〇生体エネルギー特性を上昇させるという事は、決してエネルギーをため込むことを意味するものでは無い。こう述べると不思議に思われるかもしれない。なぜなら「私にはエネルギーが足りない」とか「私はエネルギーで溢れている」というような表現に私たちは慣れ親しんでいるからである。ため込むことのできるのは、カロリーという形での生理エネルギーだけである。そのためにはきちんと食事をとり、規則正しく休息することで充分なのである。人はどこにも自由エネルギーをため込むことは出来ない。自由エネルギーは宇宙から私たちの身体へとやってくる。エネルギー・チャンネルが十分に広ければ、自由エネルギーがあることになり、チャンネルが狭ければ、自由エネルギーは少ないことになる。だから、高い生体エネルギー特性というのは、何よりもまず幅広いチャンネルのことを示す。
自由エネルギーはいつでもどこでも無限に存在するから、好きなだけ取ってくればよい。自由エネルギーを自分自身の中に取り入れて、自分が宇宙の一部であると感じ取ることを習得する必要がある。それは一回限りの何らかの行為だけで達成できるとは限らない。取り巻く世界とエネルギー的に一体であることを常に感じようとしなくてはならないのである。
多くの自由エネルギーを貯めたら、強くなり、成功を勝ち取るように思われるだろう。そうした自由エネルギーの蓄積は、意思の意図の力によって世界に働きかけようとするための備えにしかならない。すでにご承知の通り、力ずくで世界を変えようとか、世界に勝とうとするのは、極めて困難で非効率でそうする甲斐の無いことであり、したがって、大変多くのエネルギーを消費することなのである。意思の意図の力で世界と渡り合おうとする人間はうぬぼれが強く過ぎる。本当はどの人間も大海の一滴にすぎないのである。
魂の意図はこの世界を変えようとしたり、この世界と戦おうとしたりはしない。魂の意図は、求められているものをこの世界でただ単に選んでくるだけなのである。魂の意図は「亜空間という名前の店」にいて、商品を値切ってまけさせることも、多くの売り手の中から選び取ることも必要としないものである。(亜空間は要するに私たちの人生において起こる可能性のあるすべての事柄がいまだ起こらないまま所蔵されているところと考えるとわかりやすいかもしれない。私たちはその中からある事柄を選択し、そのことによって事柄を現実化し、その連続によって人生が形成されると考える。)魂の意図が働くためには、エネルギーを貯める必要はない。そうでなくても自由エネルギーはどこにでもたっぷりある。私たちは文字通り自由エネルギーの中に漬かっているともいえる。だから自由エネルギーを貯めるという事は、湖で泳いでいて、万一に備えて水を口いっぱいにほおばるようなものである。自由エネルギーを蓄えようとしてはならない。自由エネルギーが二つの正反対の流れとなって自由にあなたの身体を通り過ぎるようにすればいいだけである。これらの流れが二つの反対向きの噴水となって球体状に閉じ合わされるよう、あなたは時々イメージすればいい。必要なことは以上で全てである。
エネルギーの塊になろうとせず、自分を大海の一滴だとイメージしよう。あなたは宇宙と一体化している。宇宙の一部であるという事を認めて、そのように感じてみよう。そうすれば、すべてのエネルギーがあなたの自由になる。自分の中にエネルギーを集中させるのではなく、宇宙のエネルギーと溶け合う。自分のエネルギー球体を拡大していき、取り巻く空間にそれを溶かし込もう。その際、自分が一部分であることを忘れないようにしよう。それが出来たら、ほんのわずかな魂の意図を微かに動かすだけで、意思の意図の力ではいつまでたっても絶対に不可能なことを、あなたはある程度の時間でやり遂げてしまうだろう。私はあなたの目的の達成について話しているのであって、だれかの顔に一発食らわすための意思の意図について話しているのではない。実際のところ、目の前の具体的な要求を満足させることが出来るのは、意思の意図の力によってのみ可能なのである。
自由エネルギーは、もしエネルギー・チャンネルの幅が狭まっていなければ、あなたの中に十分存在している。エネルギー・チャンネルが狭くなるのは、二つの原因によって起こる。汚れがたまったことによる肉体の不備と、常時ストレスにさらされていることである。肉体に汚れが溜まるとエネルギーが自由に循環できない。ストレス状態に置かれていると、チャンネル幅はもっと狭まる。例えエネルギーが上昇して短時間躍動できても、その後にはエネルギーが低下した状態が長時間続く。そのような時期に人間は十分活発には暮らすことが出来ないので、判で押したような生活を送ることになる。
年を取るとともに、エネルギー・チャンネルは益々萎縮していく。これは、年配者は成長をやめ、規則正しい生活を送るようになって、チャンネルの働きがほとんど停止してしまう事からくる。意図を最大限のレベルで利用せざるを得ないときが、チャンネルの鍛錬となる。人生にとって重要な目的を達成しようとすることで、人間は意図を刺激し、したがって、チャンネルをも刺激する。目標とする主な頂を征服した後は、意図のハードルが少しずつ下がってくる。そして、ついには、夕方になるとテレビの前の柔らかなソファーに身を鎮める以外にしたいことがなくなってしまうようになる。エネルギー・チャンネルの幅は狭まり、意図のエネルギーは失われ、生きることが喜びではなく苦しみになる。
幸いなことに、すべてを簡単に正すことが出来る。そのためにあなたは自分自身に強制して意図的に新たな頂きを目指そうとする必要はない。エネルギー・チャンネルはエネルギー体操によって十分に鍛えられる。しかし、もしあなたが中心部のエネルギーの流れやエネルギー身体の感覚を可能な限りいつも持っているのなら、より一層ううまく鍛えられるだろう。そうした状態はたくさんのメリットをもたらしてくれる。
あなたは周囲の世界と調和しバランスの取れた状態になり、周囲の変化に対して敏感に反応し流れに沿って順調に進む。あなたは、とめども尽きない想像の源泉である情報フィールドにつながっている。中のエネルギーを受け取ることも可能である。調和の取れた思考エネルギーを放射し、自分の周りに幸運と成功のオアシスを築く。
だが、大事なことは、魂と理性が一つになっている境界域、すなわち魂の意図に近いところにあなたが影響を与えていることである。こうして、魂の意図をコントロールするあなたの能力は発達し、願望は、より迅速に、より容易に、実現されるようになっていく。

〇健康な生体ネルギー特性というのは、特別な体操を定期機に行うことで発達させ維持することが出来る。体操とはとても簡単なもので、時間も短くて済む。力を抜いた状態で、好きなように直立していただこう。息を吸い込み、エネルギーの流れが地面から出てきて、会陰部へ入り、脊椎より女性で5cm、男性で3cm前を進み、頭部から出て、空へと去っていくことをイメージして見よう。次に、息を抜いて、天の高みからエネルギーの流れが下りて来て、頭部に入り、脊椎にそって下り、地面へ逃げていくとイメージして見よう。こうした流れを実態として感じなくても構わない。ただこのようにイメージするだけで十分なのである。時がたてば、あなたの感覚は訓練されてきて、実態として感じることを習得するだろう。
さて次に、両方向のエネルギーの流れが同時にそれぞれの道を交わることなく進むとイメージしよう。最初のうちは息を吸い込んだ時と吐いたときに交互に行っていただきたい。時間の経過とともに、呼吸にエネルギーの流れを関係づけなくてもできるようにしよう。あなたは想像力の力によってエネルギーの流れを早めたり、パワーを上げたりできる。今度は、上昇するエネルギーの流れが出ていき、頭上で噴水のように四方へと広がり落ちる様子をイメージしてみよう。同様に、下降するエネルギーの流れが出ていき、ちょうど両足の下で四方に広がってあがる様子もイメージしてみよう。あなたには上下に逆向きの二つの噴水がある。観想で二つの噴水のしぶきを結び付けてエネルギーでできた球体を作り、その内側にいるとイメージして頂きたい。この後、あなたの身体の表面に注意を集中しよう。ただ皮膚の表面を感じ取るようにし、次に、その皮膚表面の感覚を球体へと引き延ばしてみよう。これは風船に空気を吹き込むと膨らんで行くのと同じようなものである。あなたが観想で皮膚表面を膨らませると、出口のないエネルギーの噴水でできた球体は固定される。以上の全てを緊張せずに行うのである。全力を尽くして何らかを感じ取ろうなどとする必要はない。
エネルギーの中心部の流れを実態として感じられなくても心配はいらない。健康な内臓器官の感覚がわからなくても平気なように、エネルギーの中心部の流れを感じ取れないために諦めても、あなたはそれに慣れてしまうだろう。だが、定期的にエネルギーの流れに注意を集中していると、間もなく肉体感覚が生じるようになる。触感ほど明瞭なものではないが、十分にリアルである。
これがエネルギー体操である。エネルギーの流れを互いに球体へと閉じ合わせていくことで、あなたは自分の周りに保護被膜を作っている。身体の表面のエネルギーを球体に引き伸ばしていくことで、あなたは木興の保護被膜を安定して状態に固定する。エネルギー体操から受ける恩恵は計り知れない。第一に、エネルギー保護被膜は病気を含むネガティブな影響や心理攻撃からあなたを守ってくれる。第二に、自分の生体エネルギー特性を鍛錬する事で、細くなったチャンネルの通りが良くなる。エネルギーの動きを妨げているつまりは除去され、エネルギー漏れを起こしていた被膜上の穴は塞がれる。そうしたことの全ては一度に起こるのではなく、少しずつそうなっていくのである。反射作用を用いた治療や気功などの助けをいつも借り必要はない。あなた自身でエネルギーの正常な循環を取り戻すことが出来るのだから。
エネルギー保護被膜はエネルギー・バンパイヤやコマからあなたを守ってくれるわけではないことを断って置かなければならない。そうした寄生虫のような存在は、あなたの放射エネルギーの周波数に同調する事によってエネルギーをくみ取る。コマが獲物につかみかかろうとするときに、獲物の方はバランスを崩す。その瞬間、コマから身をかわすため、あなたは目を覚まして、重要性を投げ捨てる必要がある。筋肉は弛緩し、生体エネルギー特性は均衡状態になり、そしてコマはどこかへ消えていく。もしあなた自身が揺れていなければ、コマはエネルギーを奪うことが出来ないからである。あなたが思わずバランスを欠いた状態に陥った瞬間を常にコントロールするためには、意識性が不可欠である。

〇人間は無意識のうちにエネルギー・バンパイヤになる。そして、やはり無意識に他人のエネルギーを頂こうとする。人生のある時にバンパイヤは喜びや力がみなぎってくる状況に気付き、その後は、無意識のうちに味を占めた体験を繰り返そうとするのである。バンパイヤによる「施術後」のドナーはぐったりした気分になるるもし誰かと会った後、しょげ返ったり、やる気が失せたり、だるさや悪寒を感じたら、それはつまりあなたがエネルギーを盗まれたことに他ならない。
しかしながら、人々から圧倒的に大量の自由エネルギーを奪うのはコマてある。コマがどのようにしてそれを行うかについては、すでに述べてきた。コマは重要性というチャンネルを使ってエネルギーを受け取る。短時間だけ作用するバンパイヤと違い、コマは人間の思考エネルギーを吸収することが出来る。そのようなエネルギー放射の強さは重要性に比例する。
あなたが何らかのことで心配したり苦しんだりすると、あなたの生体エネルギー特性は弱まる。周囲の人々や動物はそのことをエネルギー・レベルで直感的に察知する。つまりあなたの意識性や自信が弱まるのであり。通りを歩く人々の中であなただけが犬に吠えられる。放浪者からはうるさく付きまとわて、お金をせびられる。エネルギー・バンパイヤはあなた体っぷりとエネルギーを頂戴することになる。あなたは厄介な状況に簡単に引きずれこまれるようになる。
誰もが潜在的なエネルギー・バンパイヤであると思ってはいけない。そのように身構えることによって、あなたはすでに自分の生体エネルギー場に入り込むことを許可しているのも同然である。望ましくない影響から身を守るには、自分のエネルギー保護被膜を強化し、重要性のレベルに注意し、自分の中の意識性を高めなくてはならない。
意識性が高まっていれば、あなたがゲームや罠に引きずりこまれようとしている危険な瞬間に、そのことをハッキリと理解することが出来る。重要性のレベルが低ければ、あなたの周波数に同調することが困難となる。特に注意を要するのは、たとえわずかでも罪悪感の欠片があってはならないという事である。もしあなたが無の状態であれば、あなたにつかみかかる所はなくなる。人形遣いは、一、二度あなたにつかみかかろうとして失敗すれば、あなたをそっとしておいてくれるだろう。そして、堅牢なエネルギー保護被膜は、外部からの侵入を防ぐ頼もしい盾となってくれる。
誰もが、目に見えないエネルギー保護被膜に包まれている。普通の人間はそれを感じることはできないが、イメージすることはできる。暑い風呂に入ったときのように、自分の身体位の表面全体を感じてみよう。私は「試してみよう」とは言っていない。ただやってごらんと言っているのである。試してみるのではなく、そうしようとすれば、すぐにそうなるのである。トレーニングは必要ない。エネルギーはあなたの身体の中心部から波のようにゆっくりと広がり、表面に出てきて、球体になる。自分の周囲が球体に包まれている様子をイメージしてみよう。これがあなたのエネルギー保護被膜である。リアルには感じ取ることが出来なくても構わない。想像するだけでも、あなたはエネルギー保護被膜のコントロールへと一歩前進していることになる。時間の経過とともに、リアルな感覚も訪れることだろう。
五感以外の能力が発達した人々は、エネルギー保護被膜の欠けている部分も感じることが出来る。どんな人も最初から五感以外の能力を持っているのだが、ただ利用しないでいるだけで、そのためそのような能力は休眠状態にある。目覚めさせることは、長い間のトレーニングによって可能だが、一瞬にして目覚める場合がもある。意図の力次第である。
もちろん一瞬で目覚めるような意図を持つことは難しい。しかし、ここでは自分の生体エネルギー特性を健康な状態へと誘導することだけで十分なのである。エネルギー保護被膜が弱いと、力ずくで侵入された場合に防ぐことが出来なくなる。

〇事象選択を実践するためには、どんな状況ても短時間リラックス状態になる必要がある。言葉による自己暗示は一切不要である。なぜなら筋肉は言葉ではなく意図によって操られているからである。身体の大半の筋肉は、それらに注意を払えば、意識的に弛緩させることが出来る。普段、私たちは、筋肉に痛みや違和感を覚えない限り、筋肉に注意を払いはしない。そこで、心眼によって全身に注意を払い、締め付けのある所を緩めるだけで十分なのである。しかしながら、意図に従わなくなった筋肉軍が存在する。それは運動不足がちになった最近の生活スタイルと関係している。例えば背筋を意識的に操ることは難しい。そのため年を取るとともに背中に痛みが出るようになる。ありふれたことのように思われるだろうが、特に背筋のための体操を定期的に行う事がとても大切なのである。
以上のことから次のことがてえる。
落ち着いて内なる視線を全身にさっと注ぎ、締め付けのある所を緩めよう。自分の身体の表面全体を一つのまとまりとしてあらゆる角度から注視しよう。あなたの皮膚は保護被膜であるとイメージしてみよう。すると、突如内側から急激に温まってくることだろう。身体の表面に注意を集中させよう。好きなようにイメージしてもよい。皮膚が温まってくる、ぞくぞくする、あるいはエネルギーが放出される。というのでも構わない。肝心なのは、あなたに皮膚があると感じることなのである。
では次に、シャボン玉の表面を動き回る虹色の光のように、まるで全身からエネルギーがあふれ出て来るように感じてみよう。この瞬間、あなたは宇宙の一部となり、宇宙とバランスの取れた状態にある。何かしら特別な感覚に達しようとしなくてもよい、各人が自分なりに感じるのである。のこ瞬間、あなたは宇宙の一部となり、宇宙とバランスのとれた状態にある。一生懸命に努力するとは全く不要である。何気なく、しかしキッパリと行っていただきたい、全身の表面が統合されエネルギーがあふれてくる感覚といううのは、リラクゼーション、バランス、取り巻く世界との一体化といった状況なのである。何回か試しているうちに、あなたはそうすることがすぐにできるようになり、リラックス状態に入ることが腕組みをするのと同じくらい簡単にできるようになるだろう。
私たちはみなエネルギーの海の中を泳いでいる。しかし、そのエネルギーを受け取ることは簡単にはいかない。なぜならエネルギーは人間にとってそれとわかるようには分布していないからである。意識的にエネルギーを受け取るためには、自分のエネルギー・チャンネルの幅を意図的に広げ、そこへエネルギーの流れを意識して送り込まなくてはならない。例えば、あなたは水を意識的に意図的に飲むが、宇ネルギーはそれほど明瞭な感覚を伴って自分の中に取り入れることはできない。人間は基本的に宇宙から意図的に「充電」する可能性を持っているが、この能力は退化した状態にある。
自分で宇宙からエネルギーを受け取るよりも、他人がすでに獲得したエネルギーを受け取ることはずっとたやすいことである。このやり方を利用しているのが、いわゆるエネルギー・バンパイヤである。他人が獲得したエネルギーは一定の周波数を帯びているため、簡単に自分のものにできる。他人のエネルギーをもらうためには、周波数を同調させればいいだけである。ラジオの振動回路がすべての電波をとらえるわけではなく、波長を合わせた電波だけをとらえるのと同じことである。エネルギー・バンパイヤもすでに他人が獲得したエネルギーを受け取る。そのために彼らは放射されるエネルギーの周波数に同調する。
バンパイヤは自分の獲物となる人の周波数に潜在意識のレベルで同調する。外見上、それは多様な現れ方をする。バンパイヤはどうでもよいような問いかけをしながら取り入るように近寄ってきて、じっと目を見たり、軽く触れようとしたり、手を取って放そうとしなかったり、話し込んで付きまとったり、性格や気性に合わせようとしたりする。
要するにバンパイヤは獲物となる人間の心の中へと忍び込み、そのフレイルを探り当てようとするのである。通常、バンパイヤは人間の精神心理に精通しており、人付き合いは良いが、魅力的とは言えば、しつこく付きまとうから、こうしたことはすぐに感じられる。事実、バンパイヤは自分のしつこさを認識しているので、できるだけそう思われないようにしている。
二つ目のタイプのバンパイヤとは、人形遣いのことである。ご承知のように、人形遣いは人が持っている罪悪感を弄ぶ。このようなバンパイヤは、他者の裁きに自分を委ねたいという気分に潜在的になっている人々や、困難な状況にあって他社からの助言を求めているような人々を、無意識のうちに探し出す。人は罪悪感のかけらでも持っていると、自分を裁き、その場で許してくれるような誰かを無意識的に探してしまう。
支援や助言とは、自分の核心に疑念を抱き、自分を他者による裁きに委ねたいと思っている者が求めるものなのである。こうしてバンパイヤとドナーはお互いを見つけ出し、どちらもが要求を満たす。人形遣いは自分の獲物の周波数に楽々と同調する。その際のやり方は簡単なものである。ドナーを不安にさせている問題にバンパイヤは軽く触れるだけのことである。するとドナーはすべてを打ち明け、自分からエネルギーを提供しくれるのである。
三つ目のタイプのバンパイヤは、ずっと粗暴で攻撃的なため「挑発者」と呼ぶことになる。このタイプは特に考えたりすることもなく、すぐさま正面攻撃に出て、獲物となる相手のバランスを失わせようとする。挑発者たちがどのように振る舞うかについて、あなたはよくご存じのはずだ。彼はらあらゆる手段を用いる。それとは分からないような嘲笑から始まり、果ては荒っぽい抑圧まである。要はドナーが自分を見失えばよいのである。ドナーからの反応とは、報復としての暴言、苛立ち、憤慨、恐怖、憎悪など何でもありとなる。

〇落胆したり緊張たりしている状態は、中心部を通るエネルギーの流れを遮断する。中心部のエネルギー・チャンネルは狭くなり、自由エネルギーの循環も緩慢になるか、あるいはまったく途絶えてしまう。このような状態では、意図はそのエネルギー源を失ってしまう。ストレス下に置かれている人間は、意図が遮断されているために、効率よく行動することが出来ない。またストレスはエネルギー・チャンネルの幅が急に広がるのである。そうなると人間は、普段の状態では出来ない、信じられないような行動を行う。そのような例は稀にではあるが起こり得ることが知られている。だが、大部分のケースでは、ストレス下に置かれた人間の能力や可能性は急降下する。
一日のうちで、人は多くのストレス状態を経験する。そうした状態の持つ影響力には幅がある。とても弱くてすぐに忘れてしまうものから、非常にに強くて長い間調子を狂わせるものまである。ストレスに対する肉体の唯一の反応は、何らかの筋肉群を緊張させる結果となる。そうした緊張は私たちにとってお馴染みとなっているため、気づかないだけである。しかし、それに注意を払えば、緊張はすぐに弛緩する。数分後、あなたは自分の顔のことなど忘れてしまい、再び顔はあなたの感情を写し取ったマスクをかぶったような状態で固まっていることだろう。
リラックスすることで、あなたは原因を除去しないままに、結果と戦っていることになる。肉体的な緊張の原因となるのは、精神的な緊張である。抑圧、不安、苛立ち、恐怖という状態は、筋肉が引きつったような緊張を引きおこす。もちろん筋肉を意識的に弛緩させることは、一時的に多少の軽減効果をもたらすのだが、精神的緊張は再びすべてを逆戻りさせる。精神的緊張を取り去るためには、重要性を投げ捨てることが必要であり、それで十分である。あなたは自分の気に障ることに過度な意義を与えてしまったがために、緊張状態にある。ただそれだけである。
ストレスは重要性による結果である。ストレスから逃れることは一瞬にして可能である。ただ重要性を投げ捨てるだけでよい。重要性を維持することは無駄で有害なことである。重要性という重荷を背負っていては、状況を好転させ、効果的に行動することが出来ない。ストレスのある状況では、目を覚まし、コマがあなたの重要性につかみかかろうとしていることを認識するだけで充分である。具体的な各ケースで、どこに重要性があるのか、簡単に突き止めることが出来る。重要性を投げ捨てることで、コマから解放され、効率よく行動できるという事を忘れないでいただきたい。高められた意義は常にあなたにあらがって働くことを肝に銘じるべきである。
どのようなややこしい状況でも、重要性のことを思い出し、意識して意義を引き下げることで充分なのである。唯一難しいのは、手遅れにならないうちに思い出すことにある。ストレス下に置かれたあなたは眠っていて、事象選択について何も思い出さない。ストレスから逃れるためには、目を覚まして、重要性を投げ捨てる必要がある。
もしあなたに心の快・不快に対して注意を払うという習慣があれば、手遅れにならないうちに思い出すことは、あなたにとって苦ではないだろう。不快を感じたらその都度、なぜだろうと自問してみよう。どこで意義が高められたのだろうか。それがあなたにとってどれほど「大事」なことであっても、意識して重要性とは縁を切ろう。純化された意図の枠内でのみ行動しよう。そうすれば、効果的に行動することになる。
ストレスへの免疫をつけるにはねどんなきっかけでも緊張してしまうという古い習慣を新しい習慣と取り替えなければならない。新しい習慣とは、可能な限りリラックスした状態にいるという事である。リラックスした状態というのは、決して不活発とか無気力を意味するのではない。それは、取り巻く世界と調和を保って存在している状態、すなわちバランスのとれた状態のことである。バランスのとれた状態とは、内的重要性も外的重要性もないことを言う。私は善人でも悪人でもなく、世界は良い物でも悪いものでもない。私はちっぽけな存在でも重要人物でもなく、世界は哀れな存在でも重要な存在でもない。等々。
重要性をなくすか、あるいは低いレベルに維持することが、リラックスした状態を達成するための主な条件である。重要性が高められていては、どのような条件下でリラックスしようとしても無駄なだけである。例えば、もしあなたが高い場所が嫌いならば、大きな家の屋根の端にいては決してリラックスできないだろう。重要性を投げ捨てることが不可能ならば、せめてリラックスしようとして力を使うことはやめよう。そのままでは、あなたは重要な状況のコントロールだけで無く、自分を抑制することにもエネルギーを消費をすることになってしまう。そんなことをする必要はない。自分を解放し、もし心配なことがあるのならば、好きなだけ心配したらいい。

〇事象選択を効率的に実践するためには、良好な健康状態と大変強力な生体エネルギー特性が必要となる。あなたは十分に健康であると仮定しよう。しかし、ほんとうに健康な人間がどのように感じるのか、あなたは単に知らないだけのこともあり得る。
もし朝起きることがなかなか出来ず、職場や学校へ行くことも気がすすまないのならば、またもし昼食後にぐったりし眠気に襲われるのならば、あるいはもし夕方、テレビのそばに陣取ることしか頭に浮かばないのならば、あなたの状態は健康的とはとても言えない。そのようなあなたには日々の生存状態を維持するだけのエネルギーしかないという事になる。
過剰ポテンシャルというお荷物を投げ捨て、コマから解放されることで、あなたはそれまで浪費していたかなりのエネルギーを追加して受け取る。しかし、エネルギーは多量にありすぎて困るものではない。この先、本章では、自分の生体エネルギー特性をより高いレベルにまで引き上げるにはどうすればよいかについてアドバイスしたいと思う。
生体エネルギー特性という言葉は、エネルギーを吸収して利用する能力という意味で理解することにしよう。人間の肉体では、エネルギーを仮に二つの形態に分けることが出来る。生理エネルギーと自由エネルギーである。生理エネルギーは食物を消化吸収することによって得られる。自由エネルギーは人間の身体を通過している宇宙のエネルギーの事である。両方が一緒になって私たちのエネルギー皮膜を形成している。人間のエネルギーは肉体の機能を果たすために使われ、また周囲の空間へ放射されもする。
宇宙のエネルギーは、人間を取り巻いている世界に無限に存在する。けれども、人間が利用していのはそのうちのほんの微々たる分量だけである。宇宙のエネルギーは人間の身体を通過して二つの方向に向かう。一つ目の流れは、下から上へと向かうもので、男性の場合は背骨よりも3センチ前方に位置し、女性の場合は5センチ前方に位置する。二つ目の流れは、上から下へと向かうもので、背骨にほぼピッタリ沿っている。人間の自由エネルギーの量は、中心部にあるエネルギー・チャンネルの幅による。この幅が広ければ広いほど、生体エネルギー特性は高くなる。
中心部を通るエネルギーの流れはずっと以前に発見されている。ここではこの人間のエネルギー構造の詳細についてはこれ以上説明はしないが、もしあなたに興味があればそうした文献をお読みしていただきたい。エネルギーは人間の身体の中を非常に複雑に循環しているが、それらについてここではあまり考えた無くてもいい。中心部にある二つの流れを考えることだけで、当面は十分に事足りるのだから。
もしエネルギーの正常な流れが乱れたら、すなわちどこかに「つまり」や「穴」が出来たら、様々な病気が生じる。逆に、内臓器官が病気になれば、エネルギーの流れも歪んでくる。生理的要因、例えば、肉体の老廃物の詰まりによってエネルギー循環が乱れているところと、エネルギーの流れの変化によって生理上の不調が引き起こされている所とを、ハッキリと線引きすることは難しい。鍼療法、マッサージ、その他の類似した方法は、エネルギーの正常な循環を回復してくれるため、エネルギー循環の乱れに起因する病気は治る。しかし、それは一時的な効果にすぎない。すべてが正常に戻るためには、忍耐についてだけでなく、エネルギー身体についても管理する必要がある。
人間の生体エネルギー特性は身体の筋肉の状態と密接に関係している。筋肉が緊張すると、目に見えないエネルギーの流れが正常に循環しなくなり、人間のエネルギー放射にとって障害となる。内部に緊張を抱えている人が打ち解けた仲間の輪に加わると、一言も発することのないまま全体の雰囲気を変えてしまうこともある。まるで緊張が重く垂れこめているかのようなのである。そうなると周囲の人々はわけもわからずにネガティブなエネルギーを受け取ることになる。緊張感はその場合前提における異質性をもたらし、平衡力を生み出す。エネルギーを希釈するか、発生したポテンシャルを反対記号のついたエネルギーによって除去することでバランスは回復する。緊張で過度に硬くなっている者がいると、仲間たちがからかい始めるのは好例と言える。
気分や活力は生体エネルギー特性と直接関係している。落胆、ストレス、疎外感、疲労、無気力は、エネルギーが不足している証拠である。高い活力を維持するには、生理エネルギーだけでは不十分である。人は肉体的に疲れていても、満足し元気になることが出来る。また、逆に、満腹で疲れていないはずの人でも、しょげ返りやる気のない状態になることもある。
人が快活に暮らすために重要な役を理を果たしているのは、ほかならぬ自由エネルギーなのである。自由エネルギーが不足記すると、お決まりの日課ですら自分に強制しないとできなくなり、そうなると創作活動や積極的な行動などはとても望めない。人が行うあらゆる積極的行動の背後に意図というものが存在する。自由エネルギーがないという事は、意図もないという事になる。
整理おネルギーは行動を遂行するためにだけ消費される。私たちが関心を持っている主ななものは、意図の形成に用いられる自由エネルギーの方である。これは意図のエネルギーである。自由エネルギーのおがげでを私たちには所有し行動する決意が生まれてくる。

〇他人の扉というものは、さっきまで難なく通れるように開いていたのに、突然音を立てて閉じてしまうものである。原因を探ると十分筋の通るものなので、理性としては帽子を脱いで両手を広げ、「こんなこと、だれも予想できるわけがないじゃないか」と言うしか無くなる。ではここに、理性が実現方法を考えても、目的達成の現実的な道、つまり自分の扉がわからない場合と逆の状況があるとしよう。だが、要するに、目的が本物であって、あなたの心に所有する準備が出来ていれば、あなたの扉は突如開く。もしあなたが所有することを自分に認めるならば、他人の扉でさえあなたの前で開くだろう。
いずれにせよ、あなたの目的もあなたの扉も一つだけあるのではなく、いくつか存在する可能性がある。だから、たとえもしあなたがかつて目指した目的のいくつかが、客観的に見てすでに到達不可能であるとしても、自分の新たな目的を探すことは決して遅くない。あなたは他人の目的を達成することも、他人の扉を通って進むこともでき、同時に自分の目的や扉を探すこともできる。始めてしまったものをすぐに投げ出したりしてはいけない。目指す人生ラインへの乗り換えは円滑に行われる。他人の目的のために働くことは可能で、そうしながら頭の中で自分の目的のスライドを再現しよう。そうすれば、しばらくすると魂の意図が今までて気付かなかった扉をあなたのために開けてくれる。その扉を通ることで、あなたの仕事は苦も無く変化するだろう。
他人の扉をあなたに押し付けようとするコマから完全に開放されることは、本当に可能だろうか。おそらくはあなたは、以前にも他人の扉へ押し入ったことがあっただろう。あなたが知識を身に着けた今であっても、間違いを犯さないという保証はない。だれもが必ず間違いを犯すものである。間違えたことで失望したり自分を責めたりすることだけはいけない。結局のところ、あなたは自分の扉を見つけるだろう。間違いを犯さないのは、何もやろうとしないものだけである。あなたの周りにはこのように無為に生きている人々がたくさんいる。彼らは自分のための目標を掲げたりせず、このような本を読むこともしない。彼らは持っているものよりももっとたくさんの物を欲しがるが、行動する意図を持っていない。このような人々が誇れる点は、間違いを犯さないというところにある。あなたは必ずや間違いを犯すだろう。だから間違いを犯すことを自分に認めてあげよう。本当の成功は、あなたの失敗の残骸の上に築き上げられる。
他人の扉に押し入ると、必ず困難と遭遇することになる。はたから見ると、あなたには障害を乗り越えようとして問題と戦っているように見えるのは、だれの目にも明らかである。表面上にはそう見えるのである。しかしながら、他人の扉へと進むよう強いられているあなたの魂が事あるごとに抵抗を示していることは、あなた自身も含めてだれの目にも見えない。理性は自分の意思によって圧力をかけ、最後まで戦わなければならないという。だが、自由な意思を持つ人々の魂は、こうした圧力に長い間耐えることが出来ない。そうすると挫折を味わうこともあり得る。最も残忍なのは、そのような挫折が看過できないつまらない失敗という形で表れることである。そのような挫折に見舞われると人は初歩的な過ちを犯してしまう。実力者と称される人たちも含めて、そのような目に遭う可能性は誰にでもある。
他人の扉へと続く道であなたを待ち受けているものは挫折であり、あなたは過ちを犯すことになるだろう。つまらない失敗をすることだけはあってはならない。自分をリースに出し、非の打ちどころの無いように行動しよう。逆説的ではあるが、大きな過ちは許されるものである。しかし、あなたがしでかした小さなミスは誰も許してくれない。せめて親しい人々から同情してもらおうと思っても無駄なことである。もしこうした正しい人々が経済的または社会的に多少なりともあなたに依存しているのであれば、なおのこと同情は期待できない。なぜならあなたは彼らの期待を裏切ったからである。
非難する側の人たちや人形遣いたちは、自分に高い目標を掲げたりしないので、過ちを犯すこともない。容赦できないつまらないミスをしでかして、あなたを非難する口実を彼らに与えないようにしよう。些細なことでは完璧に行動しよう。そうすれば他人の扉へ向かう道での挫折も、それほどひどい物にはならないだろう。
親しい人々からの助言には特に用心するべきである。なぜなら彼らは「全身全霊であなたの幸福を祈っている」からである。もしあなたが頑固に自分の道を進み、敗北を喫したとすると、親しい人々からの許しの言葉をかけてもらう事はないものと思っていた方がよい。彼らは大声で騒ぎ立てるだろう。「我々はお前さんにあれほど言ったのに、いつもお前さんは耳を貸そうとすらしなかった」この時のあなたは、非常に弱い立場に立たされている。あなたは失敗でとても気落ちしているから、人形遣いたちはこの機会に付け込み、あなたを服従させようとする。彼らにとっては好機である。こうして人形遣いたちは自己肯定を行い、そして、あなたはおとなしく従順になり、彼らの意のままとなる。
困難な状況に陥った人は、必ず助言者たちや人形遣いたちによって取り囲まれる。彼らはみな自分たちの目的を追いかけている。失敗した物を教え諭することで人々から尊敬を勝ち得たいか、あなたを思い通りに操る可能性を手に入れたいか、あるいは、あなたに身の程をわきまえさせたいか、いずれかの目的を果たそうとしている。彼らの言葉は、表向きは、「衷心からの同情」を示していても、本当の意味はこうなる。「何やっているんだ、お前が俺たちよりも優れているだなんて、まさか。一緒に座っておとなしくしていろ。俺たちのように生きるんだ。俺たちの方が人生を良く知っているのだから」。弱い立場に立たされているあなたは、こんな疑念にとらわれる。「ひょっとしたら彼らのいう事が正しくて、自分は何もわかっていなかったのではないだろうか」
助言者や人形遣いたちの言う事を聞く価値あるのだろうか。彼のどこが正しいのか。あなたが過ちを犯したという指摘だけは正しい。何かを達成しようとすれば、だれもがいずれにせよ過ちを犯す。賢者と言われる人たちの助言に従った場合でさえそうなのである。しかし、あなたの目的を見つけることが出来るのはあなただけである。他の誰もあなたの目的を積みけることは出来ない。心からあなたの幸せを望んでいる人でさえ、あなたの魂をうかがい知ることはできない。なぜならあなた自身ですら自分の魂の声を、心のさざめきとして耳にするくらいだからである。これはつまり、ほとんど聞こえないという事なのである。他人の影響に屈してはならない。あなた自身を信じよう。自分の目的を探す時には、誰の言う事も聞かず、自分の魂にだけ耳を傾けよう。このためには、コマに対しては頑固で毅然とした態度をとり、自分の魂に対しては十分に注意深くあるべきである。
運命を選択するプロセスにおいては、亜空間にある目的と扉が全てあなたのものであるとは限らない。これは、あなたのものではないものを選んではいけないという意味では無い。だれもそうすることを禁じてはいない。しかし、もしそうなってしまったら、あなたを多くの問題が待ち受けることになる。そういった問題は本当に必要なのだろうか。他人の目的や扉を選ぶことで、あなたは最も抵抗の多い道を進む事になる。誰にとっても、自分の目的と扉は、他人の度何目的や扉よりも素晴らしく思われる。それが、選択の自由というものの魅力である。しかし、選択の自由を手に入れるためには、あなたに他人の目的と扉を押し付けようとするコマの影響から解放されることが必要である。

〇もしあなたが、他人の目的に向かって歩いていて、その目的をあきらめたくないとしたらどうすればいいだろう。他人の目的を達成することは可能だろうか。もちろん可能である。事象選択の技法を身に着けたあなたは、コマの法則を知らない人々と比べて極めて有利な立場にいる。しかしながら、他人の目的を達成するためには、より大きな努力を強いられるから、あなたはこのことを肝に銘じておかなければならない。他人の目的へと続く道では、自分の目的へ進む場合と全く同じ原則に従う必要がある。あなたが他人の目的を達成しようとする場合には、原則の全てを完璧に守られなければならないことになる。他人の目的を達成することについて、言うべきことは以上である。
あなたが選んだ目的が他人のものであるとしよう。その目的を諦めるべきか否か、私の助言を聞きたいだろうか、もしそうなら、それはつまり、あなたは事象選択の原則をまだ完全に自分のものにしていないというとなのである。ここでは、だいたいの見取り図が掲載されコマの法則が開設されている。しかし、決定を下すのはあなた自身でなければならない。もしあなたが自分の運命に対する責任を自分で背負う覚悟がないのなら、事情選択もあなたを手助けするとはできない。事象選択の方法は、あなたが意図というものの操縦桿を握っているときに限って働くのである。この操縦桿をどう取り扱うかについて、あなたはすでに知っている。けれども、どこへ向かって進むかを決めるのはあなたである。出来合いの解決方法はコマによる指金である。あなたが他人のための解決方法を利用すると、自分の運命を他人の手にゆだねることになる。
もし他人の目的を諦めるにはもう遅すぎるというところまで来てしまったのであれば、そのまま進んで他人の目的を達成する可能性も十分にある。そのためには、願望や重要性から自分を最大限に解放しておく必要がある。他人の目的へと続く道には障害が多い。しかし、障害の大部分は理性が事象の流れと戦ったり、重要性のレベルを高めたりする過程で、理性自らによって生み出されたものである。自分をリースに出そう。少し距離を置き、意識して行動しよう。問題や障害とは戦わないようにしよう。重要性を放り出したら、問題や障害はひとりでに解消される。
あなたが自分の目的へと進んでいるとしよう。ところがその途中で、克服するのが難しそうな障害と遭遇した。何によってそのような障害が引き起こされたのだろうか。もうあなたは容易に原因を突き止めることが出来るだろう。どこで重要性のレベルを高めたか、何に必要以上の意義を与えたか、どこで事象の流れと戦おうとしたか、などについて分析してみよう。重要性を投げ捨て、自分をリースに出し、事象の流れを信頼すれば、すべてはうまくいく。
あなたが他人の扉を通って自分の目的へと進んでいる場合は、目的があなた本来のものであっても達成されない事がある。おそらく熟慮したうえで別の扉を選ぶ方が賢明だろう。しかし、別の扉を選び直す前に必ず重要性を投げ捨ててみて、どうなるかしばらく様子を見てみよう。もしあなたがどこかで重要性のレベルを大きく上げていたら、あなたの扉でさえもバタンと音を立ててしまってしまうことがある。例えば、すべてをたった一枚のカードにかけてしまったとしよう。この場合には、目的の達成が計り知れないほど大きな意義を持つことになるだろう。もしあなたが重要性を投げ捨て、自分のための保険や予備ルートを確保すれば、扉は再び開くだろう。

〇インスピレーションは明らかにコントロール不可能で予見できないにもかかわらず、理性がインスピレーションを自分のコントロール下に置くための十分手ごたえのある方法がある。ところが、このコントロールは全く別の方向へ向けなければならないのである。ご存じのように、理性は、隣の小窓が開いているのに、自らの意思の意図によって閉ざされたガラスまでに打ち当たる。やらなくてはいけなかったのは、全く正反対にふるまう事だった。
まず第一に、目的を達成しようとする願望を諦めよう。もしそれがあなたの目的でれあれば、それはあなたからどこへも逃げたりはしない。遅かれ早かれ目的は達成されるだろう。重要な役割を果たすのは、あなたの側に忍耐強さや決断力が完全に無い状態での、所有する決意だけである。あなたは郵便受けからハガキを取り出すように穏やかな気持ちで執着することなく、自分のものを掴むのである。あなたがこの郵便受けに向かっている間、意思の意図はあなたの足を前進させる働きだけをする。
第二に、「神秘性」へのあらゆる準備を断念しよう。神秘性が含まれているようなインスピレーションへのあらゆる準備は、過剰ポテンシャルを発生させてしまう。あなたが身構えるという事は、あなたに無いものを自分へ引き寄せたいという事なのである。準備の儀式が念入りに行われれば行わるほど、その分、結果は悪くなる。何らかの行動、行事、出会いに向けて、とても熱心に準備した状況を思い出していただきたい。結局、何もうまくいかず、結果は頓挫し、出会いは果たされなかった事だろう。もし平衡力が物質の相互作用を乱すことが出来るのであれば、平衡力はほとんど捉え所の無いインスピレーションを軽い綿毛のように吹き飛ばしてしまう事だろう。
第三に、インスピレーションの訪れに期待することをやめよう。インスピレーションの本質は、それを持っていないときに現れるという点にあるのではないだろうか。それならば、なぜインスピレーションを持つ必要があるのだろう。持つことはインスピレーションが現れる条件そのものを台無しにしてしまうのである。
さて、このようにあなたはこれら三つの条件すべて満たしたとしよう。あなたの意思の意図には何が残されているだろうか。足を運ぶ決意、つまり、行動する決意だけである。ただ自分のやるべきことを始めよう。それも、インスピレーションなしでである。そうしていると、インスピレーションが現れることもあるだろう。インスピレーションは仕事のプロセスで解き放たれる。あなたが行動し始めない内は、願望や期待のポテンシャルを完全に散らすことはできないだろう。その行動の上手下手は問題ではない。ご存じのように行動において作用する意図が過剰ポテンシャルを散らすのである。
結局のところ、次のような話になる。あなたは、自分のために食卓を整え、自分のためにろうそくに火をともし、くつろいだ気分で食卓につき、だれの来訪も期待するとなく、自分の喜びのために紅茶を飲み始めるのである。たぶん移り気なミューズ神は、あなたのそんな平然とした態度に刺激されるのだろう。そこで彼女は姿を現し、あなたのお茶会に同席する。これが秘密の全てである。

〇必要とされる扉を通って自分の目的へと続く道を進むとは、幸福の波の波頭に乗って、疾走するような気分がすることだろう。魂は快適な状態に置かれ、あなたは調和の取れた思考放射エネルギーを発することが可能となる。幸運の波に関する章では、こうしたエネルギーの伝播についても考えた。それにしても、自分の中にポジティブな高揚感のような感覚を意図的に引き起こし、それを常時維持することはとても難しい。しかし、今のあなたは、魂と理性が一致した結果として、喜びと穏やかな気持ちを得ることが出来たのだから、あなたからのエネルギーの電波はひとりでに調和され、調和のとれたものになる。あらゆる問題は修正され、それらのほとんどが自然に解消される。意図的にインスピレーションを呼び起こそうとしないのであれば、あなたはしばしばインスピレーションに見舞われることだろう。
インスピレーションとはどんなものであれ素晴らしい、ただし、インスピレーションは神秘性と霊妙さという光の輪に包まれている。インスピレーションを呼び起こす事はとても難しく、いつもそれは突如、自然発生する。まるで窓明かりを見て在宅を知ったミューズ神が通りがかりに舞い降りるように、その後、このミューズ神は急に飛び去り、長い間姿を現さない。ミューズ神が次に現れる瞬間を粘り強く見張っていても、この女神を引き付けることはうまくいかない。どうすればミューズ神が現れてくれるのか、さっぱりわからない。
ところが本当は、すべては思ったよりもずっと簡単なことなのである。インスピレーションとは、重要性のポテンシャルが存在しない時に、魂と理性が一致した状態である。この定義の後半部分は、お解りであろう。インスピレーションとは魂が高揚した状態であり、そういう時創造プロセスは楽々と簡単に、そして、光り輝いて進む。インスピレーションが魂と理性が一致した時に限って訪れるのは極めて明白なことである。あなたが行っている仕事をあなたの魂が気に入らないのであれば、決してインスピレーションは現れない。
あなたが自分の目的を実現しようとするときには、魂と理性の一致が無条件で達せられるだろう。これがインスピレーションの一番目の必要条件である。しかしながら、これだけでは十分条件とは言えない。なぜインスピレーションは突然現れて、その後どこへともなく姿をくらますのか。疲労と何か関係でもあるのだろうか。しかし、インスピレーションが訪れた状態では、ほとんど疲労らしい疲労を感じずに、何時間でも働くことが出来る。
インスピレーションはどこから現れて、どこへ消えるのか、その理解の助けとなるのが、先ほどの定義の前半部分である。あなたはすでに何のことか、推察できたと思う。インスピレーションは現れるのでなく、重要性のポテンシャルが低くなった時に、ただ解き放たれるのである。この重要性とは、いったい何が原因で高まったのだろうか。まず第一に、目的の達成を強烈に臨むと重要性が高まる。そして、第二に、インスピレーションを得たいと執着することによつても重要性は高まるのである。
目的を達しようと望んでも、あなたはそれを達することが出来ないことについて、私は何度も述べた。目的を達成しようとするもどかしいまでの願望は、魂の意図の風の代わりに平衡力のつむじ風を巻き起こす。こうしてできた平衡力の生で、あなたの大切な要請やミューズ審は一目散に逃げていく。インスピレーションを起こそうとする願望も全く同じ本質を持つ、インスピレーションの訪れを期待してどんなに準備をしても、重要性の過剰ポテンシャルを作ってしまうだけである。
あなたは念入りに自分の仕事場を整え、あらゆる細部まで考え抜いて整理整頓し、すべてをきちんと棚にいれ、十分休養し、心の準備もし、要するにミューズ神と出会うためのあらゆる条件を整えた。こうした綿密な準備によってあなたはすでに重要性のポテンシャルを物質化したので、窓の外では平衡力の風が「注意しろよ」とうなり声を上げ始めている。さて、あなたは食卓を準備し、ろうそくに火をともし、いつ来るか予想もつかない女神の来訪を椅子に腰かけ今や遅しと待ち構えている。だが彼女はいつまでたっても現れない。現れないことはきっと確かである。なぜならそれは無駄な期待であり、はなはだしく膨れ上がった願望だからである。窓の外では平衡力の風が荒れ狂っているので、翼をもった女神は誰一人として、あなたの家へは近寄ろうとしない。
もし絶望のあまりあなたの堪忍袋の尾が切れたりしたら、荒れ狂う風がガラス窓を破って、家のエネルギー状態を混沌ためものに変えてしまうだろう。あなたの魂と理性の間にできた壁によつて困惑は深まり、かつて魂と理性が一致していた時のような状態にまで拡幅させるためには、長い時間を必要とするだろう。インスピレーションの願望準備、期待がどういう事態を招くかよくご理解いただけたと思う。
このようにあなたがインスピレーションの期待に執着する気持ちを捨て去らない限り、そせれは現れないのである。インスピレーションはやってくるのではなく、重要性のポテンシャルが過ぎ去ったその瞬間にただ解放されるものなのである。反対に、理性が待ちきれなくなって魂を箱の中に押し込むと、インスピレーションは押さえつけられる。すべてを自らの意思のコントロール下に置こうとする理性の有害な習慣は、せっかくの夕餉を台無しにしてしまう。
