小三の日記に、
「私は泣き虫だから」と明記している部分がある。
泣き虫でいい時分なのだが、
その頃の自分は、
「泣くのは陰で一人でやらなければならないもの」
と考えていた。
大人の「仕事モード」のような感じで、
基本的に人前ではセーブ出来ていた。
しかし、
基本的に、
人前で泣いたときにその涙を大人にくみ取ってもらう経験をしなかった。
その積み重ねで、
陰で泣くことすらも、
出来なくなった。
一人だけで泣いている。
その虚しさに、
文字通り若い私自身は耐えられず、
泣くことそのものを拒否したのだろう。
全然泣かなくなったわけでは無いが、
泣けなくなった高一の瞬間も覚えている。
今年一月に、
朝方一人で泣けたことはすごく美しい思い出だ。
その後も、「出会えて良かった、神様ありがとう」と
泣いたこともあった。
まだ、
「私が」辛いから「泣きたい」だけの、
シンプルな正真正銘の「泣き言」は言えない。
めそめそ出来ない。
人によっては、
特に女性だと、
うじうじすることによって人にかまってもらいながら生き伸びた人というのも多いそうだが、
私はそうではない。
きっと、
子どもの頃のあの虚しさを思い出すのが嫌で、
一人でめそめそするのが出来ない。