前回の投稿で「周りで裁判員をやった人はいない」って書いたら早速身近な方から「私、やったことあるよ」って反響がありました。確かに自分からわざわざ言うようなことでもないし、こちらも聞くわけでもないから知らないのが当たり前。でも人探しってのも似たようなことがあって「こんな人いないか」なんて公募掛けてもなかなか来ない。困ってたら意外と身近なところに適任者がいてなんで気付かなかったんだろう、って経験もあります。探し物は意外と身近なところにある、海の彼方にはもう探さない(この歌詞、知ってる方どれくらいいるかな)って話広げすぎか。
さて亡父は昭和一桁の人間でしたから、いわゆる「行儀」にはそれなりに厳しかった。というよりそれが普通と思っていたのでこちらも自然に身についた面もあります。和室で座るときは正座、苦痛でも何でもなく無意識にやっている。それ以外も色々。これらが無意識に出来ていることに感謝。でも一方で?的な作法も。菓子などを食べるとき歯形というか一口食べた跡がしっかり残るのはNGだったのです。跡が平らになるように二口続けて食え、って言われましたけど皆さんどうですか。以前ハーゲンダッツクリスピーサンドの箱写真見てびっくり、しっかり一口囓った跡がアップされているではないですか。種類によっては歯形まで。親父が見たら仰天ものだなって思いました。また飯のお替りをするときは一口分残せってのがありますけど今は知らない人も多いのではないでしょうか。今、定食屋でこれやったら怪訝な顔される可能性大です。大体店では器ごと交換になる場合も多いし。そもそもお替りする元気もなくなってきたしな。あと、ご飯を食べた茶碗でお茶や白湯を飲んでなかったですか。あれは片付け時の洗い物が楽になるってのもありますけど、やはり米は一粒たりとも残してはいけない、という教えでもあったのでしょう。幼稚園のお弁当の時、食後に「先生お湯ください」というと先生がヤカンでお湯を注いでくれた記憶があります。今、そんなことやらないよなあ。当時は弁当箱はアルマイト(金属)だったけど今はプラスチックだし、熱湯注ぐってどうなの?って話になりますね。
行儀にはそれなりに厳しかった一方で、家では結構下品な食べ方もしてました。以前にも書いたことがありますけど瓶詰めなどが、ほぼ空になるとその瓶にご飯を詰めてさらげてました。白湯入れて飲むことも。他にも汁物、鍋物は最後にご飯入れるのが当たり前。カレーを作った鍋、最後にご飯を投入。カレーまぶし飯にします。端で見てて「やめてくれよ」と思った「反抗期」。でも時を経て今、自分がやってます。