あっという間に年末ですね。お金の方も忙しくなりますね。で、お金絡みのネタを一つ。

昔、たまたま他人の病院の診察券を見る機会があり「生保」というのに○がついてたことがありました。その時は「あー契約している生命保険から給付出るんだな」と解釈したのですが、それは勿論間違いで、生活保護の略だったというのを知ったのは、かなり後年でした。今、その気になって見回すと受給している人って結構いるようです。勿論、大半の人は真っ当な受給者ですが、なかにはけしからん輩も見かけます。大きく二通りあり、一つは不正受給に近い輩。つまり働くことが出来たり、さしあたって保護の必要がないのに受給してる輩。ひどいのになると、収入あるのに隠してるのもいます。もう一つは受給要件は問題ないけど経済観念のない輩。一ヶ月分を一週間で使い切ったり挙げ句は足りなくなったら人に無心したりする。逆に言えば、こんな経済観念だから生活保護になってしまう輩(政治家や役人が言ったら炎上だな)。こんな輩には、まとめて金渡さない方が良さそうです。

さて、昨今たまに耳にするのがベーシックインカムという言葉。いわば国民全員に支給される基本給みたいなもの。金持ちも貧乏人も関係なく全員一律の金額。コロナの給付金と仕組みは近く、取りあえず全員に支給した上で、収入のある人、金持ちからは税金で「回収」する。実現性は極めて低いけど私は賛成です。

さて、話を戻します。上記にけしからん輩の例を挙げましたが、一方でもらうべきなのにもらわない人もいます。

いろんな事情からそうなるのですが、意外と多いのが「もらうことは恥だ」と考える人が今の時代でも居るということ。日本人特有の「恥の文化」と言うのでしょうか。でも、これを少しはき違えている人もいます。知り合いの○×さん(すぐ特定できてしまうのでイニシャルすら書けません)、彼も「生活保護もらうようになったらおしまいだ、俺にはプライドがある」と言ってます。普通の人がこう言ってる分にはなんの異論もはさみません。けどね○×さん、あんたあちこちに借金作って返してないでしょ。そして今でも月末になるとあちこち無心してるでしょ。こっちの方がよっぽど恥だよ。それこそプライドないの?人に無心するくらいなら、いっそ生活保護もらってくれた方が周りに迷惑掛からないんだけど。って思います。

あと、もらえるのに知らないでもらってない人。例えば働いてるけど貧しい人、いわゆるワーキングプアって人たち。働いてるってことで保護の対象から外れていると考えがちですが対象になり得ます。ただ、ここに落とし穴というか盲点があります。いわゆる給与所得者のワーキングプアは問題ありませんが、個人事業主や会社のオーナー経営者などはワーキングプアであっても救済の網から漏れてしまう可能性が高いのです。大体これらの人たちは何らかの事業用資産(店舗、事務所、営業権、持株、機械、設備、車両等)を持っています。商売をする上で当然必要なものですが、これらが資産とみなされ、整理を迫られます。つまり、実質商売は続けられないということになってしまいます。そもそも商売が芳しくなくてそういう(保護を受けなければならい)状況になったのだから廃業は当然、という見方もありますが、廃業だって経費が掛かりますし、資産を整理したところでおそらく二束三文、結局借金だけが残る結果になる可能性の方が高かったりします。そして何よりも仕事というか生活の糧がなくなります。それなら保護を受けて細々ながらも商売を続けられる道を探った方が良いのではないかというのが私の意見です。

前回、一等駅という鉄道ネタやりました。一部の鉄道ファンと地元の関係者しか読まねーだろうな、と思って書いたのですが、そこそこ反響がありましたので、それにお応えして(図に乗って)更にローカルなネタやります。

現在の、えちごトキメキ鉄道(トキ鉄)の日本海ひすいラインは以前、JR北陸本線でした。そのJRが更に遡り国鉄時代の話です。北陸本線の直江津~糸魚川の中間に「能生」という町があります。(当時、新潟県西頸城郡能生町。現在は糸魚川市になっています)「のう」と読みます。能生町の玄関駅は町名の通り「能生駅」。どうでも良い情報ですけど、アルファベット表記では「NO」で日本一短い駅名とされてました(三重県の津は「TSU」なので3文字)

さて、時は1961年、今から60年ちょっと前の話。この駅を巡りある事件が起きました。当時の能生は特急どころか急行も止まらない小駅でした。そんな能生駅に今度のダイヤ改正で特急「白鳥」が停車する、という噂が町に広まりました。特急「白鳥」は当時、大阪~青森・上野(大阪~青森、大阪~上野を併結。直江津で分割)を走る長距離昼間特急。当時の特急は前回書いた一等駅クラスしか停車せず、それまで富山~直江津はノンストップでした。それが今度のダイヤ改正で能生に停車!さて、これは一体どういうことだったのでしょう。皆さん「運転停車」ってご存知ですか。単線区間での列車行き違いや機関車交換、物資補給や乗務員交代等のための旅客扱いをしない停車のことです。だから時刻表の上では通過で表記されます。当時の北陸本線能生付近は非電化単線でした。そしてちょうど能生駅で上下の「白鳥」が行き違うことになったのです。つまり「運転停車」。交通公社時刻表の上では当然通過と表記されていたのですが駅を管轄する金沢鉄道管理局が駅に掲出する時刻表に誤って上り白鳥の運転停車の発車時間を記載してしまった。これを見た町民が「おらが駅に特急が停まる」という騒ぎになったのです。さてダイヤ改正当日、町民たちは喜び勇んで駅に詰めかけました。そして待ちに待った特急白鳥が上下とも定刻通り到着。ところが下りは勿論、上りの白鳥もドアが開きません。そして旅客の乗り降りがないまま発車。詰めかけた町民たちはしばしポカーン。これが後に語られる「能生事件」です。事件だから、もっとオドロオドロしたものを想像してましたか?事件と言うより珍事ですね。今でもリアルタイムで遭遇した人いらっしゃいますかね。

戦前、国鉄では駅に等級があったのをご存知でしょうか。その地方での最も主要な駅だけが1等の称号を与えられる。大体県庁所在地の駅がそれに相当しましたが、1等駅の無い県もありました。この等級は明治に始まり最初は全国で10駅程度だったようです。で私の出身の新潟県の話になります。新潟県の1等駅はどこでしょう?大半の人は迷うこと無く「新潟駅」を挙げるでしょう。たしかに新潟も1等駅でした。しかし、新潟より先に1等駅になったところがあるのです。言い換えると県庁所在地を差し置いて1等駅になったところが。それが「直江津」。

鉄道ファンなら知らない人はない地名ですが、一般の人には?な地名でしょう。今では市の名前にすら残っていません。上越市の一地域です。なんでそんなところが1等駅になったのか・・・

時は明治に遡ります。最初の鉄道が新橋(汐留)~横浜(桜木町)なのは有名な話。政府は東京~大阪の鉄道敷設を急いでました。今の常識で考えると横浜から延伸して東海道ルートでしょう。ところが中山道ルートが「推し」だったようです。当時は橋梁工事の技術が未熟で東海道は多くの難工事が予想されていたこと、海から攻撃されやすい等の理由があったようです。でも中山道だって難所はたくさんあります。高崎まではいち早く開通できたのですが、その先の碓氷峠が難所の最たるところ。そこで碓氷峠は取りあえず置いといて、長野県内の工事を先にやろうってことになります。その場合、資材をどこから運ぶ?って話になります。当時はまだ海上輸送が主力の時代。一番近い港は?ってなります。ここは信州、近いのは太平洋ではなく日本海、その中でも一番近い港は・・・直江津となったのです。そこで資材運搬線として直江津~軽井沢間の敷設が着工され、明治21年開通します。一見するとただの地方路線、こんな田舎の路線が他の幹線をを差し置いてなんでこんなに早く開通したのかという背景がここにあります。その後の歴史もどんどん書きたいし、1等駅たる由縁にも触れたいのですが、これ以上続けると鉄道ファン以外からそっぽ向かれかねないので、この辺で。

ちなみに私の実家は直江津駅の北口徒歩5分、子供の時の遊び場は「春日新田大島踏切」・・良い子はまねしちゃいけません。直江津駅の反対側に畑があり、ナスや大根取りに行った記憶があります。構内には転車台が有り、SLが駐まっていました。正午になると時報代わりに汽笛が鳴り、たまたま畑の帰りにそこを通ってびっくりしてナスの入ったかごをひっくり返した記憶があります。