〇私たちは力の強弱にかかわらず、常に念を出していて、その結果を刈り取っている。念の波は、自分と他に影響するだけではなく、引き合う力も出している。心を大きく占める念の性格に応じて、他の思い、物、環境、人間運を引き寄せる。
愛の思いは他の愛を引き寄せ、その思いに応じた環境、同じ思いの人を引き寄せる。怒り、憎しみ、妬み、悪意、嫉妬の念は同じ念を他から引き寄せ同じような悪念を呼ぶ環境や、不和をもたらす人を引き寄せる。
強念、長く保っている念はそれに応じる他の念を引き寄せる中心になる。類は友を呼び蒔いた通りに刈り取る法則が、念の世界にも存在するのである。
〇①カルマを単に否定的なものとみなしてはならない、カルマには連続性と応報性という2つの面がある。
②連続性という面から見ると、宇宙的な理法・法則に反しない行動はその効果が継続する傾向がある。努力は決して無駄にならない。
③したがってある生涯培った能力や才能はその後の引き続いて起こる生涯にも存続する傾向を有する。しかし、ほかにカルマ上の人生状況が働くと、それによってこのような才能の発現が抑制されることもまま起こりうる。
④また、性格の特徴、興味、態度なども生まれ変わるごとに持ち越される傾向がある。内向性や外向性のような基本性格も、カルマ上の新しい要因が入ったり、バランスへの努力をしない限り、やはり継続する傾向を持っている。
⑤カルマの応報(固縁に応じて吉凶禍福の報いを受けること)についてマイナスの作用を説明すれば、ほかの生命単位(個人や団体、動物までも含めて)の幸福に害を及ぼすいわゆる「悪行」は与えた害の程度と性質に応じて正確な「処罰」を受ける。
⑥3種類の応報カルマ
Aブーメラン的応報=過去生で他人を盲目にした人は今生で自分自身が盲目になっている。
B生態的応報=ある生で暴飲暴食をした人は、次の生で消化器官の故障に悩むことがある。
C象徴的応報=過去生で他人が助力懇願した時に「耳を貸さなかった」人は今生で文字通り「耳の聞こえぬ」状態になる。別の例でいえば清教徒が魔女狩りをした時代に「魔女たち」に冷たい水の中につける仕置きをしたある人は、今生で遺尿症(寝小便)に苦しんでいる。
⑦応報カルマは肉体面でも心理面でも作用する。
⑧他人を嘲ったり非難したりすればその報いは、心理と肉体の両面に出てくる。つまり他人を嘲笑したり非難したりすれば、その理由や対象そのものを自分の身に受けて苦しむ(他人のどもりをバカにすれば来世で自分がどもりになるような例)
⑨過去生で配偶者に不実を働けば今生で自分の妻〈あるいは夫〉から同じ不貞の憂き目にあう。
⑩ひどい孤独や孤立は前生で自殺をした報いであることが多い。
⑪カルマの発芽は時として何回もの生まれ変わりの間押さえられることがある(一種の執行猶予)例えば、平安時代に残虐な行為をした人がその後5回6回の生涯ではその「精算」を行わないでいたが、今生になってとうとう「報い」にあったという例もある。
⑫カルマの執行猶予は次の3つの根本的理由によって必要とみられる。
aカルマの負債を弁済するためには、その時代の文化的要因がなければならない。
b肉体(肉体を取り換えつつ進化していく人間の本体、魂。)は自分のカルマを裁くのに足りる十分な内面能力を開発する必要がある。
c実態がカルマの「借り」を支払うためには、ほかの実態と適当な結びつきが成り立つことが必要な場合があるので、弁済の相手もまたこの世に生を受けるときまで待たなければならない。
⑬心理上の異常性質の原因を過去生の経験に突き止めることができる場合がある。動物を怖がったり、水を恐れたりすることや、閉所恐怖症と呼ばれるものなどは、このような恐怖の対象に関連のある恐ろしい経験(そのために死亡なども含めて)を前世で舐めたのが原因である場合が時々発見される。
⑭どんな人の魂も自由意志を持っている。この意志を利己的な目的に、あるいは過度の官能的満足のために悪用・誤用した場合のみ生命のカルマ法則が働いて自由意志は抑制される。
⑮ある魂が生まれ変わってカルマの宿題を果たそうとする場合、自分にとって必要な遺伝形質を備えた、肉体と生活環境とを与えてくれる両親に引き付けられる。このような磁石的引力によって受胎が起こる。
⑯無意識の中には実態が過去のすべての生において経験したあらゆる人生内容的な記録、または、現れた記憶が含まれている。
〇人類的敵心や憎悪のカルマ罰には、もう一つ別の種類がある。これは、外側からくる環境的な応報の苦痛よりも、もっと直に切実に迫ってくるものである。この処罰は、心身相関的なもので、これは人の心締め付ける感情を長く心に蓄えていると、否応なしに肉体に圧迫的な結果が現れる。という事実からきている。このことは心身相関医学の専門家によってハッキリ証明されている。
憎悪・怨恨・憤激などは広い範囲の影響を肉体に及ぼす。例えば心臓病・動脈硬化・血液循環の障害など、その他たくさんの病気がこの原因から起こる。どんな感情にもすぐに肉体的結果が伴うものであるが、それが蓄積してハッキリした形に現れるためには、相当の時間の経過を持たなければならないこともよくある。
普通の場合なら、結果は今の生涯に現れる。しかし、今まで見て生きたように、現在の肉体が過去を密接につながっているならば、また肉体が無意識内の要素を外部に投影するものとするならば、私たちが過去生で抱いた憎悪や憤怒に対する「罰金」を現世の肉体が健康や美の欠乏という形で支払うことがあるという可能性が明らかなる。
「あらゆる病気は罪から発する」と断言する。そして、胆石、関節炎、視力減退・結核、心臓病などの病症について、その原因は立腹・憎悪・悪意・嫉妬・怨恨・自己心の様な感情にあることを突き止めている。
「敵意や怨恨を心に抱く人は、後で直面して当惑・狼狽しなければならなくなる状態を自分で作り上げている」すると、人種的な敵意はそれがハッキリした攻撃行動に現れない場合でも、先々には、そのような悪意を持った本人の身の上に重大な形で害を及ぼすということが明らかになる。勝った方も負けた方も、このことをよく覚えておく必要がある。不当な攻撃を仕掛ける側の狂った憤怒も圧迫を受ける側の心にくすぶる憤激と憎悪もともに同じように重大な結果を我が身に招く可能性がある。
自主的優越感に駆り立てられた人間によって自分の妹が強姦されたり、家や財産を滅茶滅茶にされたりした場合、その加害者を憎むのは人としてはごく自然の情であるが、しかし、このような自然の憎悪でさえも、結局は自分にとって不利に働くのである。
ある人間が愚かで残酷であり、勝手気ままの残忍性をあらわにしたという理由によってその人を憎むのは、ある意味では高校生が小学校2年生を捕まえて、「お前は代数も分からないのか」と言って憎むのと同じくらい筋の通らぬことである。
私たちは一つの石ころをそれが石ころであるからと言って憎んだりしない。自然の秩序の中に割り当てられた場所に意思が存在するという事実をそのままに受け入れるだけなのである。これと同じように霊性が未発達であるために、浅薄で獣性を脱しきれない人々の手にかかって、不当と仕打ちを受け苦しんでいるときには、そのような人々を「石ころ」なのだと思うのが賢明である。
進化の道程においてまだ初歩的な理解レベルにあるからこそ、そんな非人間的な行動にも出るのであるから、同時にまた、白色人種が全人類の中で最上位にあることが好きな人々とも実は白人の中にも未発達・浅薄・野卑な人間がたくさんいて、世界中のもっと温良な種族から白人が嫌われているという事実を思い出すべきである。
