〇こんな疑問が頭に浮かぶかもしれない。他の人々は自分のことのみに没頭し、私の話など聞く耳を持たないのに、なぜ私が彼らの話を聞き、彼らに興味を示し、彼らに注意を払い、彼らを愛し、慕わなくてはならないのか。では聞くが、なぜ他の人々があなたに関心を持ち、感激し、愛し、慕わなければらないのか。あなたが自分自身について思い浮かべていることの全て、…私はこうであり、彼らと比べるとこんなだ…というのは全て依存関係や重要性の過剰ポテンシャルに姿を変えた意思の意図による作りごとにすぎない。あなたの意思の意図とは、大きな存在意義を持つことから成り立っている。あなたの意思の意図と縁を切り、他者の意思の意図の現実化に手を貸す場合に限り、あなたは他者の目から見て大きな存在意義を本当に持つようになる。あなたの優位性は、自分の魂の意図を利用できるという点にある。他の人々はその方法を知らない。自分の優位性を活用しよう。
一般的に言うと、あなたが他者から何かを手に入れたいときは、ある万能の法則を用いることが出来るのである。その本質は、手に入れるという意思の意図を断念し、与えるという意図に置き換える点にある。これはとても簡単にできることである。
あなたは他者から認められ尊敬されたいと望んでいるだろうか。なら、自分が尊敬されることを求めてはならない、あなた自身が相手を尊敬し、相手があなたの目から見て大きな存在意義を持っているのだと感じるようにしてあげよう。あなたが求めているものは共感と感謝であろうか。探し回ってもダメなのである。他者の問題に対しては心から気遣い、関わろう。あなたは相手から行為を得たいのだろうか。済んだ眼差しを向けても好感は得られない。あなた自身が相手に好感を持てばあなたは相手にとって明らかに好感の持てる存在となるだろう。あなたは援助や支援を必要としているのだろうか。それなら、あなた自信が助けてあげるのである。そうする事で、あなたは自分の存在意義を高めることになり、一方、相手は自分の存在意義が薄れることを望まないから、借りを作ったままでいようとは思わないだろう。
さあ、いよいよ待ちに待った質問。あなたは相思相愛を望んであるのだろうか。そうであれば、占有権や依存関係を諦めよう。もしあなたがいかなる期待も抱かずに相手を愛するのなら、占有権や依存関係を諦める事になる。そのような愛には滅多にお目にかかれないから、だれもその誘惑に屈せずにはいられない。以上述べてきたすべてのケースにおいて、あなたは諦めたものを必ずや手に入れることになる。
もう一つ質問がある。人が何かを行うよう促すにはどうすればよいか。というものである。もしあなたがが権力を持っているのなら、意思の意図によって相手に強制することが出来る。また、そうする必要性について相手を説得することも可能である。しかし、魂の意図は最も効率的な方法を提示している。相手自らがあなたを助けたくなるように持っていくのである。そのためには、自分の要件が相手の目的や思考と合致することが必要となる。あなたが望むことと相手にとって必要なこととをどのようにして結び付けるか、という問題に取り組んでみよう。
まずは相手の求めるものを特定しよう。相手は何を目指しているのか。相手には何が不足しているのか。お金、権力、周囲からの尊敬、見事にやり遂げた仕事からの満足感、子供たちへの配慮、威信、集団内の地位、社会における名声、等々。これらすべては自己の存在意義という言葉でくくることが出来る。

〇さて、ここで一つ考えてみよう。あなたが相手に自分を押し付けようとする場合と、なあたが相手に関心を示す場合とで、あなたは何を得られるだろうか。当然ではあるが、あなたが相手の存在意義を認めることで相手に満足感を与える方が、相手の全てのパラメーターに合致するようになるのはいうまでもない。もし相手がそうした満足感を得たら、あなたの持つ明らかな欠点には目をつぶり、あなたの弱点も許してくれることだろう。相手はあなたの悪い面全てを大目に見てくれるのである。一方、あなたはというと、自分の短所について心配しており、それを隠し、長所を見せようとしている。繰り返すが、あなたの長所や短所に相手が関心を示すのは一番最後であり、一番最初に相手が関心を示すのは、あなたとの付き合いの中で得られる相手自身の存在意義という感情である。
あなたはどのパラメーターに関しても「スーパー」であるかもしれない。しかし、そうだからと言って、友人探しやパートナー探しでそれが役に立ってくれるわけではない。現実は逆で多くのスターたちは孤独に苦しんでいるのである。あなたの卓越したパラメーターは、パートナー探しにおいてはある程度の害をもたらす事さえある。人はあなたが「スーパー」であるとわかるが、その人はあなたの輝かしい光の中で自分自身がかすんでいると決めるつける公算の方が大きい。あなたの立派なパラメーターは放っておいて、相手に全神経を集中し、あなたの隣にいる相手が自分の存在意義を感じるようにしてあげよう。そうすれば、その人はあなたに魅了されることだろう。
人々に関心を示そうとするのであれば、心からそうしよう。あなたは相手の好意を得るやり方を心得ているとか、あなたにはどこか打算的な所があるなどと、相手が思うようではいけない。もし人々から好意を得ようとするのであれば、相手は少なくともあなたが心から関心を示すに値するような人でなければならない。
多くの人々は面白い話し相手であるという評判を勝ち得ようとして、自分を最もよく見せようと努める。ほうら、私はこんなに賢いのよ、私はこれほど経験豊かなの、という具合にである。このような働きは意思の意図によるものである。大部分の人々は、自分を面白いと思ってもらおうとして、まさにそんな風に振る舞う。こうした似たり寄ったりの思考パターンから一歩踏み出し、別のスタンスを取ってみよう。自分を魅力的な話し相手だと思わせるのではなく、相手が面白い話し相手になれるようなきっかけを与えてあげることを、あなた自身の使命と心得よう。相手に質問をし、相手の話題や相手自身に関心を示しながら、相手の周波数に同調し、熱心に話を聞こう。こうしてあなたは数時間を相手とともに過ごすが、主に話をしているのは相手の方となるようにするのである。おしまいに近づくころになると、相手は、あなたという素晴らしい人格を持った好ましい話し相手に出会ったと、間違いなく感心するだろう。
こんなふうにあなたの魂の意図は作用する。あなたの魂の意図は、他の人々の意思の意図が現実化する事を可能にする。その結果、あなたは断念したものを受け取ることになる。あなたは自分の人格をこれ見よがしに示すことをやめ、他者の個性が現れ出ることを助けてあげたのである。あなたがこうした事をあり遂げるや否や、相手はあなたの崇拝者となる。なぜならあなたは相手の意思の意図が現実化することを可能にしてあげたからである。相手はどんなスターであろうとこのような経験をすることは出来ないのである。
さて、もあなたが自分に関心を向けたい相手が、あなたのことを付き合うべきパートナーとみなしていない場合はどうすればいいのだろうか。例えばあなたは仕事相手にあなたの企画書を採用してほしいのに、相手はそうしたいとは思っていないとしよう。あなたの企画書を採用する事にただ単に関心がないのである。そうであれば、なおさらあなたは自分のことも自分の仕事のことも忘れ、全神経を相手だけに集中させた場合に限り、相手の関心があなたに向くことが期待できる。相手が興味を持っていることすべてに心から関心を示し、それを相手との話題にしよう。そんな場合に限って、相手はあなたの問題に興味を持ってくれるようになるだろう。

〇もしあなたがくつろいで振る舞う事を目的にしてしまったら、何にもならないという事に気付いていただきたい。もちろんスライドを利用すれば、何かしら得られる。だが、そうなるには一定の時間を要する。パーティーは今晩開かれる。重要性を取り払うだけで、手っ取り早くくつろぎが得られる。そうはいっても重要性を投げ捨てることもたやすくはできない。あなたは自分を最もよく見てもらおうとする願望を達成することもできなければ、その願望を断念することもできない。
このような状況から脱することはとても簡単である。あなたと会話を交わしている人が一番気にしているのは、その人自身がどうみられているかという事である。人々は自分のことだけで頭がいっぱいだと思って間違いない。そこであなたも彼らのことに関心を持ってあげるのである。注意を自分のことから他の人々のことに切り替えよう。自分の見張り役を活発に働かせ、自分の存在意義を高めるゲームに参加する事はやめること。その代りに、ほかの人々の存在意義を高めるゲームをする。他の人々のことに関心を示し、彼らの話を傾聴し、観察しよう。取り入ろうとする必要はなく、ただ流れに沿って進むだけでよい。あなたが自分の注意を向ける先を自分自身から他の人々に切り替えたら、自己の存在意義による過剰簿テンシャルはすぐひとりでに消え失せてしまう。すると屈託なく振る舞う事も出来るようになってくる。
自分に注意を引き付けるためには、周囲の人々に関心を示すだけで十分である。周囲の人々の話題は、あなたが関心を持っていることでなく、彼ららが関心を持っていることにしよう。それには彼ら自身のことも含まれる。そのような場合、あなたの意思の意図は魂の意図に変換されることになる。周囲の人々はそんな話し相手にたちまち興味を示し、あなたの魂の意図から逃れようが無くなってしまう。魂の意図は常に全く理解しがたい形で作用する。他の人々の関心を引こうとしても無駄なことである。それは意思の意図だからである。一方、ほかの人々に関心を持つというのは、魂の意図なのである。意思の意図と縁を切り、他の人々に注意を切り替えると、あなた苦も無く彼らからあなたが望んでいた成果を受け取るだろう。魂の意図があなたに代わってそれを行ってくれるからである。
あなたがほかの人々に関心を寄せることによって彼らの注意をあなた自身に向けるというのは、どのようにして起こり得るのだろうか。興味津々ではあるけれど、本当にそうする事で自分自身がもっと興味深い存在になるのだろうか。たとえあなたが今の千倍も魅力的であろうと、いつも人々はまず何よりも自分個人のことで忙しく、自分以外の人々についての関心は一番後回しなのである。あなた自身、自分に注意を引き付けようとして、自分のことばかり考えているではないか。
ある人に関心が寄せられると、その人の意思の意図が現実化されたことになる。この現実化とは、どこからもたらされたのか、もちろん、あなたからである。その後、その人自身の関心を呼び起こすことが出来るのは誰だろうかあなただけである。
人々が関心を示すのは、有名人、映画スター、流行歌手などである。しかし、それは別の類の関心である。もしあなたがスターでないのならば、あなたはビジネス、友情、愛情を育む関係のための潜在的パートナーとして検討を加えられていることになる。ここでスターに熱を上げることと対極にあるケースを例に挙げてみよう。ファンたちはスターの生活の細部に至るまで興味を示し、スターを崇拝するが、通常は、スターを自分との関係を築くパートナーとして検討することなど考えもしない。日常生活上の付き合いでは、あなたがどれだけ興味深い存在なのかではなく、関係を築くパートナーとしてあなたが相手にとってどれほど適しているかが重要なのである。それを相手は品定めしているのである。
相手はあなたの隣に居ながら自分のことを考え、自分個人の満足を得られる関係のシナリオにあなたがどれほどふさわしいか、意識的かつ無意識的に値踏みしている。もし自分の存在意義が何らかの形で確かめられたならば、人は今述べたような満足を得ることになる。その場合の存在意義というのは、私は好かれている、私に興味がある。私と一緒にいてもつまらなくない、私は尊重されている。、私はほかの人々よりも悪くない、私は評価されている、などである。

〇人々との関係において魂の意図のメカニズムを始動させるためには、偽りの固定観念をもう一つ打ち壊さなくてはならない。次のような言い方は、あなたの耳には正しい響くだろう。「他の人たちを変えようとせず、自分を変えることから始めよ」この言い方はすぐに魂の不快を引き起こす。未熟なのは私の方だから、自分自身を変えなければならないなんて、ああ、嫌なことだ。そう、その通り、そんなことは本当にやりたくないだろう。実は、他の人たちを変えようとする必要はなく、自分を変える必要もない。たとえあなたが自分や他人に何をしようと、すべてはあなたの意思の意図による非効率で有害なだけの作用にしかならない。問題は別の方法で解決される。他の人たちの意思の意図が実現するようにしてあげる必要がある。すると、魂の意図が作用し始め、あなたの意思の意図はひとりでに実現されることになる。
例えば、ある女性が付き合っている男性に自分と結婚してほしいと思っているのに、男性の方は理由はハッキリしないが、言い訳ばかりして逃げているとしよう。女性は意思の意図を効かせて、男性が女性と結婚せざるを得ないように自分の全ての想念を向ける。こうしても女性は何も得られず、結婚という自分の願望や重要性からくる過剰ポテンシャルを発生させるだけである。その結果、平衡力が女性からその愛しい人を取り上げることになる。男性はただ単に女性を愛していなかったのだろうか。いや、もちろんそうではない。女性の方が愛情を「もし私を愛するなら、あなたは私と結婚すべき」という依存関係に変質させてしまったからである。
魂の意図が働くためには、男性と結婚する願望を断念し、男性は結婚から何を欲しているのか考えてみることが女性には必要なのである。この質問への答えを女性は難なく見つけ出すことだろう。男性は間違いなく一連の自分の存在意義を実現させたいのである。それはつまり、自分は愛されている。自分は評価されている。自分は尊敬されている、自分は夢中にさせている。などのことである。自分のエネルギーをこうした存在意義の現実化に向ければ、女性は自分の目的を達成するだけで無く、女性の方でもほぼ似たような一連の存在意義が実現されることになる。ところで、もし男性が尊敬や愛情の対象とするに値しないのであれば、どうだろうか。それなら、なぜその男性と関わり合いになるのか、選択の自由は誰にでもある。
ご覧のように、自分を変える必要は無い。要するに開いている小窓は全く別の所にあるという事である。人は通常、その人が他の人々から獲得したいことについての考え事で頭がすっかりいっぱいになっていて、他の人々が何を獲得したいかについては考えてみようとしない。他の人々の願望や動機に注意を切り替えることで、あなた自身が必要とするものを容易に手に入れる事だろう。そのためには、相手の意思の意図が何に向けられているか、考えてみるだけでよい。これはハエがガラス窓からちょっと飛びのいてみるとようやく開け放たれた小窓に気付くことを意味する。これが出来たら、あとは自分の意思の意図の方向を相手の意思の意図の現実化へと切り替えてやるだけである。こうしてあなたの意思の意図は魂の意図へと変換されることになる。
意思の意図は、自分に注意をひきつけ、自分をよりよく見てもらうために向けられることが非常に頻繁にある。あなたはちょうどその時、思うようにいかない何かについて心配しているとしよう。あなたパーティーに向かう途中である。会場に到着するや否や、招待客たちはあなただけに注意を向け、視線は終始あなたの後を追いかける。何しろ客たちは、あなたの服装、振る舞い、会話の内容について言葉を交わし合うためだに集まったのだから、もしどこかのグループから笑い声が聞こえてきたら、それはあなたへの嘲笑である。蔑むような視線をどれほど浴びる事か知れない。お気の毒。
このようなことはすべて正反対に理解すべきだと、もちろんあなたは察しがついただろう。だれもがまず何よりも自分のことと、他者が自分をどう見ているかという事を考えるのに忙しいのである。自分が他者をどう見ているかという事は、一番最後の順番となる。だからあなたは穏やかな気持ちでリラックスし、自由にふるまってよい。しかし、自然にふるまおうとして焦ってはいけない。ただ自然にくつろぐことを自分に認めてあげるだけでよい。

〇病気のコマを見分けるコツはとても簡単である。病気のコマは病気やその治療についての情報によってあなたをおびき寄せようとする。もしあなたがそういった情報を無視する、つまり情報を聞き流して、深刻には受け取らないようにしたのなら、コマは意気阻喪し、あなたをそっとしておいてくれるだろう。これはコマをかわす方法である。もしあなたが病気やその治療に関する情報を小気味よい高笑いや嘲笑で迎えるのであれば、コマは恐れをなしてあなたの前から姿をくらますことだろう。これはコマの消滅である。
病気のコマと別れたあなたは、完全な自由を得る。だが、その自由は長くは続かない。何らかのコマの信奉者になっていたいというふうに人間はできているからである。だから、そのうちあなたはコマの影響下に踏み入るという危険を冒す。そうならないためには、健康増進のコマの味方に加わり、宙ぶらりんの状態から脱しよう。健康増進のコマは心身の強化につながるあらゆることを取り仕切っている。健康な生き方を志向する信望者になれば、病気との辛く憂鬱な戦いと比べて、どれほど喜ばしくやりがいのある事かわかるだろう。
もし人が自分の健康に気を使っているとすればのその人が健康な人生ラインの周波数で思考エネルギーを放射していることは明白であり、だからこそ、その人は病気どころではないのである。このように、対極に位置する二つの生き方がある。その一つが病気の治療であり、もう人はが健康についての気遣いなのである。病気に対して、前者はその処理を意思の意図が行おうとし、後者は魂の意図に任せようとしていることは疑いない。あなたは健康なのか、病気なのかという自分の生き方を、自分で選んでいるのである。
私たちは人生の成功を、一方では、成果の度合いによって計り、他方では、山積みした問題の量によって図ることに慣れてしまっている。事象選択は問題と格闘しないよう助けてくれる。それは問題を解決する手助けをしてくれるというよりはむしろ問題そのものと遭遇しないようにさえしてくれる。目的の達成は、例によって尋常ではない方法、すなわち魂の意図というものを用いて行われ。あらゆる成果や問題は、それが個人的な関係であろうと、仕事上の関係であろうと、いずれにせよ人々との関係の中で生まれる。
人々との関係に置いて魂の意図を利用できないものか、という疑問が起こる。その際、厄介なのは、魂の意図はつかみどころのないものであり、意思に従わせてコントロールする事が困難だという点にある。ところが、魂の意図のメカニズムを漠然とながら始動させる方法が存在するのである。あなたはただ一定のやり方を利用することで、魂の意図は誰かれの意思に関係なくひとりでに働き始める。それもあなたの役に立つ方向に向かってである。
人々を動かすのは何だろうか。それは意思の意図である。では、自分の意図を利用する代わりに、ほかの人々の意図を利用してみよう。自分の意図を断念し、魂の意図が他の人々の意思の意図を動かすようにしてあげよう。外の世界から望むものを受け取るには、魂の意図にほんの微かに動いてもらうだけで十分なのである。なぜなら魂の意図はそれ事態は何も望まず何も行わないが、世界に同調している意思の意図が働くことを魂の意図は可能にするからである。自分の目的を達成するために、人々の意思の意図を利用しよう。今述べた一文は何やら打算的な響きがするかもしれないが、あなたが他の人々を利用するわけではなく、ほかの人々がしたいことをするのをあなたはただ邪魔しないだけのことなのである。いずれにせよあらゆる問題は人々の意思の意図どうしの間に矛盾が生じた結果として起こる。ある人は、自分の利益を踏まえ、他の人から何かを獲得したいと思う。他の人は他の人で、別の事を考え、自分が欲しいものを手に入れたいと思う。関心を向ける対象の違いを調整し、両者の欲求を満足させるには、どうすべきか、なんと厄介な問題であろうか。ところが、本当はこの問題はとても簡単なのである。解決するには、人々の意思の意図の根底に流れている共通したものを突き止めるだけでいいのである。
では、それは何だろうか。実は、人々の意思の意図の根底にはその人自身の存在意義という感情が流れている。コマの世界において、人を動かすと同時に、その人の自由を制限する唯一のものは、本人の内的重要性と外的重要性である。自己の存在意異議という感情は、内的重要性に関係する。エネルギー情報体としてのコマは、人間集団によって生み出され、人々を自分の決まりに服従させながら、独立して存在するようになる。人々を服従させるのは重要性の感情を利用して実行される。そのため人間の動機付けの最大部分が、自己の存在意義の実現というところにある。残りの部分はフレイル、すなわち魂の命じるところに関係している。通常その小さな部分は影か薄くなっている。なぜならコマの世界で自分の存在意義を常に維持する必要性のために、かき消されてしまうからである。

〇誰もが一生のうちに一度くらいは何らかの病気になる。病気になると、不快なことや心配事が山ほど起き、ネガティブな考えや感情が発生し、それらは空間へと放射される。そのようなエネルギーは、病気と関係するコマが成長するためには恵みの土壌となる。コマはネガティブなエネルギーをいつも非常にうまく吸収する。
病気によって産み落とされたコマは、最強のコマの一つである。なんと言っても病気や伝染病なのである。そのようなコマと対局しているのが、ありとあらゆる医学のコマである。なんと強力な構造だろうか、クリニック、サナトリウム、研究所、製薬工場、薬局、学界、教育機関…。
医学のコマの正式な目的は、病気の撲滅である。だが、現実には、病気の撲滅というのも、破壊的コマにつきもののネガティプな現象を山のように生み出す。なぜなら破壊的コマの主な目的は信奉者たちを引き付けて離さないでおくことだからである。
例えば公の医学は、正当とされない治療法に対ししては敵意を持って対応する。公の医学こそ時代遅れで信用のおけない考え方だという批判は、もしそれが伝統的でない治療の信奉者達からのものであれば、非科学的と宣告される。新しいどのような治療法であっても、それが公の医学に属していなければ、公の医学からは強い敵意を持って迎えられることになる。一方、正当とされない治療法の信奉者たちも、正当とされる治療法について中傷することをためらわない。
病気のコマや医学のコマの影響下に置かれている人は、自分が若いころ味わった気分を取り戻すことが出来ない。健康にまつわる問題でなやむことが少しもなかったあの頃の気分である。当時のあなたは健康に異議を与えず、単に自分の健康に注意を払わないだけのことだった。なぜなら健康が脅かされることは無かったからである。したがって、思考エネルギーの放射にも病気のコマの周波数は含まれていなかった。
年を取るにつれて、程度の差こそあれ、あなたは徐々に病気のコマの影響下に入ってくる。病気のコマの周波数でエネルギーを放射する事によって、コマにエネルギーを与え、コマとの依存関係に陥り、病気がちな人生ラインへと乗り移る。そのため、以前のような健康を取り戻すためには、何よりもまず病気のコマとの関係から逃れる必要がある。それは、コマからの情報を自分の中に取り入れず、コマにゲームの加わらない、すなわちコマから身をかわす方法を用いる事を意味する。もしあなたが病気の事で深刻に悩んであるのなら、治療のゲームに加わり、自分の身体に気を配る必要がある。そうすればコマは消え失せることになる。病気のコマの振る舞いに関する例をいくつか見てみよう。
毎日繰り返される薬のCMは、ある薬を飲んで健康を取り戻した幸せな人々のことをあなたに示してくれる。いや、それどころか健康面以外でも、彼らは、あらゆることで大成功を収めているという。魅力的な餌ではないか。このエサは効果抜群なのである。なぜならすでに考察しきたように、大部分の人々は半ば無意識な状態で暮らしている。あなたの脳には、「薬局へ行き、薬を服用し、褒美をもらう。あらゆる場合の完璧な手順」というプログラムがインプットされる。だが、これはまだそれほど恐ろしいことではない。このCMには別のもっと深い意味を持つプログラムが隠されているのである。
ちょっと考えてみよう。通常、CМには極めてまともで魅力があり、非常に成功している人々が登場する。そのような人々はみな何らかの病気にかかるのだが、それでも服用した薬のおかげてすぐに元気になる。私たちすべての意識と潜在意識には、だれもが病気になるようにできていて、すでになっているか、それともすぐになるのだという事実が叩き込まれる。こうして、多くの人々がゲームの条件を受け入れることになる。これこそが表立ったことにはされていないが破壊的コマの真の姿なのである。破壊的コマは、人々を病気から全開させず、自分の信奉者にしておく、つまり人々の耳に「あなたは病気だ、薬を飲まなければダメだ…」と吹き込むことを使命としている。
信望者たちを引きずり込むための興味深い方法がもう一つある。それは生憎の天気という予報を流すことである。磁気嵐、気圧の急変、その他ありがたくない要因についての情報に基づいたものである。(そのような現象は、多かれ少なかれ、ほとんど毎日起きている)それらのデータから、天気予報が作られる。「〇〇にかかっている人には今日と明日はつらい一日となるでしょう」起こりうるすべての病気と患者を待ち受ける病状を思い浮かべているコマが、幸せのあまり胸がいっぱいになっているのは、さぞかし滑稽な様子だろう。しかし、すぐにぞっとしてしまう。そうでなくても健康不安を抱えている人々の意識に、なんという破壊的なプログラムがインプットされてしまったことか。そんなことを聞いてしまったら、家から外に一歩も出たくなくなるか、箱の中にでも閉じこもりたくなるかもしれない。もちろん生憎の要因は、気分に影響を及ぼすが、なぜ最初からそれに自分を同調させてしまうのか。多くの人々、とりわけ年配の人たちは、判決でも受けるようにして、コマからの声に耳を傾け、あらかじめ病気気味になるプログラムや症状が悪化するプログラム自分用に作り上げてしまうのである。そのような予報などは、人々を自分の影響下に置こうとするコマの恥知らずで厚かましい欲求の典型である。
そして最も典型的な話題とは、知り合いや親せきと健康について話すことである。そのような場合、健康増進ではなく、病気とその治療についての話になるのが普通である。集まった内の一人が何かに憑りつかれたような表情で四六時中痛む所にてこずっていると言って話の口火を切ると、二番手が待ってましたとばかりに、「年は取りたくないもの、と言いうからね」とうめくように反応する。その場に居合わせた全員が病気のコマの周波数でせっせとエネルギーを放射する。こんなエネルギーは、病原菌同様、感染力を帯びている。こうした集まりからは遠ざかるべきである。さもないと、あなた自身が気づかないうちに病気のコマに周波数でエネルギーを放射するようになってしまう。

〇物心ついたときから、あなたは老化が避けられないものであることを絶対的に確信している。一生涯を通じて、他人や自分の体験から、そのことについての数多くの証拠が山積みされていく。どんな記念日にも健康と長寿という仰々しい祈りの言葉がついて回る。だが、そのような祈りの言葉は何にもならず、シナリオにほんのわずかな狂いも生じさせはしないことを、だれもがハッキリと分かっている。それどころか、祈りの言葉を事実を示す言葉に置き換えてみると、「あなたの状態は健康とは程遠いし、それに年もたくさん取ってしまったね」というとになる。これでは破壊的コマを軽く回すも同然。というよりもむしろ勢いづかせることになってしまう。
遅かれ早かれ、あなたは十年前よりも力やエネルギーがメッキリ衰えた事に気付く、あなたはこのことを誰かと分かち合いたい気分になる。あなたの思いに共感してくれるような話し相手は簡単に見つかる。巷では病気についての話題がお天気の話題と同じくらい人気がある。似たような話題の席に参加しているあなたは、破壊的コマの周波数でエネルギーを放射している。すなわちコマのゲームを受け入れていることになる。
コマは、体調不良や病気と言いう形をとって、あなたにゆさぶりをかけてくるかもしれない。すると、あなたは不安になり、「自分は病気のようだ」と認めざるを得なくなる。それはコマの周波数によるあなたの反応であり、コマはエネルギーを受け取り、病状を悪化させるという方法であなたを再びゆさぶる。あなたは医者に見もらい、医者は病気であると太鼓判を押し、プロセスはさらに先へと展開する。コマはますます多くのエネルギーを汲み上げようとしてくる。危機的状況が訪れた頃には、コマはほとんどすべてのエネルギーを受け取っているから、それ以上あなたにはかかわることはなくなる。そして、もし誘導移転が「生贄」を後遺症の残る人生ラインへと放り投げる様なことがなければ、あなたは健康を回復し始めることになる。
当然考えられる疑問として、医者へも行かず、薬は飲まず、自分の病状を完全に放置しておいたら、どうなるだろうかという事がある、既に進行してしまった病気の治療を拒むことは、コマのゲームからの脱出を意味するわけではなく、それは単に無責任な怠慢にすぎない。いま、問題にしているのは、どうすればコマのゲームに入り込まないで済むかという事である。
あなたは職場の同僚にこんな質問をする「しばらく顔を見なかったけれど、どうしたの」これに対し、同僚は決まってこう答える。「病気だったんだよ」。ここで注目願いたいのは、「治療していたんだよ」ではなく「病気だったんだよ」と答えている点である。「どこが具合でも悪いのかい」という質問には、「病気なんだよ」という返事が来るだろう。この二つの質問に対する返事が「治療していたんだよ」というのではもちろん不自然である。人々が「病気」という名のゲームへの参加に慣れっこになっているため、治療自体を目的とはみなさず、治療をゲームの属性、つまり付随する現象ととらえているからである。
破壊的コマとのゲームは、あなたが病気の兆候を喜んで受け入れてる。別の言い方をすれば、誘導移転のスパイラルに喜んでつかみかかるという事から始まる。もし病気の兆候をまじめには取り合わなかったり、平然と撥ねつけたり、忘れてしまったりすれば、コマの最初の揺さぶりは失敗に帰することもある。もしそうならなくても、初歩的な予防措置をとることで、コマから身をかわすことはできる。それでもあなたが病気になってしまったら、「病気」というゲームでプレイすることはせず、「治療」のゲームに加わろう。
「病気という名のゲーム」に加わる事は、受動的に苦しみ、様々な痛いところについての会話に加わり、ため息をつき、愚痴をこぼし、周囲から同情や気遣いを求めて駄々をこね、同情が足りないのは持って生まれた自分の性分と決めつけ、自分の不健康ぶりに過剰なまでに気を使い、病気にかかわる情報を目を皿のようにして探しまくっては読みふけるという事なのである。
「治療」という名のゲームに加わることは、積極的に行動し、健康増進のための方法に興味を示し、健康的な生き方をしようと務め、病気にユーモアをもって接し、気分を和らげることにもっと注意を払い、健康を志向し、志を同じくする人々と交流するという事である。
ご覧のように、この二つのゲームは全くの別物である。「病気」のゲームでのあなたは、破壊的コマの周波数で思考エネルギーを放射しながら、受動的な犠牲者の役割で参加する。誘導移転の漏斗に飲み込まれたあなたはひどく苦しむことになる。一方、「治療」のゲームであなた、クリエーター、積極的な創造主、支配者などとして参加し、あなた自身が自分の運命を自由に裁量するため、健康的な人生ラインへと移動することになる。
そこで、「治療」のゲームをやってみようと思うなら、そうすることで本当に満足できると心から思っているのか自問してみよう。自分を欺いている場合が良くある。例えば、健康的な暮らし方をして、悪習を断ち、体操を行い、健康的な食事を摂るなどのことが必要だと、理性をフルに働かせて認識しているとしよう。だが、実際には、昔からの悪癖が深く根を下ろしているため、常に億劫な気持ちがあるにもかかわらず、「こうあらねばならない」という見地から健康的な暮らしのための決まりを実行しようとしているだけのこともある。
それは純然たるゲームではなく、強いて名付けると「病気の私を直してくれるとさ」という名前のゲームである。エネルギー面からみると、このゲームは「病気」のゲームと何の違いもない。この場合のあなたは、自分の確信からというよりは、強制されて、治療のゲームをプレイとようとする。意図は純粋なものではなく、心の奥底からのものでもない。そのため結果もそれ相応のものにしかならない。
不純なゲームの好例としては、女性陣によるダイエットの試みをあげることが出来る。女性たちは自らに無理強いしてダイエットで苦しむ。彼女たちは自分の体重と体形を憎んでいる。しかし、そうやって憎むことこそが、そのような体重と体形で暮らす人生ラインの周波数で思考エネルギーを放射する最上のやり方であることをあなたはよくご存じのはずである。彼女たちはそんなダイエットが気に入らない。彼女たちはこれまで通りの習慣にしたがって食べ続けたいのである。もし今のあなたがこのゲームに参加しているのなら、自分に意味もなく無理強いすることはやめよう。そんなことをしても、一時的にほんのわずかな結果を得られるくらいが精一杯だろう。自分に対して無理強いすると、潜在意識は恐れおののき、抵抗を始め、ついには、初期の目的を達成してしまう。すなわち、ダイエットを投げ出して、前よりもっと太ってしまうのは時間の問題という事である。
結論はただ一つ。健康的で美しくありたいのなら、生き方を変えるべきである。それは昔からの習慣を断ち切り、新たな習慣を身に着けることを意味する。しかし、それは必要に迫られてそうするのではなく、確信によってそうするのである。意図を持つことが必要である。それも純粋な意図を。もしあなたがこれまで通りに振る舞うのであれば、健康な人生ラインの周波数で思考エネルギーを放射することは出来ないし、そうなれば、健康な人生ラインへ移動することも不可能となってくる。すべては思ったほど難しいものではない。習慣を取り変えることは、意図と時間の問題でしかない。それに、時間はそれほど長くは要しない。選択はあなた次第である。

〇既に述べたように、自由エネルギーは中心部の流れとなって人体に入って来て、思考によって変調され、出て行く際には、その思考に合致するパラメーターを帯びる。変調されたエネルギーは亜空間にあるしかるべきセクターに当たり、それによってそこにある事象が物質的現実化へと導かれる。変調は魂と理性が一致した場合に起こる。そうでない場合、思考エネルギーはラジオにとってのノイズのようなものでしかない。
あなたは意思の意図に力によって物質世界における基本的な行動を実行することが出来る。けれども、亜空間における潜在的な可能性の物質的現実化は、魂の意図の力によってした起こらない。魂の意図は、自分が目指そうとする方向で魂と理性が一致した時に発生する。魂の意図の力は生体エネルギー特性のレベルに比例する。魂の意図とは、高いエネルギー・ポテンシャルと結びついた絶体的な決意なのである。
生体エネルギー特性は、中心部のエネルギーの流れを鍛錬したり、肉体を浄化することによって高まる。しかし、事象選択にはエネルギーチャンネルを広げることが出来るもう一つの素晴らしい方法がある。それはプロセスの視覚化である。
意図のエネルギーを高めるためには意図そのものが必要となる。あなたは、自分のエネルギー・チャンネルの幅が広がるという目標を自分自身に設定することで、意図のエネルギーを高めることが出来る。エネルギー体操をしながら、このプロセスの視覚化を行ってみよう。思い出して頂きたい。プロセスの視覚化の本質とは、今日は昨日よりも良くなり、明日は今日よりも良くなるだろう、という事実を確かめることにある。エネルギーを噴水のように吹き出しながら、頭の中であなたの意図のエネルギーが日を追うごとに高まっていると繰り返し確かめよう。そうすることで、意図そのものが自分で自分を支え続け、生体エネルギー特性をますます高めることになる。
生体エネルギー場を高めようとする意図は、願望や重要性といったポテンシャルが取り除かれたものでなければならない。エネルギーの流れを強くしようとして意気込んだり一生懸命に努力したりすることは、閉そく状態という逆効果をもたらす。何であろうと意気込んだり一生懸命に努力したりすることは、過剰ポテンシャルを発生させる。なぜならあなたは目的の達成に過度に重要な意義を与えているからである。意図とは、意気込むことではなく、注意を集中させることである。プロセスに注意を集中させることだけが意味を持つのである。もしあなたが全力で緊張してエネルギー運動を行っているのに、理性が別のことを夢想しているとしたら、無駄に時間を労力を費やしていることになる。躍起になって行っている努力を弱め、行動に注意を集中させるだけでよい。
人々の老化がゆっくりと進み、例えば三百歳まで生きられる社会に産声を上げたばかりの普通の赤ん坊をイメージしてみよう。他の赤ん坊はいくつまで生きられると考えられるだろうか。私が言いたいのは、人間は生まれた瞬間から、歳とともに健康は損なわれ、身体は老いぼれ、そして、最後は死んでしまうという標準的なシナリオに慣らされるという事なのである。それには一般的な生理学的要因があることは疑いようもない。
しかしながら、事象選択理論の立場から老化プロセスを見てみると、それは誘導転移にすきない(誘導転移とは、知らぬ間にアリ地獄のような落とし穴に誘導されて犠牲となる現象を考えるとわかりやすいだろう。そのような誘導によって本来の自分の人生が、悪い方へ移転していく。アリ地獄に誘導するのは誤った固定観念であり、コマを形成する組織体。ここでは「病気」に誘導移転が起こることを解説していく)それは、最も長く続く誘導移転ということが出来る。そのプロセスはゆっくりではあるが、極めて着実に進む、老化のシナリオは大変見慣れていて明らかであるから、誰もそれを疑って見ることなど思いもよらない。老化のシナリオを変更しようとする試みは、ありとあらゆる秘薬の発明をもたらした。だが、現代の薬理学や遺伝学における業績をもってしても、さしたる成果は上がっていないのが実情である。
以上から、老化プロセスにおいて、生理学的要因はある程度の領域を占めているに過ぎないとの結論を下すことが出来る。では、誘導移転がどれほどの領域を占めているのかという事については、評価することが難しい。しかし、それは重要な問題ではない。大事なことは、誘導移転がどのようにして生じるかを認識することである。

〇エネルギーの流れにに注意を集中しよう。そうすることによって流れが強まるよう刺激することになる。もし注意を正しく向けているのであれば緊張と弛緩を交互に繰り返すことでエネルギーの流れはより強くなるよう刺激される。緊張する段階では、エネルギーの流れバネのように縮んで止まる。弛緩する段階では、バネが元に戻るようにエネルギーの流れは大きくなる。緊張状態の後、圧縮され蓄えられたエネルギーは解き放たれ、中央部チャンネルを強く押すようにして進む。
生体エネルギー特性を挙げることは活力を増進させるだけでなく、あなたの影響力をも強める。あなたからの思考エネルギーの放射は、より重みを増してくる。これは誰かに影響を与えたり、何かについて説得したりする事が必要な時に役に立つ。人々に強く作用するエネルギーの利用方法も知られているが、それを実践するとなると「あなたには何かを変える権利はなく、選ぶ権利だけを持つ」という事象選択の原則と食い違ってくる。取り巻く世界と戦ってはならないし、圧力を加えてもいけない。そのようなやり方は、目的達成の手段としてはあまり効率的とは言えない。ご存ぞのように、力任せのやり方に対して、世界は同じ方法で返してくるのである。
あなたの生体エネネルギー特性が高ければ高いほど、人々のあなたへの対応は好ましいものとなる。なぜなら人々は無意識のうちにあなたのエネルギーを感じ、ある程度それを消費するからである。しかしながら、普通の人々はコマのようにある目的をもってエネルギーの補給を行うわけではない。もしあなたの「泉」のきわょからエネルギー月たっぷりと溢れているとしたら、彼らは他人であるあなたのエネルギーの中に使っているようなものなのである。
人に十分なエネルギーを与えることで、あなたは相手からの好意を得る事になる。人々にはエネルギーをコマに与える習慣が身ついているので、自分からエネルギーを与えてくれる人の出現は常に喜ぶべきことなのである。いわゆる魅力的な人やカリスマ性を持つ人などがそうしたエネルギー源に該当する。そのような人物について、人々は「あの人には説明できない魅力がある」とか、「まるで磁石のようだ」という表現を用いる。驚くことは何もない。淀んだ水たまりと清水が滾々と湧き出る泉のどちらをあなたは好むだろうか。あなたのエネルギーが周囲の人々に消費されても心配には及ばない。あなたが周囲の人々にもたらした少量の余剰エネルギーは、あなたのためだけに働くことになるのだから。
あなたに重要な面談が迫っているとしよう。重要性を断ち、自分の中心部のエネルギーの流れに注意を集めよう。エネルギーの流れが噴水のように湧き上がるイメージを持とう。気の利いた言葉や説得力のある論拠などはそれほど必要としない。自由エネルギーを恵んであげる事になる。周りの中に通そうとすれば、あなたは周りにいる人々にエネルギーを恵んであげることになる。周りの人々はハッキリと梁い出来ないままに潜在意識載レベルでそれを感じ、あなたに好意を寄せるようになる。あなたの魅力の秘密は謎に包まれたままにしておこう。

〇一日のうちで時折、エネルギーの流れの噴水にスイッチを入れ、思考上で噴水を強めるだけで充分である。その際、意気込んで行う必要は無く、緊張してもいけない。もしあなたが頭の中に何らかの重苦しさを感じるのなら、それは上昇するエネルギーの流れが下降するエネルギーの流れよりも強いという事である。その場合、下降するエネルギーの流れに注意を集中し、それを少し強めればよい。両方向の流れは、それらの中心点がおおよそ身体の中央に位置するよう、バランスが取れていなければならない。
思考上でその中心点からエネルギーをエネルギー球体全体に放射してみよう。すると、エネルギー身体の感覚は明らかに強まってくる。このようにしてあなたは、自分のエネルギー身体の感覚と結びついた、エネルギーの上昇する流れと下降する流れの総合的な感覚を持たなくてはならない。
もし下降するエネルギーの流れに注意を集中すれば、エネルギーの中心部は下方に映る。逆に上昇するエネルギーの流れに注意を集中すれば、エネルギーの中心部は身体の上部に集まる。このほか、肉体の重心もエネルギーの中心と同じように位置が変わる。この特徴はスポーツで利用できる。もしスキー滑降などの種目で脚部に重力を必要とするなら、下降するエネルギーの流れを強める必要がある。ジャンプするのであれば、上昇するエネルギーの流れを強めればよい。武道の達人たちはエネルギーの流れのこうした特徴を熟知している。もし達人が下降するエネルギーの流れに集中すれば、思いもよらないような跳躍を見せてくれる。
肉体の訓練を行うときには、中央の長に注意を集中しよう。一生懸命にやりすぎてはいけない。意気込んでやっても何も達せられない。ただ時々、内なる視線を脊髄の前あたりに向けて、上昇するエネルギーの流れが上へと動き、加工するエネルギーの流れが下へと動いていることをイメージしよう。もしあなたが定期的に思考上で中央部の流れを動かそうとするならば、流れを自由に感じ取る事に習熟するだろう。一分の動きが流れの視覚化とどうしても呼応しないように思われることがあるかもしれない。焦ってはいけない。時間の経過とともに、あらゆる動きをエネルギーの流れの感覚と関連付けることをあなたは会得するだろう。
もしあなたが著しく体力を使う運動を行っているならば、中心部のエネルギーの流れに注意を集中するとで、自分の生体エネルギー特性の上昇をハッキリわかるほど感じることが出来る。力の緊張を伴う動きを行うときは、注意を筋肉に向ける。筋肉が弛緩する逆戻りの動きを行うときは、注意を中心分のエネルギーの流れに切り替える。弛緩する瞬間を一、二秒遅らせて、エネルギーの流れの動きを感じ取る必要がある。
鉄棒懸垂を例に挙げよう。身体を持ち上げ始めるときには呼吸をちょっと止め、懸垂を行い、息を吐きながら、力を入れることに注を集中する。その後、下に戻るときには、息を吸いながら、筋肉を弛緩し、中央部のエネルギー逃れに注意を集中する。弛緩する時には、二つのエネルぎーの流れが正反対の方向に同時に動くことをイメージしよう。最後まで完全に肘を伸ばし、腕の筋肉は弛緩させたまま、一、二秒間ぶら下がっているべきである。そうすると、あなたはエネルギーの流れをハッキリと感じることだろう。二つの流れはまるで解き放たれたように、ゆっくり動き始める。筋肉が弛緩している瞬間には、流れを早めようとする必要はなく、何もせず自由に動くようにしておこう。
床を押し返す時は、逆に中央のエネルギーの流れを力を入れて押し込むようにしてみよう。肘を伸ばし、同時に、息を吐きながら思考上でエネルギーの流れを強く押すようにする。運動中の呼吸は、不快感が生じないよう。あなたにとって具合の良いやり方で行っていただきたい。しかし、一般に著しく体力を要するほとんどの運動を行う場合、力を出す局面では、呼吸を一時ストップするか、あるいは息を吐き、力を弛緩させる局面では、息を吸う。
