「窓から部屋に入ってから少し隠れていました。驚かしたならすみません」
「そりゃ驚くわ! てか窓から入ったのか!?」
 突然のことで驚きを隠せない声が出た。
「はい、窓から入りました。何か?」
 常識が通用しなさそうな発言だな、おい。しかもここ二階だぞ?
「玄関から入れよ! ビックリするだろ!」
 動揺したままの俺は声を荒げて言っていた。
「では玄関から入り直しますか?」
「そういうことじゃなくて」
「?」と首を傾げる久遠アリス。
「……いやもういいけどさ」
 なんだこいつは、変な奴がさらに拍車がかかったみたいだな。
 嘆息を一つ。
「今度からは玄関から入ってくれ。頼むから」
「分かりました」
 こいつは人の家に上がる時窓から入るのか? 親の顏がみてみたいところだな。
「とりあえず座れよ、立ち話もなんだろ」
「はい」
 テーブルの下にあったクッションを取り、
「ほら、これ」
「はい」
 俺と久遠アリスは間にあるテーブルに腰を下ろした。カーペットの上はやはりというか冷たかった。クッションをもうひとつベットからひったくり自分の下に置く。
 ようやく心のゆとりができたところで話を切り出す。
「まずだな、俺とお前はほぼ初対面だよな? 部室で会ったぐらいで」
「……」
 無言でこちらの話を訊いている。今気づいたが部室に来た時と同じ服、つまり制服姿で久遠アリスはそこにいた。
「だから聞きたい。何しに来たんだ?」
「……」
 急に喋らなくなったな。寡黙な奴なのかこいつは。
「かば」
 楚々とした澄みきった声だった。
「かばを探す協力をしてほしい」
「協力?」
 首肯。
「何で協力しなくちゃいけないんだ、めんどくさい」
 一直線にこちらを見据える目に視線が合う。窓は閉めたはずなのにやたらと寒く感じた。
「そもそもかばってなんだよ」
「……」
 また無言かよ、と一瞬思った矢先に、
「かばとは概念の構築や生成をし、全を生み出す存在」
 …………。
「は?」


湯を沸かしに行った弥生さんの後姿を見ながら食器を洗い、テレビのスイッチを消して俺は二階へと階段を上った。
 夜はやはり冷え込む。それを物語るのが廊下だ。暖かい空気は上にいくと一般常識を並べても寒いものは寒いのだ。ここが二階だとしてもだ。
二階の廊下を軍足で歩くと外気と同じくらいの寒さに驚く。
寒風の気配が肌を擦った。
廊下の窓を見ても開いていない。ひなの部屋は開いてないから違う。となれば開いている部屋は俺の部屋だ。部屋を出るときに閉め忘れの可能性はない。いつもの癖で分かる。俺の部屋の前に行く。
だがそこには俺の癖なんてたかが知れていると証明されていた。そう、扉は開いていた。
全開に開いているわけではなく人が廊下を覗き込むぐらいの幅といった寸法の表現が一番近いかもしれない。
とにかく俺の部屋のドアが開いていて廊下がこんなに寒いということは。
ノブを回す。
「やっぱり」
 扉を開けると窓が半分開いていた。電気を点ける。
カーテンが揺れている。
 そりゃ寒いわけだよ。てかまた半分開いてたのか? 最近は寝ぼけたり物忘れやら俺はどうしちまったんだまったく。
 ドアとは相対に位置する窓に向かい、完全防寒のように鍵まで閉める。
「これでよしと」
 さてと漫画の続きを読むかな。えっと……どこやったかな。
 後ろを向き目線を泳がす。
 え?
 下から上へと視線を変えたのは人の足が見えたからだ。
 視線が上へと上るにつれ分かったのは人の形をした物がそこにいることだった。
「こんばんは」
「うわぁぁぁ!」
 素っ頓狂な声を上げてしまった。
 部屋に入った時は誰もいなかったのに……いつからそこに居たんだ!?
 漆黒色の目をこちらに向け、無機質な声を出す女の子。陳腐な部屋の明かりであってもその顏は綺麗なままであった。
「は? え!?」
 奇想天外発言女の子。
「お前は……」
久遠アリスがそこにはいた。
食器の置く音が左隣から聞こえた。俺は弥生さんの質問を宙に残したまま考え込んでいたことに気づき、
「変な女の子というのはですね、自己紹介で意味が分からないことを言ってたんですよ」
「意味が分からないこと?」
 その言葉のせいで弥生さんの好奇心を刺激してしまったらしく、顏を覗き込んでくる。
「私は『かば』を見つけにきましたって言ってたんですよ」
「かば?」
 眉根を寄せ、熟考するような表情でいる弥生さん。
「俺達の中にそんな名前やあだ名の奴はいませんし。まさかあの動物園にいるかばじゃないかとは思いますが」
「分かりました」
 電球が点いたように晴れやかな顏と声で、
「透さん達の中にかばみたいな人を探しに来たんですよ」
「かばみたいな人をですか?」
「そう。かばといえば口が大きく牙もすごい逞しい動物です」
 丁度テレビでは動物園の映像が流れていた。かばはそこには映っていなかった。
「だからその女の子はかばみたいな強い人を探しにきたってことです」
「かばみたいな強い人……」
 天文部にそんな強い奴いたか? 空手や格闘技をたしなむ部員なんていないと思うし、喧嘩が強い奴なんてこれもまた俺の頭には浮かんでこないわけで。つまりいないってことになる。
「ごちそうさま」
俺と弥生さんの向かいに座るひなが席を立った。
「もういいのか? サラダ残ってるぞ?」
「いい」
食器を手に持ち、髪を翻し早々とした歩きで台所に向かう。
「お風呂の湯を沸かしたら呼びにいくから待っててね」
「ん」
食器を洗う水の音で聞き取れない声がした。
洗い終えるとタオルで手を拭き、リビングを通り抜け二階へと階段を上る。
「ふぅ」
 一階にいる住人が二人になると嘆息が聞こえた。
「今日はいつになく私嫌われてたようですね」
「ひなは何であんな態度取るんでしょうかね、今度あいつにきつく言っておきますよ」
 肩に手を置かれた。冷え症の俺には羨ましい暖かさだった。
「いいですよ。いつか分かってくれます」
約三時間前――
「合格!」
 奇想天外な自己紹介をされた天文部の部員の思考回路をぶった切った声が頭上に上がった。
「久遠アリスちゃん。あなた天文部に入ってもいいわよ」
 神々しくも自信に満ちた顔で告げる我らが部長。
「おまえちょっとま――」
「ありがとうございます」
 俺の言葉を遮るように声がした。無機質な声に無色の口調。
久遠アリスが発した声だというのは誰もが分かった。
「じゃあまずは入部届を持ってきて。その時に面接をするわ」
 合格してるのに面接するのか。
「分かりました。後日入部届を持ってきます」
 瞬間、顏は動かさず目だけを俺に向けた。
 なんだこいつ俺のこと好きなのか? という胸中には決してならない冷たく黒い瞳を見た。
 そして麗奈の方に目線を戻し、
「では今日は挨拶だけですのでこれで失礼させていただきます」
 礼儀正しいのは分かるがなんだか機械じみて見えるな。
 制服を翻す。ドアの手前で止まるとまたこちらに向き直る。
「それでは失礼します」
 ドアを閉めずに廊下の方へと姿を消す刹那。
「またね」
 そう聞こえた。変な感覚だった。聞こえたというより伝わったというのが適当な答えな気がする。無感情な声がした。
 嵐が過ぎ去った後のようにシンと静まり返った部室で海斗がドアを閉めた。
「おい麗奈本気か?」
 我が部員真面目担当の仁太が言う。
「本気よ! だってあの子面白そうじゃない!」


 面白そう。それだけで麗奈は決めた。
そして視線をこちらからテーブルの椅子に座る娘に向ける。
「ひなちゃん、ただいま」
「ん、おかえり」
 短い返事に先程の元気が微塵も感じられない。
「今日ばなな全部食べれた? 二本は多かったかな?」
「別に」
 背中越しに答えるひなの表情は見えなくても誰でも分かるだろう。
「朝ごはんは残したい時は残してもいいからね?」
「……」
「おい、ひな」
 間髪入れずに注意を促す俺に、
「いいんですよ、透さん」
 大人の微笑というのが正しいのだろうか。笑顔の中を見せないように微笑んでいる。
「じゃあ用意しちゃいましょうか。今日は私も手伝います」
 昔からそうだった。俺が物心ついた時から弥生さんに対してのひなの態度は変わらない。単身赴任で普段いない親父とは仲が良いようだが。
「ありがとうございます」
 そして俺も昔から弥生さんに敬語で接していることも変わらない。これは全て親父の影響だ。俺が幼い頃から親父は弥生さんに対して敬語を使っていたため、その真似をし始めたのが今になっても直らずこのようになっている。今更変えるというのも何だか気持ち悪いかんじがするので俺の中では現状維持が一番いい。
「今日は豚肉なんですね」
 やはり母親という貫禄の手際の良さの助力により、なんなく料理がテーブルに並べられた。


 テレビでは話題の動物園に取材をしている芸能人の姿が映っていた。その内容を淡々と目で追いながら箸を進める。
「今日は学校どうでした?」
 その言葉を聞くまで俺は箸を止めずに食べていたと思う。
 大好物な豚肉を頬の中に残し、味噌汁でそれを流した。
「今日はテストだったんですよ」
「そう、二人ともお疲れ様」
 大好物の納豆をご飯にのせ、食べようとしているひなが視界に入ると、
「部活はどうでした?」
 ピタリとその動きが止まった。
 テストのことよりもやはりその話題には反応する妹。俺の真正面に座っているひなは俺を一瞥した後、ご飯と納豆を混ぜる作業に戻る。いつものことながらご飯の中でも混ぜるのか。
 その空気を弥生さんは察知したらしく右隣にいる俺に対して穏やかに問う。
「教えてください」
 二人の子供を持つ母にしては若々しい笑顔で言ってくる。この人が宗教を開いたらみんなこの微笑みで入信してしまうんじゃないかと思う。
「えっと、変な女の子が部室に来たんですよ」
「変な女の子?」
 そうだ。あれが普通の女の子には俺には見えない。俺の第六感がそう言っているのだ。間違いない。