〇愚痴・不平不満・悪口・文句などの五戒を一切言わなくなってから3ヶ月~半年ぐらいたつと突然に頼まれごとが始まる。それは、ある日突然である。自分が五戒を行ってないつもりでも知らず知らずのうちに言っていれば頼まれごとは始まらない。頼まれごとが始まったら…はい、はい・と言って引き受ける。ただし3つの「し」には気をつける。脅し・騙し・儲け話・あとは自分にどうしても不可能な事も断っていい。借金の申し出や人数合わせなどだれでもいいことも断っていい。自分しかできないようなら引き受ける。頼まれごとをやり続けて行くと自分の使命が見えてくる。どうやったら自分の達成目標や努力目標を達成できるかより、いかに頼まれるかが重要。流れているままに生きるだけである。自分が身を委ねているのだから、神様が守護霊がその人間をスポイルするわけがないのである。
〇悩み・苦しみ・苦悩・煩悩とは、何かを自分の思い通りにしようとした瞬間に生まれるのである。あなたの悩み、苦しみは自分だけの力で自分の人生を創っていると思っているところから起きている。最終的に売れるとか、広まるとか、成功するということは、本人の力ではない。決定的な部分はすべて周囲のおかげ、また目に見えない4次元の存在のおかげということがわかったら、あとはただ感謝であり、ありがとうと手を合わせることが出来るのである。
戦争とは、自分が善人で正しいと思い込んでいる人間同士の戦い。自分が間違っているかもしれないと思ったら争いにはならない。憎しみや恨みというものは、すべて自分が正しいと思ったところから始まるのである。正義感は悪魔の側にある。
「許すものは許される。許さぬものは許されない。裁くものは裁かれる。裁かぬものは裁かれない」自分が楽しいことが宇宙から降ってくる、という人生が欲しいのであればたくさん投げかけること。嫌がられるようなものを投げかけていると、自分にとって嫌な状態に囲まれて生きていくことになる、次から次へと面倒くさいことが起きてくる。
人間関係の中で相手が何か理不尽な事をしたとしても、この人をどうにかしようと思うのではなくて、ただ丸ごと認めると楽。この人をどうにかしよう、変えようと思うから苦しいのであり、思い通りにならないのである。いま、すべきことは目の前の事、人、モノを大事にするだけ。死ぬまでの間にどれほどの人に喜んでもらえるかをひたすら考えるだけなのである。
〇宇宙の仕組みは「執着」しないとその望みは叶うという事である。「執着」があると全然叶わない。執着すればするほど手に入らなくなるどころか、反対の現象が迫ってくるという構造になっている。こうなったらうれしい、楽しい、幸せと思うのは構わないが、そうでなきゃいやだ、だめだ、ねばならないと思った瞬間にそうならなくなる。
宇宙は二重構造。求めたものと反対のものが与えられる。与えると与えられる。執着、掴んでいる手を離さないから、その願いが取れない。つかんだまま、力んだままでなく、その手を離せばよい。
〇悟りは一回限りではない。何千回何万回とある。悟りとは受け入れること。いまの自分の人生は生前自分の魂が描いたシナリオ通り。
実践とはどんなことがあっても腹を立てない。怒らない。怒鳴らない。すべての人に寛大公平で喜ばれる存在になること。どんなことがあっても怒らない、怒鳴らない。声荒げない、イライラしない、腹を立てない。そういう人になったとき、超能力の扉が開く。
嬉しい楽しい幸せ、そういう気分になりきること。それを維持するとアルファ波以下の脳波になれる。執着が残っている間は、脳波はβ波のまま。何も考えずひたすら「ありがとう」を繰り返す。これが、潜在意識の開発に役立つ。そして「ありがとう」を繰り返していくと自分の守護霊とつながる。自分の世界を広げる物、読書、旅、人の話、自分が今日に至るためには、すべての因果関係が必要だった。そのすべてにありがとうと手を合わせられたら人生が変わる。神が好むものは謙虚さ、自分がすごい人だと思わないこと。特別だと考えないこと。選ばれた人だと誤解しないこと。どんな時もイライラしなければ自分の潜在能力の85%が使える。超能力は心の問題。
〇本当の自分というのは、今やる羽目になっていることを100%やること。強さとは主張を通すことではなく、競争することではなく、傷つかぬように身を守ることでもなく、バカにされ、罵られ、辱められ、笑われても、笑顔でそこから立ち上がってくること。
「私の人生はついていなかった」というよりは、驕り高ぶり以外の何者でもない、生きていること自体が奇跡の連続なのである。人からどのような評価を受けても落ち込んだりはしないのである。その代わり、人から高い評価を受けたり、褒められたりしても、有頂天になったり、自惚れたりもしない。人の評価によって自分の気分が変わるという事自体が幼児性の現れなのである。
幸せの本質とは足るを知ることにある。努力の反対は感謝。怒らせる人イライラさせる人がいるのではなくて、自分が勝手に怒っているだけである。恵まれている人は何でも当たり前なので不満が多くなる。恵まれていない人は何でもありがたいので、感謝が多くなる。悟りとは、平気で死ぬことではなく平気で生きることである。
〇こうでなければいやだと執着を強く持つのではなく、そうならなくていいけどなったらうれしい、楽しい、幸せだと思ったとき、不思議な力が助けてくれるのである。おもいは二つ「思い」=経済的な未練。「想い」=人に対する未練。おもいは重い、想いは重い。
記憶と執着は関係していて執着がなくなるにつれて過去の記憶もよみがえってくる。前世などの記憶が戻ってくることがある。自我の強い人は自分の思いをどんな手段を使っても実現させようとする。いろんな事に執着すればするほど苦しくなる。お金が入ってくる人の共通項は、お金が「入ってこなくてもいい」と思っていることである。こだわっていない人には入ってくるのである。どうしてもお金が欲しいと思っている人には入ってこない。なぜかというと執着している人には超能力が使えないからである。
超能力者になるためには執着を捨てることが絶体である。執着とは要するに接着剤を自分の体にペタペタとくっつく接着剤をつけていると思っていただきたい。こうでなければならないという接着剤。必ずどうしてもという接着剤。瞬間に固まるのではなく永久に固まらない接着剤である。体中が接着剤だらけだから自分の超能力である85%の潜在能力が出せなくなるのである。
「そうならなければ嫌だ」「絶対にそうなってほしい」と思った瞬間にそうならなくなる。そうならなくてもいいけどなったら幸せだ。そうならなくてもいいけどなったら楽しい。そうならなくても良いけどなったらありがたい。というように喜びだけを上乗せするのである。喜びの想念だけを宇宙に向かって投げかけると面白い現象が起こる。執着があると潜在能力が使えないので、自分の実力でしか戦えない。面白がることがものすごく重要である。
このように喜びだけを投げかけると神様や「お陰さま」は喜ばれたくて喜ばれたくて仕方がない方たちなので、その喜びを与えたいと思うのである。ところが「そうでなければ嫌だ、そうでなければ不愉快だ、悲しい悔しいと思う人には、そのような現象が起きない。








