であるから、魂は多かれ少なかれ、宿るはずである。印を組む理論からすれば、そうなる。言霊を1回結べば、1回の言霊はそこにある。繰り返していけば、その言霊は次第に力を増していく、滝行、水行、断食、苦行の精神修行を行うことで、精神集中をすれば、そこに込める魂の力は強くなり、祓いができる。自力で繰り返して10年もたてば、その言霊の力は強くなる。









