窓から校庭を見ると、帰宅している生徒ばかりである。冬服の制服に身を包む姿をぼんやりと眺めていた。
「そういえばマフラー返してもらってないな」
 首元が暖をとれるのは何時間後なのだろう。
「麗奈に貸したままなのか?」
「まあな」
 さらに歩く。
歩くたびに見える角度が変わる景色に趣きを感じる時間を止めたのは仁太のその一言だった。
「そういえばお前冷え症なんだっけ? 真冬のような今日みたいな日は大変だろうな」
「よく知ってるな。今朝も二月みたいな気温に前にやる気をなくした気分だった……」
 言いかけたその時、俺はその場に空虚なオーラを発生させた。情報信号が言葉に触発され一つの記憶が呼び起こされる。シグナル伝達のように。
「どうした?」
 忘れていた。教室に入る前に俺が考え出した。閃きを。
「そうだ。俺は確かに冷え症だ。そして冷え症からあることに気づいた」
「何に気づいたんだ?」
怪訝な表情で尋ねてくる。
「ラブレターとバレンタインの法則だ」
 仁太は珍百景を見つけ出したような顏をしていた。
「は? 何言ってんだお前」
 鳩が豆鉄砲を食ったような状況下で返事をする。
ここでちょっと漫画の知識でも借りようと思う。
「まず俺はツッコミもボケも出来る」
「……そ、そうなのか」
「まあそれは関係ないのだが」
「関係ないのかよ!」
 焦らされるのが嫌いな仁太の性格を知っているからこそ愉しめる常套句だ。
「前からそうだよな。急に興味を持つとすぐ行動する。だが興味がないものにはとことん無関心」
 呆れたようで誇らしげに仁太は言っている。
「現代の若者らしいだろ? 俺はどこにでもいる男子高校生。つまり一般人Aなわけだ」
 一年も付き合っていなくても俺の性格は分かりやすいものだろうな。
「お前も四月の頃から真面目君だったよな。部活に勧誘した時だって堅い奴だなって思ったよ。そんな奴がよく入部したよな」
 そもそも何で俺が先頭切って勧誘しないといけなかったのか。勧誘って普通部長の仕事だろ。
「……強引に入部させられたんだよ」
露骨に告げる仁太は当時を思い出しているようだ。
「麗奈が勧誘した時だっけか?」
「ああ。そうだな」
俺は麗奈が勧誘してい場面にはいなかったから分からないが、あいつの唯我独尊の口車にまんまとはまったわけだな。
結果、骨折り損だったんだよな俺の仕事は。
「麗奈のことは知ってたからな。それで入部したってのもあるが」
「へーそうなんだ。でもそれでよく続けてるよなお前」
「入部したからには中途半端にしたくないからな」
 ここでも真面目君オーラ全開だな。尊敬に値するよ。
「純真な動機が眩しいよ」
「お前だってそうだろ」
「俺はなんとなく続けてるだけだ。お前みたく真っ当な心意気はないんでね」
「なんとなく……ね」
 後頭部に両手を当て、何かを示唆するような言い方を装っている。
「なんとなく続けてるなんてまたさらに今の若者に磨きがかかるだろ?」
 肩を並べ四階の廊下を歩き、部室棟へ向かう。


 連絡通路の入り口に辿り着く。部室棟に行くにはこの連絡通路を通らなければならない。校舎と部室棟を繋ぐこの通路は放課後になると部活に励む生徒ばかりが行き交う。
 その光景が見れないのは今日がテスト期間だということだからろう。まあ明日もテストだというのに部室に行くのは、俺達ぐらいだろうしな。
「まあな。俺にしては上出来だと思うけどな」
 いかにして俺は数学のテストと戦ったのかを仁太に話しているところだ。
「半分埋められてて、それが全部正解なら大丈夫だろうけど自信はあるのか?」
 半信半疑ではなく疑いの色を濃くした目をしている。警察にカツ丼が似合いそうな場面かもしれないな。
「ぼちぼちってところだ」
 登り続けた足が四階に辿り着き、廊下に歩を進める。
「結果的に赤点を取らなければ何にも言わないが、本当に大丈夫なのか? 今朝だって急にどこかに行ったかと思ったら、ぎりぎりで戻ってくるし」
「お前は心配しすぎなんだって。俺だってやるときはやるさ」
 昨日仁太の家で似たようなことをまた仰々しく口にする。
「おまけに麗奈も一緒だなんてな。野暮用には予想はついていたけど」
「気になって追いかけただけだ。テストの方は大丈夫だろあいつは」
「麗菜は才色兼備だからな」
 口に同意の言葉を用いるのは気恥ずかしさに耐えられないためやめにした。
「それにしてもめんどくさがり屋のお前がそういう行動にでるとはな」
「興味が湧いたから。ただそれだけだ」
 歩幅を少し変える自分がいた。
備えあれば憂いなし。
きっとこの言葉こそが、俺の現状を表したことわざでないかと思う。周囲の人間には後悔するなら最初からそうしろ、と言われるのだろう。
だが、違う。ひねくれ者の俺は後悔なんてしていない。そう。後悔しないことが俺のステータスだ。『紙切れ一枚で自分の運命を決められてたまるかぁ!』、『答えは一つではなく無量大数だ!』、『俺の道は俺が決める!』。そんな主人公属性のような格言は本来言わないが、あえて言葉を選ぶならば俺は――『楽しく過ごそうぜ!』だ。
そして頭のさらに奥中ではサイン、コサイン、タンジェントという最強の敵にして最少の敵と戦っていたのだ。
そいつらの力は俺の脳内の神経回路を間接的に強制遮断し、目の前にある白い紙の解答欄という救済への鍵へと辿りつけさせてはくれなかった。だが、俺にも武器はある。昨日の成果を発揮させるためにその武器をこれ見よがしに振り回した。結果、黒く繊細な悪魔の何度か削ることが出来たのだった。奈落の底から、教会の鐘が聖の丘で鳴り響くように俺は元の世界へ戻ることが出来たのだった。その鐘は天使が鳴らしたのか、悪魔が鳴らしたのかは誰にも分かることではない。
「それで、半分しか解答欄を埋められなかったのか?」
 数学のテストが終わり昼飯を三階の学食で食べ終えた俺達は、四階段を上っていた。

そして俺はというと立ち上がる気力もなく、無気力の赴くままに地面に座っていた。
上機嫌な女子高生。
呆れた男子高校生。
本当に女心はわからないな。秋空というかむちゃくちゃじゃないか。
その時、二人の意識を呼び止めるチャイムが鳴った。
「や、やばい! 今の予鈴のチャイムよね?」
「ああ、たぶんそうだな」
 麗奈が俺のマフラーをまといながら近づいて来る。
「そんな所で呆けてないで、ほら――」
 麗奈が俺に手を指し伸べる。その先を見上げる。
 青空を背負う麗奈に一瞬見惚れてしまった。
「立って!」
「お、おう」
 手を掴み、立ち上がる。手はそれほど冷たくはなかった。
「放課後また来るからね」
 横髪を耳に軽くかけながらベンチの下にいる黒猫に別れの挨拶を告げる。麗奈の声は聞こえてないのか、黒猫はまだ眠っている。
「もしかして走ったりするのか?」
 一+一は? と訊いているような質問をする。
「そうよ!」
 めんどくさいなと思うのは普通のことだろう? 
「じゃあダッシュ!」
 麗奈が走り出す。運動神経の良さを体で示すようなスピードとフォームで駆けだす。……相変わらず速いな。
この静かな空間が後ろ髪を引かせたのか、俺は裏庭をもう一度見渡していた。
またここに来ることはあるだろうか。なぜだかそんなことを考えていた。
「ほら! 急いでー!」
やれやれと愚痴をこぼしながら、裏庭を後にする。
 寒空の下、首元の寂しさを肌で感じながら俺は校舎を目指した。