〇くれぐれもいうが、スピリチュアルなエネルギーを支配のために使ってはいけない。それは努力の浪費だ。遅かれ早かれ、きっとまた空っぽになる、突然転落してしまう。それは全くの浪費だ、だが、それを抑えるのは非常に難しい。なぜならあなたは自分の能力に気付くからだ。
 例えば、あなたが病人に触れてその人が治ったりしたら、ほかの病人に触れようという誘惑にどうして抵抗できるだろう。もし抵抗できなかったら、あなたはエネルギーを浪費してしまう。せっかく何かが起こったのにすぐに意味もなく捨て去ってしまう。そて、マインドは実に滑稽だから、「自分は直すことで他者を助けている」とか考えてしまう。それは、往々にして、マインドのトリックだ。
 もしあなたに愛がなければどうして他人の病気について、他人の健康についてそれほど心配するだろう。実は心配などしていない、本当にところ、それはパワーだ。もし治すことが出来れば、それによって相手を支配できる。たとえあなたが「私はただ彼らを助けているだけだ」と言ったとしても、その助けることでさえも、他人を支配しようという企てだ。そうすれば、あなたのエゴが満たされる。それがエゴの糧となる。だから昔の教えはすべて「気おつけなさい」という。なぜ気をつけるのかと言えば、エネルギーが生じてくるとき、あなたは危険な地点にいるからだ。あなたはそれを浪費もできるし、捨てることもできる。
 だからエネルギーを感じるときには、秘密にしておくのである。だれにも知らせてはいけない。エネルギーの生じてきた人間が、多くの人々の前で祈っていたら、みんなすぐに「彼には何かが起こっている」と気づくだろう。だから、「祈りは真夜中にするとだ。みんな寝静まった深夜がいい。そうすれば誰もあなたに起こっていることに気付かない。自分に起こっている事は誰にも言ってはいけない」だが、マインドは実におしゃべりだ、もし、何かが起こったら、きっとあなたはすぐに出かけて言って何かが自分に起こったという「よい知らせ」触れ回る。そうやってあなたはそれを浪費してしまう。
 そして、人々が驚いたとしても、それで得るものはと言えば、彼らの中で評判になるくらいだ。それではあまり良い取引とはいえない。
 待つのだ。いつかそのうち、エネルギーが蓄積してある地点に到達し、一つにまとまって変容する。その時には、自分で何もしなくても、いろんなことが周りで起こる。そうして総じてあなたは他人を手助けでき、それによって相手は自分自身の主人となる。(もしあなたが自分の主人であるならばだ。何であれ、スピリチュアルな技法を通じて得たものは秘密のままにしておくことである。ふれ回ったりしないとこ。どんな形であれ使わない。使わずにそのままにしておく、そうして初めて内的な変容のために使えるようになる。外側の用途に使ったらそれは浪費になる。)


〇正しい生活を実践することがなぜ必要かというと、人間の身体には目に見えなエネルギーが働いており、このエネルギーは性腺から性エネルギーとして始まり、上昇して副腎霊中枢できれいにエネルギーに変換されるが、日々の道徳的正しい生活の実践により、副腎霊中枢において、聖エネルギーの変換率が非常に脳天から抜けると、宇宙エネルギーと合一するのである。


〇自分自身が浄化されるようになると、自分の脳下垂体霊中枢から出るエネルギーを使って他人を浄化するようになり、脳下垂体霊中枢から流れるエネルギーを掌に導くことによって接手療法や手かざし療法が可能になる。
 「自分を癒すことが出来るようになると、他人も癒せるようになる。」といったのは脳下垂体霊中枢からエネルギーが流れるような状態を指している。このような状態になるまでには、瞑想をやり始めてから性エネルギーの解放、性エネルギーの上昇と副腎霊中枢のエネルギーの変換から松果体霊中枢のエネルギー吸収、脳天からのエネルギー放出、脳下垂体からのエネルギーによる低位霊中枢の浄化では相当な長い年月を必要とするが、人によっては一生かかる人もいれば、一生かかっても性エネルギーの解放さえ出きれない人もいるし、4・5年で浄化作用まで行く人もいる。このように差が開くのはどこが違うのかというと、自分の心の状態を観察し、悪い感情を落とす気があるかどうかである。
 日常生活においてこのようなことに努力実践している人はエネルギーの循環が早くなってくる。エネルギーの循環を早める方法はただ一つ、否定的感情を使わないこと、思わないことに尽きる。逆に言えば、「建設的な想いと感情」を使うことによってエネルギーの循環を早める。エネルギーの循環を早めることは瞑想の技術の習得を早めるのと同じである。