「おわりに」に、
24歳の自分の想いが詰まっていた。
こういうことを研究する学者系になるのも、
政府系の仕事に就くのも、
自分が本当に望んでいたことでなかったんだということが、
今振り返るとよくわかる。
ただ、
ケネディの死亡証明書の写真を図書館の本で見て、
泣いてしまったときのことはよく覚えている。
最後の一言を実行していたのは、
この後に台頭して来るトランプさんだった。
長女はトランプの就任式に生まれ、
次女は、この論文を書くきっかけになったアメリカ建国期の政治家の誕生日と同じ日に生まれた。
やはり、
母の想いはそこまで物事を動かすんだなとも思う。
トランプさんは、
お金持ちになりたかったからなったのではなく、
自分が大好きな仕事がたまたまお金を稼げる仕事だった、
という旨を若い頃の自伝で書いていてとても納得したものだった。
選挙で勝つために銃撃犯を死なない程度に引き寄せ、
ちょうどよく星条旗バックのガッツポーズを世界に知れ渡らせることに成功した。
あれは、AI作成なのだろうか、
どうなのだろう。
2024年はそういう時代になって来た。
この人と比べると、
ケネディ兄弟は「お父さんのために」「死ぬ」ことを選んだように映る。
リンカンも、お祖父ちゃんのために死ぬことを選んだのかも。
ローズヴェルトも、
自分の得意な話術で国民を惹きつけるために病を選んだのかも。
私は?
私は?
騙されていることに、
物心ついた頃から気づいていた私の、
渾身の論文。
今もまだ、
そこからの脱却は続いている。