〇所有する決意を常に維持する必要がある。目的を持ったスライドをあなたの中で再現することを決して自分に強いてはいけない。望ましい目的について考えることは、あなたにとって心地よいはずだからである。自分を説得したり、納得させたりという事だけはしてはならない。自分を説得することを長く行っても何の結果も得られないだろう。意図というものは自己暗示と違って、決断が受け入れられ、それ以上論議する余地はないという事を意味する。目的が達成されるのは明らかである。もし快適域を広げるのであれば、どんな疑念もひとりでに消え失せてしまうだろう。
ここであなたがひどい間違いを犯さないよう注意しておきたいことがある。出来事が順調に展開することだけについて考えるようにするという、もう一つの偽りの固定観念が存在するという事である。奇妙に思われるかもしれないが、これは本当に偽りの固定観念なのである。一体いくつの固定観念があることか。あなたは成功についてだけ考える事で、うまくいった試しがあるだろうか。おそらくないのではないかと思う。もし自分のシナリオから否定的な事象を排除しようとしても、何の成果もないだろう。すべてが円滑に進むことについて、あなたは理性を説得できていないのである。理性は自分がそれを信じているふりをすることはできるのである。しかし、心の奥底ではあなたはやはり疑問を抱いている。なぜなら、理性が疑っているからである。魂は理性が物置にしまった否定的な事象をきっと見つけ出すことだろう。
目的を持ったスライドには、目的達成のどのようなシナリオも入れる必要はない。このスライドの内容は、目的が達成された最終的な光景だけでいいのである。あなたの頭の中には既にそういう光景が存在している。あなたが行わなければならないのは、そのスライドを見て楽しみ、純化された意思の意図を利用して、足を運ぶことだけなのである。プロセスの視覚化はシナリオを扱う事なのだが、これは全く別物である。あなたは理性に、「今後、すべて順調に進むわけではないだろうが現在は、すべて順調に進んでいる」と言いう事を納得させる。乗り換え用に鎖の現在の輪の視覚化は、あなたが現在行っていることに足並みをそろえ、一歩だけ前進するものなのである。ひとたびハッピーエンドを自分に信じ込ませようとし始めたなら、目的を達成するまでずっとその操縦桿を握り続けることになってしまう。まだ起きてもいない問題のことは考えず、固く握りしめているものを離し、事象の流れに沿って穏やかに進もう。
ミミズたちは、人生の意義や新しい発見をするために、芝生の植え込みからアスファルトの上に這い出してきた。彼らの運命はさまざまな展開を見せた。幸運なミミズは隣にある肥沃な国土が入った花壇までたどり着いた、数匹は鳥の餌食になってしまった。アスファルトの上を歩く物凄いモンスターに踏みつぶされたものもいる。太陽が顔を出し、アスファルトを温め、水分を奪うと、一匹のミミズはアスファルトの真ん中で動けなくなった。そのミミズは自分の過ちに気付くのが遅すぎた。アスファルトから抜け出すだけの力はもうどこにも残っていなかった。むごたらしい緩慢な死がミミズを長い間苦しめ続け、それは完全に干からびるまで続くはずだった。ところが、突然、ミミズは不可解な力によって持ち上げられ、湿った土の上に放り投げられたのだった。ミミズの立場からすればそんなことは不可能であり、それを理解することも説明することもできない。しかし、私にとっては超自然な事は何もない。私はミミズを哀れに思い花壇の上に投げてあげたのである。とにかく、この一人ぼっちの修行者君は、自分の目的と扉を正しく選んだようである。
もしあなたの目的が達成困難なように思えるならば、失敗するかもしれないという重苦しい考えや疑いの気持ちによってせっかくのお祭りが台無しになる。それにしても不可能が可能になると、どうすれば信じることが出来るのか…。それは愚かしい問いの典型である。「どうやっても信じられない」これが答えである。すでに述べて来たことを繰り返そう。あなたは自分を説得することも、納得させる事も、信じるよう強制することもできない。こんな中身のない心配事など放っておいて、もっとましなことをしよう。それはつまり、目的に向かって足を運ぶというプロセスである。
目的が達成困難に思えるという事実について心配してはならない。あなたにはそれがどのように達成されるのか、想像しがたいことだろう。しかし、それはつまらない心配なのである。あなたのやるべきことは注文の正しい選択であって、あとは給仕係に任せておこう。目くるめくような成功を収めた多くの人々が、そんな成功を得られるなどとは決して信じていないかったと、後日語っている。
