facebook見てたら自分の名前をよく間違われるという投稿がありましたので、私も乗っかって投稿する次第。

「岡村」あるあるですが、時々「岡本」にされる。ただ私の場合、姓より名前の方。「普」と書いて「ヒロシ」と読みますが、フリガナが無いとまず分からない、いや分からない方が普通。よく「晋」と思われて「ススム」さんとか「シン」さんとか読まれます。親しい友人でも最近まで「ススム」と思っていた人がいました。実際、同じ普(ヒロシ)という名前に遭遇したのは過去に一人だけです。私の場合、分からないのが当たり前だと思ってるので、特段の支障が無い場合スルーすることも多いです。人の名前というのは絶対に間違えてはいけないとされてますけど、最近はきらきらネームも多いから「わかんなくてもしょうがないよね」ってのが私の感想。

 

さて、金融機関は通帳レスが標準となりつつありますね。私も目先の特典やポイントにつられて通帳レス化した口座がいくつかありますけど、結構後悔したりしています。やはり昭和のアナログ親父としては紙の方が楽だったりします。それに入出金の照会が過去10年までという落とし穴があったりします(現実的には10年以上遡る必要はほとんど有りませんが)。実際、先日経験したことです。ゆうちょ銀行(ゆうちょダイレクト)の取引で過去の取引を調べようとしたときのこと。ゆうちょダイレクトでは10年どころか最大20年の明細がご覧になれますなんて書いてある。私が知りたいのは2018年暮れから2019年初期頃の取引なので「それなら余裕で調べられるな」と思ってやってるのに何回やってもエラー。一体どういうことなんだ、と思って画面をよく見ると「最大20年間」の後に(2021年3月1日以降の明細が対象)なんてカッコ書きがある。つまり「最大20年間」なんて表現は2041年3月以降に意味を為すわけで2024年の今、こんなこと書かれてても・・・・。で、結局私が調べたいゾーンはオンライン上では見ることは出来ず、郵便局の窓口に出向いて申請するしかないのだと。しかも手数料1200円。通帳レスにするんじゃなったと思った次第です。

他にも会計システムとか色々電子化が進んでますけど結構落とし穴があります。先日クラウド会計システムの一部を解約しました。解約直前にドキュメントに保存し、且つ印刷までしました。「結局紙かよ」と言われそうですが、防衛策はこれにつきるでしょう。

お笑いコンビ「かまいたち」のネタでこんなのが有ります。

 

人生で一回だけ過去に戻れるとしたらいつに戻りたいか、という振りでボケの山内氏が「コンビニでポイントカード作る」と言うのです。どういうことか・・・コンビニで最初ポイントカード作りますか?と聞かれたときに何気に断ってしまった。それ以降、コンビニで「ポイントカード作りますか」と聞かれる度に、ここで作ったら過去にもらえなかったポイントが損失になる、と考えて頑なに断ってきたというのです。だから過去に戻れるなら最初に聞かれた日に戻りたい、というのです(そもそも人生で一回だけなのにそれかい!ってのも笑いのツボなんですが)。当然、相方の濱家氏は「それおかしいやろ。今からでも作ればこの先は得になるんやから」と突っ込みますが山内氏は聞く耳を持たない。「いや今作ったら、それが損の起点になる。それより前にもらえなかった分が損になる」という理屈。勿論、濱家氏の方が合理的で「正論」と言えるのですが、あながち山内氏を笑える話でもないな、と私は思います。このポイントカードの話は極端ですが結構多くの人が似たようなバイアス(思い込み、思考の傾向)を持っていると思います。

経済用語で「サンクコスト」ってのがあります。埋没費用とも言いますが、回収不能な投資、コストのことです。でもこれに縛られて判断を間違うことが結構多い。「せっかくここまでやってきたんだから」「勿体ないから」「今までの努力なんだったの?」という言葉で損切り、仕切り直しが出来ない。金の貸し借りでも似たようなことが起きます。貸した相手が前の返済も滞っているのに追加で無心してきた。合理的に考えると、こんな相手は債務不履行に陥るリスクが非常に高い。でもここで断ると前に貸した分も回収不能になるかも知れない、という恐怖から追い貸しをしてしまう、という事例。いわゆる「盗人に追銭」となってしまうパターンになりがちです。

過去に縛られるって言いますけど、無意識のうちにそうなっている。人のことは笑えますが自分のことは見えていない。私もそうかもな。

先日、ゴミ処理会社の元社長Fさんと久々に飲みました。

Fさんには私がコンビニをやってた頃、ゴミの定期回収でお世話になりました。ベンチャー精神旺盛な人で、回収した食品ロス(残飯)から飼料を作る取り組みをしてました。ゆくゆくは養豚にも乗り出すとも。その夢や良し、私も大いに期待し(乗っかれば良いことあるかもという下心も有り)結構つるんでました。でも、その夢も瓦解までさほど時間は掛かりませんでした。ベンチャー精神旺盛と書いたけど要するにただの夢追い人。気付けば周りは胡散臭い人ばかり。それにも気付かず、そういう人たちが持ってくる荒唐無稽な話に乗ってしまう。元々脇の甘い経営もあって会社はあえなく倒産。そこから地を這う苦労を重ねて十数年。もうFさんも後期高齢者。少しは「憑き物」が落ちたのかな、なんて思ったけど、全然「枯れて」なかった。今回も「もう少し待っててくださいよ、一気に浮上しますからね」「今、凄い話が来てるんですよ」的な話が次から次と。しまいには「パラグアイ絡みです」。行ったこともないし、これからも行くことはないであろう地名を持ち出し「期待しててくださいよ」だと。うーん、Fさん、あなた何も変わってない!でも酒飲み話としては面白いから、この際このままでいてくれと思った次第です。

 

Fさんついでに思い出したのが茨城在住のMさん。この人も「今度は期待しててくださいよ」が口癖。去年の今頃私に「宅建業者として協力して欲しい」と連絡があり、会いに行くと大規模な区画整理事業の計画書を見せられました。確かに実現すれば莫大な利益が上がり、こちらにもそれなりの「おこぼれ」がきそうな話ではありました。でもなんとも言えない違和感がありました。失礼ながらMさんが自分でこんなプランを描ける訳がない。やはり「相棒」らしき人がいて、その人が仕切っている様子。それが分かった時点で「これは目がないな」と思いました。要するに相棒に全て仕切られているMさんが私を利用して「俺は宅建業者だ」と牽制したかったのでしょう。でもそんな取って付けたようなやり方が通用するとも思えないし、そんなのの片棒担ぐ気にもなれないので、そのまま静観することにしました。案の定その後何も言ってくることは無く、今年の年賀状には何事もなかったような通り一遍の挨拶だけでした。

 

以前、暴走老人という言葉がありましたけど、それに対してこの人たちは「妄想老人」とでも言ったらいいのでしょうか。多分、自分でも分かってると思うのです。でもここで「我に返る」と自分の人生を否定することになりかねないし、この先の生きる糧を失う。だから続けるしかないのだろうと。他山の石ではあります。