〇さて、ここで最後の注意である。もしあなたが自分の夢を自分の親しい者たちへの援助と関係づけているとしたら、おそらく何も得られないだろう。例えば、こんなケースがある。私の夢が実現したら彼らを助けてあげよう、というものである。魂は本質的にエゴイストである。魂はそうでなくても、欲しいもののうちのほんの少ししか受け取ることが出来ない。その際、他人の幸せを考えるなど不可能なのである。助けてあげる人々がどんなに親しかろうが、かけがえがなかろうが、魂にとっては知ったことではない。魂は自分の幸せだけを心配する。この世界に魂が存在できるのは滅多にない貴重なチャンスなのである。利他主義は社会一般に受け入れられているが、それがどんな形で現れようと、魂からではなく理性からきている。魂は、自分の目的を達するためなら、可能なことは全部行う。しかし、もしこの目的が魂のためでなく、だれか他人の役に立つのなら、魂はすっかり興味を失い、理性が何かの課題を解決するために戦って弱り果てて行っても、ただ静観するだけとなる。
 有名な童話「ピノキオ」で主人公のピノキオは自分の父親を助けようとして、裕福になるという目的を自分に課した。彼はこう考えた。金貨を奇跡の野原に植えると、黄金の木が生えてきて父親ゼペットに劇場を買ってあげられると、当然のことながらその目的は実現せず、木で出来た人形であるこの少年にたくさんの心配事がもたらされる。童話の中でピノキオは大きな間違いを二つ犯していた。
 一つ目の間違いは、目的が本人のためではなく他者のために役に立つというものである。ピノキオの魂は自分の幸福について夢見ているのに、理性は父親の幸福を考えていた。利他主義は非常に素晴らしい資質だが、もしあなたが他人への奉仕に自分を捧げようと決めたのであれば、自分自身は決して幸せになれない。他者の奉仕や弱者への支援の中に自分の幸せを見出したり、他人の事業やアイデアに全てを投げ打つのは、幻想や自己欺瞞以外の何物でも無い。理性がコマによって強く捕縛されていて、自分の幸せをそのコマへの奉仕にしか見いだせないときに、このようなケースが起こる。理性が自分の幸福を他社への奉仕や高貴な理想に見出したとどんなに言おうとも、このような人の魂は深い悲しみを抱きながら箱の中へと追いやられた状態にある。そんな魂は、自分が幸せになる権利について指し示す力も持ってはいない。他人の理想は自分の理想であり、他人の幸福は自分の幸福であるという理性の核心は、どうしても自分の目的を見つけられないか、おそらく探そうともしていない人の勘違いなのである。
 ピノキオが犯した二つ目の間違いは、お金を願望達成の手段として考えたことである。お金は目的にも手段にもなることは出来ない。お金や手段は、目的へと続く道に随伴する属性に過ぎない。お金に注意を集中しても何の意味もない。お金についての思考は、かえって有害な過剰ポテンシャルを発生させる方向へと向かう。もし選択された目的があなたのものであれば、お金は自分からやってくるから心配しなくてもいいのである。童話ピノキオはこうしたことをうまく説明している。
 この童話では、もしあなたが自分の幸せを見つけたら、その喜びを他の人々にも分け与えることが可能である事を証明している。もしあなたが自分の目的を達しお金も幸福も手に入れたとしたら、自分の親しい人たちを助けるのは当然だろう。なぜなら目的を達成したあなたは、実際に幅広い可能性を持っている事になるからである。しかし、あなたがまだ目的達成の途上にいる間は、自分の幸せだけを考える必要があるのである。そうすれば、あなたの目的に魂が尻込みするようなことも無くなる。目的へと続く道では、あなたの魂には自分のことだけ考えてもらうようにしよう。目的が達成された後で、あなたは自分の利他主義を愛する理性に好きなだけ自由を与えてあげて、親しい人々、自然保護、ホームレス、自然動物、飢えに苦しむ子供たちなど、どのような対象にでも支援の手を差し伸べるようにしたらいいだろう。

〇こんな要領で、目的へと進む現段階の視覚化を行ってみよう。「今日は昨日よりも良くなった。明日は今日よりもよくなるだろう」。事象の流れの先で待ち受けるカーブに差し掛かる前に常に先手を打とうとしても無駄である。いまこの瞬間を喜び、非の打ちどころなく冷静に歩みを進める方がよい。あなたはプールで泳ぎたいとしよう。そのためにはプールのある場所まで百メートル走って飛び込み、ようやく泳ぐことが可能となる。ところが、今のあなたはまだプールに到着してもいないのに地中へと潜って、両手で土を搔こうとている。馬鹿げたことである。同じように、鎖のずっと先に続く輪の視覚化を行ったり、目的達成の手段について考えたりすることも馬鹿げたことなのである。
 現在の輪の視覚化を行う際には、今この瞬間の出来事の順調な展開を確認することが行われる。すべてうまくいっている。これを土台にして、その上に次のステップを築いていく、明日はもっと良くなるだろう。あなたは思考上で今のステップよりも上にある次のステップへと歩みを進める。この際、フィードバックされる鎖もある。目的へと進む結果、会談のステップを上がっていく様子がイメージされる。この先の成功は空中に浮かぶ雲のようなものではなく、各ステップがその上のステップを支えている階段として、頭の中でイメージしよう。その階段を上るように、成功のレベルも加速度的に上昇する。毎日が未来の成功の一部を運んできてくれる。未来を案じるのではなく、今この瞬間を生きよう。
 目的へと向かう途上、コマはあらゆる場面であなたを進路からそらそうと企てる。どんなことでも失敗ならば、あなたが失敗でがっかりすると、今踏みしめているステップは崩れ落ちて階段から転落する。それであなたはいらだち、自分への不満を口にする。なぜなら、あなたの理性による計画が行き詰ったからである。これであなたはコマの罠に掛かったことにな。あなたが自分に不満を持っているのなら、幸福と成功が待っている人生ラインへは決して移ることが出来ない。幸福と成功を手に入れている人が自分に不満なわけはないからである。自分の放射エネルギーのパラメーターが自分への不満に同調してる人は、どうしたって幸福と成功の人生ラインにたどり着くことはできないのである。
 理性は、事象の流れの中で予見出来なかった変化を、理性のシナリオに入っていなかったというだけの理由で、失敗として受け止めてしまう。これは忘れないでいただきたい。予見できなかった変化を当然のこととして受け止め、失敗を成功として考えてみることがなぜできないのだろう。こんなゲームをしてみよう。失敗と思えるものの一つ一つと、腹立たしく接するのではなく、うれしい驚きをもって接してみよう。なぜなら、そうすることで魂の意図が働き、それはあなたの知らない方法によってあなたを目的へと運んでくれるからである。理性は、とんな方法が目的へと導くのかを知ることが出来ない。だから理性は目的が達成困難とみなし、踏み固められたたくさんの道の中に隠れている目的へと続く小道を見つけ出すことが出来ないのである。もしあなたが事象の流れに従おうとせず、その小道にも出られなければ、何も得られないだろう。その小道へ出るようにあなたの背中を押してくれるのが魂の意図なのである。
 ほかの人々が成功に向けてどのように進もうとしているかは参考にする必要がないし、彼らから遅れまいと努力することも不要である。群棲本能に屈してはならない。あなたにはあなたの計画がある。大半の人々は踏み固められた道を行くが、本物の成功をつかむのは、「私のようにやってごらん」というコマの手口に乗らずに、一人自分の小道を進んだ一握りの人々なのである。

〇もしあなたが、重要性のレベルを上昇させるような自らの行為によって、魂の意図を邪魔したりしなければ、魂の意図は必ずあなたを目的まで運んで行ってくれるだろう。事象の流れに沿って進み、それに逆らおうとしてはならない。あなたが事象の流れと戦うように仕向けるのは、なんでもコントロール下に置きたいと思う理性の習慣による。この先の全ての歩みを予見する事などだれにもできない。もし目的を持ったスライドの視覚化に取り組むならば、魂の意図があなたを導いてくれることだろう。魂の意図はありきたりのシナリオや固定観念の枠の外で作用するものだから、出来事の展開には予想外の変化が現れる。
 理性は、このような変化をありがたくない物ととらえ、水面を両手で叩きつけ、すべてを台無しにしてしまう。そうならないためには、劇的に変化する可能性をシナリオに与えておこう。状況をコントロールする事から手を放そう。何かがあなたの計画通りにいかなくても、状況を修正しようと焦ってはいけない。予期していなかった出来事を前向きにとらえ、それがあなたに有利に働くものとして考えてみよう。最初のうちは、すべてがハッキリするわけではないが、大部分のケースでそう考えることが可能なのである。人はさしたる理由もなくガッカリしてしまうが、本当はすべてがそんなに悪くはない。
 「何をやってもすべてうまくいく」ということわざがあるが、私はこれを頭から信じるようにと言っているわけではない。この諺の中には、二つの真実がある。それは明らかな真実と隠された真実である。明らかな真実とは、おなじみの固定観念に関するもので、総じて全てはそれほど悪くないという推定を経ている。実際に、事象の流れはいつも最小限のエネルギー消費で済むルートをとる。不愉快な事は常に大きなエネルギーの消費であるが、それは人が流れと戦うことによって引き起こされる。事象の流れの方向が変化すると、人は、その変化が予定に入っていなかっただけの理由で不愉快なことだととらえる。
 「何をやってもうまくいく」の諺に隠されている真実は、かなり大きな意味を持っている。もしあなたがシナリオ上のありがたくないと思える変化をあなたの利益になるポジティブな物としてとらえるつもりなら、まさしくそうなるという事である。この確信は、たわいないようにも思えるだろうし、信用できないようにも思えるだろう。ところが、ここには大きな力が隠されている。しかし、それについてはまたお話ししよう
 事象の流れに沿って進むあなたは、乗り換え用の鎖の輪の視覚化と言いう「オール」を利用して、自分の歩みを早めることはできる。視覚化はスライドと異なり、目的へ進むシナリオを自分の中に含んでいる。しかし、ご存じのように、現在の輪の視覚化はすべてのシナリオを含んではおらず、現時点に関係する小さな部分だけを含んでいる。あなたは現在の意図に従って足を運ぶ、あなたは一歩を踏み出すと同時に、次の一歩を踏み出そうと意図する。
 子供たちの成長を見守る母親を思い出していただきたい。母親は乗り換え用の鎖の現在の輪の視覚化をひと時もやめることはない。母親のこの鎖は、非常に小さな輪に細かく分かれている。今日、赤ん坊が立ち上がったと言っては、母親は喜ぶ。そして、明日はひょっとすると第一歩を踏み出すかもしれないと想像する。しかし、赤ん坊が大きく成長して大人になるところまでは創造しようとしない。母親は現在に喜びを感じ、明日には新たな成功があることを信じて、今この瞬間をいつくしんでいる。

〇魂と理性の相互理解を阻むのは、魂は目的へと向かおうとするのに、理性は手段について心配しているという状況である。魂は目的達成の手段についてはさっぱりわからない。魂は夢の中で欲しいものすべてを受け取る事に慣れっこになってしまった。ただそれだけのことなのである。理性がぐっすり眠っているときに、魂がどこを飛び回っているかは誰にもわからない。私たちが覚えているのは、理性がまどろんでいるときに見た夢だけである。深い眠りから目覚めつつある理性は、自分の期待や印象に従って、魂の帆の方向を決める。そのため、夢は魂の望みについての尺度となることが出来ない。
 全く同じ理由から、私たちは、もし魂の前世が本当に存在するとしても、それを思い出すことが出来ない。理性は魂とは異なり、何も書かれていない紙のようなものとしてこの世界にやってきた。ある特定の状況下では人間の理性は前世の情報を入手することが出来るという、数多くの証拠がある。けれども、それはまた別の問題であり、前に紹介した魂の章を読んでいただきたい。
 理性は手段について考えざるを得ない。なぜなら、理性は意思の意図の枠内で行動することが習慣となっているからである。この枠内では、失敗の結末を持ったシナリオも必ず存在する。そのような場合、魂の意図は助けてくれないどころか足を引っ張ることもある。だから、物事が展開するシナリオについてあれこれ考えをめぐらすのはやめようと、私はうるさいくらいにあなたにアドバイスするのである。目的へと続く道では、所有する決意が圧倒的に優勢でなければならない。これは最も大事なことだから、あなたも強い関心を向けてくれるはずである。意図のもう一つの部分である「行動する決意」は、願望と重要性をできる限り取り除いたものでなければならない。
 足を運ぶ決意は、あなたに求められている最低限のことを履行するという、熱狂とは無縁で冷静な意図なのである。冷静に行動するとは、思い切り悪くだらだらと行動する事ではない。私が言わんとしている事は理解していただけると思う。極端な決意も重要性による結果である。意思の意図から重要性を取り除いて純化すればするほど、あなたは効率よく行動できるだろう。
 目的達成のシナリオでは、大まかに考えるべきである。目的へと進む道での主な段階、すなわち、乗り換え用の鎖の輪を決めるだけである。決めた後は、全体のシナリオについて考えめぐらすことはやめよう。あなたの中には目的を持ったスライドだけを入れておこう。そのスライドは達成された目的の最終画像だけの内容であり、その他のいかなるシナリオも含んではいない。そんなスライドを頭の中でいつも再生し、その中で暮らそう。快適域は拡大し始め、あなたの思考放射のパラメーターは目指す人生ラインに同調する。
 目的の達成と関係するあらゆる事から現れるかもしれない願望や重要性は取り除こう。もしあなたが目的達成を早めようとして全力を尽くすのであれば、自分の能力に疑問を抱き困難を恐れていることなるわけで、それはつまり重要性のレベルが上がった事を示す、未完成であることや間違いを犯すことを自分に認めてあげないと、ほかの人々から許しを期待することもできなくなる。もしあなたが、目的は達成されないのではないかと危惧するのなら、あなたは願望を持っており、だからどこかで疑っているのである。それが願望でないわけがない。前もって失敗と馴染んでおき、退路や予備の事象を考えておこう。そして、準備を整えておくのである。これを行うことなしに、あなたが願望から解放されることはできない。 
 大事な点は、どんなことがあってもあなたの目的をたった一枚のカードにかけてはいけないという事である。例えば、全てをなげうって、趣味に熱中してはいけない。そうするとすぐに過ちを犯し、他人の目的か扉を自分のものと勘違いして受け入れてしまう。そして、一枚のカードに全てをかけ、あなたはバランスを失ってしまう。釣り合いをとるためのおもり、予備の事象、退路などが常に確保されていなければならない。そうすればあなたの魂は穏やかな状態にあり、平衡力があなたに作用することはない。例えば新たな職場を見つけたという保証がないうちは、これまでの職場をやめるべきではない。これまでに通ってきた扉をパタンと閉めてはならない。橋を焼き落としたりしてはならない。用心深く、計算ずくでありたい。これは自分の目的と扉であると絶対的な自信をも待ってても、失敗の場合には一文無しのホームレスになりかねないような極端なことは絶対にしてはならない。どんな人でも失敗しないという保証はない。
 ともかくも、あなたは事象選択という強力な技法で武装しているのだから、心配や不安の種はずっと少なくなるだろう。今のあなたは、少なくともコマの法則を知っているのだから、それだけでも大したことなのである。コマの世界では、人はその法則を知らないまま、コマとともにゲームに入っていく。だから、すぐに負けてしまう。これまでにあなたが知った方法によって、あなたはとても優勢な立場に立つことが出来る。しかし、これで全部なのではない。次に続く章では、事象選択の「奥の手」について述べてみたい。

〇所有する決意を常に維持する必要がある。目的を持ったスライドをあなたの中で再現することを決して自分に強いてはいけない。望ましい目的について考えることは、あなたにとって心地よいはずだからである。自分を説得したり、納得させたりという事だけはしてはならない。自分を説得することを長く行っても何の結果も得られないだろう。意図というものは自己暗示と違って、決断が受け入れられ、それ以上論議する余地はないという事を意味する。目的が達成されるのは明らかである。もし快適域を広げるのであれば、どんな疑念もひとりでに消え失せてしまうだろう。
 ここであなたがひどい間違いを犯さないよう注意しておきたいことがある。出来事が順調に展開することだけについて考えるようにするという、もう一つの偽りの固定観念が存在するという事である。奇妙に思われるかもしれないが、これは本当に偽りの固定観念なのである。一体いくつの固定観念があることか。あなたは成功についてだけ考える事で、うまくいった試しがあるだろうか。おそらくないのではないかと思う。もし自分のシナリオから否定的な事象を排除しようとしても、何の成果もないだろう。すべてが円滑に進むことについて、あなたは理性を説得できていないのである。理性は自分がそれを信じているふりをすることはできるのである。しかし、心の奥底ではあなたはやはり疑問を抱いている。なぜなら、理性が疑っているからである。魂は理性が物置にしまった否定的な事象をきっと見つけ出すことだろう。
 目的を持ったスライドには、目的達成のどのようなシナリオも入れる必要はない。このスライドの内容は、目的が達成された最終的な光景だけでいいのである。あなたの頭の中には既にそういう光景が存在している。あなたが行わなければならないのは、そのスライドを見て楽しみ、純化された意思の意図を利用して、足を運ぶことだけなのである。プロセスの視覚化はシナリオを扱う事なのだが、これは全く別物である。あなたは理性に、「今後、すべて順調に進むわけではないだろうが現在は、すべて順調に進んでいる」と言いう事を納得させる。乗り換え用に鎖の現在の輪の視覚化は、あなたが現在行っていることに足並みをそろえ、一歩だけ前進するものなのである。ひとたびハッピーエンドを自分に信じ込ませようとし始めたなら、目的を達成するまでずっとその操縦桿を握り続けることになってしまう。まだ起きてもいない問題のことは考えず、固く握りしめているものを離し、事象の流れに沿って穏やかに進もう。
 ミミズたちは、人生の意義や新しい発見をするために、芝生の植え込みからアスファルトの上に這い出してきた。彼らの運命はさまざまな展開を見せた。幸運なミミズは隣にある肥沃な国土が入った花壇までたどり着いた、数匹は鳥の餌食になってしまった。アスファルトの上を歩く物凄いモンスターに踏みつぶされたものもいる。太陽が顔を出し、アスファルトを温め、水分を奪うと、一匹のミミズはアスファルトの真ん中で動けなくなった。そのミミズは自分の過ちに気付くのが遅すぎた。アスファルトから抜け出すだけの力はもうどこにも残っていなかった。むごたらしい緩慢な死がミミズを長い間苦しめ続け、それは完全に干からびるまで続くはずだった。ところが、突然、ミミズは不可解な力によって持ち上げられ、湿った土の上に放り投げられたのだった。ミミズの立場からすればそんなことは不可能であり、それを理解することも説明することもできない。しかし、私にとっては超自然な事は何もない。私はミミズを哀れに思い花壇の上に投げてあげたのである。とにかく、この一人ぼっちの修行者君は、自分の目的と扉を正しく選んだようである。
 もしあなたの目的が達成困難なように思えるならば、失敗するかもしれないという重苦しい考えや疑いの気持ちによってせっかくのお祭りが台無しになる。それにしても不可能が可能になると、どうすれば信じることが出来るのか…。それは愚かしい問いの典型である。「どうやっても信じられない」これが答えである。すでに述べて来たことを繰り返そう。あなたは自分を説得することも、納得させる事も、信じるよう強制することもできない。こんな中身のない心配事など放っておいて、もっとましなことをしよう。それはつまり、目的に向かって足を運ぶというプロセスである。
 目的が達成困難に思えるという事実について心配してはならない。あなたにはそれがどのように達成されるのか、想像しがたいことだろう。しかし、それはつまらない心配なのである。あなたのやるべきことは注文の正しい選択であって、あとは給仕係に任せておこう。目くるめくような成功を収めた多くの人々が、そんな成功を得られるなどとは決して信じていないかったと、後日語っている。

〇もしあなたが目的と扉を決めることに時間を費やしたとしたら、それはつまり、あなたに意図があるという事だと思う。意図は願望を目的に変える。意図のない願望は決して実現しない。夢も叶えられない。目的は夢とどこが違うのだろうか。意図が願望と違うのと同じである。もしあなたに意図があれば、夢は目的に変わる。中身のない夢や空中楼閣では、何も変えることが出来ない。人生を変えることが出来るのは、意図、すなわち、所有し行動する決意だけである。
 あなたは自分の目的を決めることができ、それを達成しようとする決意に満ち溢れているとしよう。あなたは一日も早く行動を起こしたくてうずうずしている。さぁ、ここであなたが固く握りしめているものを話してみよう。目的の重要性を振り払い、それを達成する願望を諦め、事象を所有する決意だけを残すのである。そうすればあなたは純化された意図の枠内で行動するだけとなる。これはすなわち、望むこともなく、執着するもことなく、あなたに求められていることをすべて履行するという事である。
 目的へと続く道ですべてをダメにしてしまうのは、過剰な責任感、努力、勤勉さ、義務感の類である。通常の世界観からすれば、奇妙で聞きなれないように感じられることだろう。しかし、私がたわけたことを言っているとは思わないでいただきたい。すべての常識をひっくり返してみよう。
 あなたの扉を通って自分の目的へと進むのに、余計な努力をする必要は無い。自分を強制することもない。もしそうせずにはいられないのであれば、目的の扉が他人のものなのである。しかし、理性は障害と戦ったり乗り越えたりすることに慣れっこになっている。理性は、物事に過剰な意義を与えたりしていなければ、あなた本来の人生ラインには最小限の障害しかないはずである。
 まるで郵便受けからハガキを取ってくるような気持ちで、あなたは陣の目的へ向かわなければならない。意図から重要性や目的達成願望を取り除いたら、そこに残っている物はなんだろう。所有し足を運ぶ決意だけである。郵便受けに入っているはがきのことを問題視するのは辞めて、はがきに向かってただ足を運ぶことにしよう。問題についてあれこれ考えこむのはやめ、どうなるか行動してみよう。そうすると、問題は目的へと進む過程で解消されることだろう。
 意思の意図は、「私は・・・・を主張する」等のフレーズで象徴されるように、水面を両手で叩きつけるよう仕向ける。魂の意図は、「…というようになってしまった」等と表現されるように、全く別の働きをする。あなたが執着心をもって主張を続けている間は、事象の流れに沿って魂の意図に目的を実現してもらいうことはできない。目的がどのようにして実現されるのか、あなたの理性が正確にわかるわけもない。
 あなたの扉を通って確かな目的へと進むことは、よく踏み固められた平らな道を行くようなものである。もしあなたの重要性が最低限のレベルにあって、事象の流れに逆らおうとしないのであれば、だれも、何も、あなたを邪魔することは無い。あなたが自分の道を進むのであれば、困難な時期があっても心配する事はない。人生を楽しむことを自分に認めてやり、すべてを贈り物として受け入れよう。お祭りが何かの原因で暗転してしまったら、どこで重要性を高めたか突き止めてみよう。気分がどこか塞ぐのはなぜだろう。ここにそれに対する標準的な答えがある。どこかで自分に無理強いしたか、目的を達成することが持ちきれないか、何かに過剰な意義を与えたのかどれかである。掴んでいるものを放して見よう。
 重苦しい考えや感情は、快適域が十分に広くない結果として現れる事がある。目的を達成したことにより、あなたは大金を手にするとしよう。すると、すぐにたくさんの心配事があなたに浮かぶ。そんな大金をどこに保管しよう。投資するとしたらどこが有利か。もし失ったらどうしよう。賢く使うにはどうすればいいか。奪われたらどうしよう。もしそんな状態であれば、あなたにはまだ所有する準備が出来ていないという事である。夢の実現がそのような問題を伴うのであれば魂のぎこちなさは避けられず、また、そのような問題から自分を解放しようとする方向へ無意識的に向かうことになる。そのような場合、魂の意図はあなたに対抗して作用する。

〇私は、あなたやその他の誰かを信じるように求めてはいない。あなたは決して理性に信じるよう強要してはいけない。理性は事実だけを無条件で受け入れる。そのため、扉が理性にとってリアルなものとなるよう、あなたは目的とする人生ラインへ移動しなければならない。それが出来るのは、目的を持ったスライドを利用する事によるしかない。あなたの人生ラインの最初の部分では目的はまだ遠く先にあるが、理性には目的達成の道はすでにリアルに見えているのである。自分を説得したり、固定観念と戦うことは無益なことである。固定観念の打破はそんなところにあるのではない。魂の意図が、目指す人生ライン上にある新たな可能性をあなたに示してくれると、固定観念はひとりでに崩れてしまう。だからこそ、自分を説得したり、固定観念と戦う事の無いよう注意を喚起したい。あなたに必要なのは、目的を持ったスライドを頭になかで絶えず再生することだけである。これは中身のない抽象的な練習ではなく、目的への具体的な働きなのである。
 物質的現実化には慣性が働き、魂の意図は瞬時に注文を履行してくれるわけではないことを忘れてはならない。あなたには我慢が必要である。もし我慢が足りないと思うのであれば、あなたは目的がすぐに実現される事を熱狂的に望んでいるという意味である。そういう場合は振り出しに戻ることにして、まずは重要性を引き下げよう。あなたが熱狂的に臨んでいるという意味である。そういう場合は振出しに戻ることにして、まずは重要性を引き下げよう。あなたが熱狂的に臨んでいるという事は、あなたが目的達成の現実性に疑いの気持ちを抱いている意味でもある。リアルな展望が明けてくるまで、快適域の拡大に再び取り組むとしよう。
 コマはあなたの扉をカムフラージュして、とるに足りないものや価値の低いものに見せかけようとすることもある。あなたが簡単に屈託なく喜んでやることには全て意味と価値がある。あなたにはちょっとした取柄すら一つもないというわけでは無い。固定観念の枠内では何ら価値を持たないと思われる馬鹿げた考えが、必要とされる扉を開けるカギとなることだってよくある。自分だけが持っている一見不真面目な資質を、真面目な扉に投影してみよう。
 他えば、もしあなたに「ひょうきん者」という評判が立っているのなら、ひょっとするとあなたは偉大なコメディアンになれるのかもしれない。もしあなたには何の取柄もないけれど、化粧し着飾って歩くことは上手だと皆が言うのなら、あなたの扉はトップ・モデルをメーキャップしたり、デザイナーなどに導いてくれるのかもしれない。もしあなたはコマーシャルに腹を立てたり、宣伝に噛みついて、「それは間違っている」とか、「他のやり方があるだろう」とか文句を言いたくなるのであれば、それは単にあなたの不満ではなく、その分野で能力を発揮したいという隠れた願望の表れかもしれない。私は具体的な例を挙げたが、個々人の「一見くだらない」資質が、非常に意外な形で姿を現すこともある。もしコマと縁を切り、自分の魂に向き合うならば、個人的な資質が開花することだろう。もしあなたが本当に自分の愚かしい振る舞いを屈託なく喜んでやっているのであれば、それは何らかの意味を持っているはずなのである。
 以上述べてきたことはすべて扉の選択プロセスに関係している。ところで、あなたはすでに選んだ目的へと続く道の上にいると仮定しよう。扉が本物かどうか見極める方法が一つある。もし目的へと続く途上にいるあなたがエネルギーを失い、疲れ果てた状態ならばそれはあなたの目的ではないことになる。逆に、もしあなたを目的へと近づくハズの活動を行っているときに、インスピレーションが湧いてくるようなら、その活動はあなたの扉と考えて間違いないという事である。
 本物の扉を見極めるもう一つの方法がある。他人の扉があなたの扉のようなふりをすることもある。その扉はあなたの前では開いているが、一番大事な瞬間に目の前でパタンと閉じてしまうのである。他人の扉を通って道を進むと、すべては順調に言っているように思うのだが、最も大事な瞬間にあなたは失敗に見舞われる。もしこうしたことが起こったら、あなたは他人の扉を通って進んでいたことになる。そんなところにコマの狡猾さが現れている。コマは誰でも入ることのできるような扉を開けて、できるだけたくさんの信奉者たちをそこへ引き込もうとするのである。
 通常、あなたの扉の近くでは誰も群がってはいない。しかしもし扉付近にそこを通りたいたくさんの志願者がいても、皆すぐにわきによって道を開けてくれるので、あなたは自由に通ることが出来る。だれでも通ることのできる扉はみなのために開いているが、そこを通り抜けられる物は少ない。国がスターのサクセス・ストーリーを作り上げ、信奉者たちを「私のようにやってごらん」と挑発することを思い出していただきたい。蜃気楼に魅了された人々は皆一斉に同じ扉に殺到する。その一方で、こうした人々それぞれのために本来の扉の周辺には、全く人影がないのである。
 ところで、もしバランスを保つべきという法則をあなたが乱暴に破ってしまったら、あなたのための扉であっても目の前で閉じてしまうかもしれない。例えば、目的があなたにとって非常に大きな意味を持っていて、一枚のカードに全てをかけてしまうような場合である。もし意義を低くしたら、この扉を再び開けることが出来るだろう。これについては、本省の最後で述べることにしよう。

〇あなたの扉はあなたの目的へと導いてくれる道である。あなたが自分の目的決めた後で、どのようにしてその目的が達成されるのか、自問して見よう。遅かれ早かれ魂の意図があなたの目の前に様々な可能性を示してくれるだろう。あなたは、その中からまさしく自分の扉と思われるものを見つけ出せばいいだけである。可能性のある事象はすべて検討しよう。魂の快・不快テストで各事象を試してみる必要がある。これは、目的を選択した際と同じ原則に従って判断すればいい。
 あなたの目的が何不自由のない暮らしであると仮定しよう。それでは、何によってあなたは裕福な暮らしを可能にしたいのか決めること。なぜなら、お金はただ単に人により集まってくるのではなく、その人が成りたい役割に向かって集まってくるからである。例えば、ショー・ビジネスのスター、大手企業化、金融資本家、傑出した専門家などもあれば、遺産相続人というのもあるだろう。あなたはどういう役割の人になりたいのだろう。あなたにとって好ましいと思われる経済的な豊かさへと続く自分だけの道を道けることが必要である。何を気に入っているのか、理性にではなく、魂に質問してみよう、理性は社会的産物である。社会はコマの上に築かれている。社会はこう呼びかける。「有名人、政治家、金持ちになろう。権威があるからね」。しかし、コマにはあなたの個人的な幸福は興味がないから、コマはあなたの人生で必要とされるふさわしい場所を決めることを手伝おうとはしてくれない。
 あなたの理性もあなたの知り合い達も、例えば、法律家となどといった高収入の得られる職業に就くことが必要だと助言する。敏腕弁護士にでもなれば、お金はたっふりもらえるぞ、皆が口をそろえて言う。もちろん、たくさん稼ぎたいのは確かだが、その扉は他人のものかもしれない。その扉を通っても、全く見当違いの所に行きつくこともある。もしあなたの目的が正しく選択されているならば、あなたの扉は夢で見た事すらないような可能性へと通じている事だろう。あなたの要求が、家、車、高給であるとしよう。自分の扉を通って行けば、あなたがかつて要求したものが控えめすぎていて滑稽に思えるくらいになるだろう。だが、そうなるためには自分の扉の選択を間違ってはならないのである。
 焦ってはいけないし、選択に要する時間を惜しんでもいけない。もし慌てて、誤った選択をしてしまったら、もっと膨大な時間と労力を無駄にしてしまう。目的と扉の決定には、何か月もかかることがある。その期間中、あなたは普段以上に火の打ちどころの無いよう振る舞わなくてはならない。それはつまり。事象選択の基本原則に可能な限り厳格に従うという事である。事象選択の基本原則について、あなたはすでにご存じのはずである。
 まず一番目に、意識性である。次に続く行動についての動機をしっかりと把握する必要がある。あなたはゲームの決まりを理解して、意識的に行動ししているだろうか。それとも、コマに屈して意のままになっているのだろうか。
 内的重要性と外的重要性のレベルをチェックしよう。あたかもあなたが既に見つけ、手に入れたような気分で、自分の目的と扉について考えてみよう。威厳性も近寄りがたさも義務感も不要である。あらゆる重要性を振り捨てよう。あなたがすでに見つけ、手に入れたと仮定したのであれば、それはあなたにとっては見慣れたものだからである。
 前もって、失敗し場合のことと馴染んでおこう。うまくいったら問題ないが、もしうまくいかなかったら、それはあなたのものでは無かったことになる。嘆いてはならない。間違うことも仕方がない。自分の人生で失敗しても良いゆとりを確保しておこう。ただし、失敗は管理下に置かれていなければならない。そのほか、これから述べることにも含まれているのだが、悔しい失敗というのは決して敗北を意味するのではなく、ただ目的へと続く道によくある標識なのである。
 この扉にとっての保険や代替となる物を見つけよう。失敗を経験した扉をすぐに断念してはならない。橋を燃やして退路を断ってはいけない。注意深く行動しよう。すべてをたった一枚のカードに賭けてはならない。予備のルートも確保しておこう。
 あなたの目的のスライドを頭の中で再現することを中止してはいけない。スライドを再現することで、快適域が広がり、目指す人生ラインの周波数と同調する。魂の意図自体があなたに必要な情報を選らんでくれるだろう。
 この情報を見音とさないようにするため、あなたの目的と扉を探すスライドを頭の中に入れておこう。外部からの全ての情報はこのスライドを通そう。そして、あなたに適するかどうか、評価してみよう。その際に、理性ではなく、心のさざめきを聞こう。それについてあなたが何を考えたかで無く、その時に重苦しい感じがしたか、または元気づけられるような気がしたかに注目しよう。どんな情報であっても、魂との関係に注意を払おう。その瞬間が来たら、魂はにわかに活気づき、「これこそ求めていたものだ」と叫ぶだろう。
 それでも焦ってはいけない。目的と扉が明確なコンセプトにならないうちは、快適域を広げ、目指す人生ラインに思考放射の周波数を合わせるように努めよう。「その通り、私はこれを望んでいる。これは私の人生をお祭りに変えてくれるだろう」というハッキリした結論にあなたはたどり着かなくてはならない。そうすれば魂はウキウキし、理性は満足そうに揉み手をするだろう。

〇もし目的へと続くはずの道で常に障害を乗り越える羽目になるならば、目的自体が他人のものか、または他人の扉を通って目的へと進んでいるかのいずれかであろう。人生で唯一大事であると思われるのは、自分の目的と扉を決めることである。他人の目的に向かっていっても一生を浪費し、何も得られないことがあり得る。すべての努力が水泡に帰し、失敗の人生であったと認めるほど悲しいことはない。
 コマは人々に必要なことを行うよう、それも当たり前のこととして受け入れるよう教え込む。義務感という固定観念は、人生は全員が勤め上げなくてはならない契機であるとか、全員が果たさなくてはならない労働義務であるというように、愚かしいところまで来てしまった。人は義務感に慣れっこになり、魂の本当の目的は時期が来るまでと言いう条件付きで意識の最果て部分に移される。だが、人生は終わろうとしても、その時期は一向に到来しない。
 幸せは未来のどこかで輝いて見える。偽りの固定観念はこう請け負う。そんな未来が欲しかったら、奪い取れ、働け、成し遂げよ。しばしば人々は懐具合を考えて、好きな事を諦める。物事は興味と仕事に分けられる。糧を得るためには仕事をせざるを得ない。偽りの目的を設定すると、義務がコマにとってのもう一つの手段となり、人を自分本来の道から遠くへ連れ去ってしまう。
 実は、興味が本当にあなたの目的であれば、それでたっぷり稼ぐことも可能なはずである。あなたの興味が収入をもたらさないという理由でそれを諦めなくてはならないのなら、その興味が魂の選んだ目的と関係しているかどうか、ハッキリ判断してみるべである。あなたは関係なければ、それが収入をもたらすとは言い切れない。しかし、興味があなたの目的そのものだと断言できるのなら、あなたの人生に快適さの属性が現れのを待とう。目的が扉と合致しているのなら、懐具合を心配する必要はない。もしその人が裕福になりたいと望むならば、すべてはそうなるからである。
 ところが義務感という偽りの固定観念は、あなたが自分の目的に全てをささげることをさせない。それを証明するたくさんの例がある。こんな変わり者がいる。彼は、みなと同じように、義務である必要な仕事をするため職場へ通う。そして、自分の自由時間を想像や発明に充てている。自分の作品が高い値で売れることなど、彼には思いもよらない。パン一切れのために忍耐強く働かなくてはならないという絶対的な確信をもって、貧しい生活に甘んじているのである。彼の興味は「魂のため」である。これがどういうことかわかるだろうか。彼は地主のために、自分の人生の大部分の時間を使って小作人として働いているわけである。生きるために必要だから、その人の魂にとって膨大な労働時間の後に残されたわずかな時間しか自由はない。いったいその人は誰のために生きているのか。地主のためか。
 もしあなたの目的があなたの扉と一致しているならば、あなたは自分の趣味で裕福になることが出来る。目的を達成すると、ほかの残りの願望も自然に表現される。それに、結果はどんな予想をも上回るものとなるだろう。この世界では、魂が関与して成し遂げられたことは疑いなく極めて高い価値を持つ。反対に、理性による作品は、理性がいかに純粋であろうとも、価値は低い。すでにご理解いただいたとおり、真の傑作は魂と理性が一致して誕生する。目的へと続く道の途中で、もしコマがあなたを道に迷わせなかったら、あなたは傑作を作り上げることだろう。そのためには、心静かに自分の道を進み、コマの罠に引っかからないようにすることが必要である。それはとても簡単なことである。そのうちにあなたは大きな成功を収めるだろう。
 もし目的と扉が一致していない場合は、少し複雑になる。この結論に至る前に、よく考えて見よう。あなたの目的があなたの人生をひどく困難なものにすることはあり得ない。それどころか、あなた本来の目的を選ぶと、それによって人生は順調なものとなり、山のような問題からも解放されるのである。扉を慌てて選んではいけない。所有する決意がありさえすれば、扉は見つかるだろう。もしどこに自分の扉があるのかハッキリわからないのなら、スライドを利用して快適域を広げよう。重要性を振り払い、目的達成の願望とは縁を切ろう。あなたが事象を所有する決意を持つことを思い切って自分に認めてあげたら、魂の意図があなたにふさわしい事象を示してくれるだろう。

〇必要な情報の到来を自分で早めることが出来る。そのためには、自分の興味を持っている領域を広げることがとても役に立ち。博物館、見学ツアー、映画、町の反対側への散策、本屋巡りなど、まだ訪れていない好きな所へ行ってみよう。一生懸命に探し回ることはなく、ただ外からの情報域を広げて、観察してみるのである。
 時期を制限したりせず、そういうことを行う。時間を区切ることで自分を追い込んだり、目的探しを義務にしたりしてはいけない。「私の人生をお祭りに変えるものを探す」という方針を、あなたは頭の中にセットするだけでいい。
 以前に行った時よりももっと自分の感情について注意深く観察しよう。このようにセットした方針は、背景で常時作動しているようにしよう。あなたに届くあらゆ情報を、「これについて私は何を感じているか? 好きか、嫌いか?」というチェック・フィルターに通そう。
 遅かれ早かれあなたは「おお、これは大好きだ」と、内側で何かが急に活気づいたような何らかのサインや情報を受け取るだろう。その情報についてあらゆる角度からじっくり考えて、魂の快適な状態を注意深く見守ろう。
 これでようやくあなたは手段についてあれこれ考える誘惑から離れ、目的を定めることが出来る。その目的を達成するために所有し行動する決意が現れると、あなたの世界の層は驚くべき変化を遂げるだろう。まさしくそれが起こるのである。
 あなたは偽りの目的による重圧から解放され、ホッと安堵する。あなたは、魂の気に入らないことを自分に強いるのは、これ以上しなくても良い。あなたは未来における幻の幸せを求めて戦う事とは縁を切り、今ここで幸せを思い切って手に入れることにしたのである。いままでは理性が魂を箱から外に出したので、驚くほど軽快で自由な気分がしている。それはまるで春がやってきて、長い冬眠から目座めたようだ、落ち込んで気分や重苦しい感じは消え失せてしまった。依然は、外の世界で探そうとしてうまくいかなかったものが、自分の内部で見つかったのである。自分の目的に向かって進むこと気は、大変に心地よいものである。あなたの理性は、他人の目的という不要なガラクタを放り出し、目的達成の手段についての無駄な考えをやめ、ただ必要な情報を自分の世界の層に取り入れた。魂はおもちゃを選び、喜びのあまり飛び上がったり、手をたたいたりしている。あなたは偽りの固定観念を打ち破り、目的の達成が一見難しそうに見えるのに、思い切って目的を達成することを自分に認めてあげた。だからこそ、あなたの目の前で、今までずっと閉じていた扉が大きく開いた。ここまで来て遂に理性は目的が実際に到達可能であることに気付く。これで人生はお祭りとなる。喜び浮かれた魂は、理性のところへピョンピョン飛び跳ねてやってきた。理性は、目的を自分の世界の層に取り入れてくれたのである。魂と理性は、幸せへと続く平らで気持ちの良い道を楽しそうに手に手を取り合って歩く。幸せはもう今ここにある。