あべせつの投稿記録 -24ページ目

あべせつの投稿記録

投稿小説・エッセイなどの作品記録用ブログです

課題「余韻のある結末」



蛍の光  

  あべせつ



あれは僕が十二歳の夏だった。祖父急逝の知らせが届けられた父は、僕を連れてすぐさま郷里へと車を走らせた。山奥のその家に着いたときには、もう日が暮れていた。

通夜に訪れた客人たちの靴で埋め尽くされた玄関に入ると、祖母が出迎えてくれた。


「宏和、よう帰ってきてくれたな。カズちゃんも疲れたでしょ。早う、お上がり」

「母さん、親父えらい急やったな」

父があわただしく靴を脱ぎながら聞くと祖母は眉をひそめ首を振った。

「お父ちゃんが知らせるな言うから、あんたには言わへんかってんけどな、先月ぐらいから、寝たり起きたりで、あんまり良うなかったんや」

「そうかあ、言うても親父も大概ええ歳やったからな」

「そや、九十歳言うたら大往生や。カズちゃん、お腹空いたやろ。ご飯するさかい広間におりなさい」


祖母は僕を気遣って声をかけた。

広間に行くと大きな座卓の上にお煮しめだの、おにぎりなどが所狭しと並べられていた。それを肴に既に出来上がっていた親戚らしい叔父さんが僕に話しかけてきた。


「おまえ、どこの子や。この辺で見ない顔やな」

「何言うてんの。この子は宏和さんとこカズちゃんやがな。大きいなったねえ」

その叔父さんの嫁らしい叔母さんが、間に入ってくれた。

「なに、宏和んとこの子かいな。お前のお父さんはほんまに親不孝もんや。一人息子のくせに年寄りの両親を田舎においたまんま、家を出てからに」

「ちょっと、あんた何言いよん、こんな子供に」

「あのぼく、トイレに行ってきます」

酔っ払いにからまれるのがいやで、ぼくは早々にその場を逃げ出すことにした。


広い屋敷の中、トイレからの帰りに迷ってしまった。中庭のある長い廊下を行ったり来たりしていると、奥の間から呼びかける声がした。

「そこに誰かおるんか」

「はい、和也です」

 

 そう言って障子を開けると、そこには祖父が床に臥せっていた。

「おじいちゃん?」

「ああ、カズ坊か。大きゅうなったなあ。遊びにきてくれたんか」

「えっ、おじいちゃん」

死んだはずではとも聞けず僕はうなづいた。


「おじいちゃん、大丈夫?」

「ああ、大丈夫やで。心配せんでええ」

 おじいちゃんは生きている。早くみんなに知らせなきゃと思った時、声をかけられた。

「カズ坊、頼みがあるんや。そこに一升瓶があるやろ。その瓶の栓を外してくれへんやろか」


見ると祖父の部屋の床の間に少量の水と数本の枝草の入った一升瓶があり、中に数匹の虫が入れられていた。

「蛍や。栓開けたら逃げちゃうよ」

「ええんや。逃がしてやろうと思うてな。部屋の明かりを消しておくれ」


栓を開け、しばらくすると蛍が一匹、暗い部屋の中をスーッと光の尾を引きながら瓶の口から飛んで出ると、天井近くの土壁に止まった。それに続いて一匹、また一匹。壁に仲良く並んだ光の点滅がきらめいた。

「一つ、二つ、三つ・・・・・・七つ。おじいちゃん、見て見て、すごいきれい。北斗七星のお星様みたいや」

「ああ、きれいやなあ」


光の点滅がお互いに呼応しあい、段々規則正しくなっていくのを見ている内に、僕はいつの間にか祖父の布団の端を枕に眠ってしまった。


「カズちゃん、カズちゃん」

祖母に起こされて目が覚めると広間にいた。

「あ、おばあちゃん、おじいちゃんは」

「カズちゃん、ありがとうね。おじいちゃんはお迎えが来たんよ。でもカズちゃんがそばにいてくれたから寂しくなかったと思うよ」

 祖母はあの一升瓶を手に持っていた。

「えっ」

 

 僕は一目散に祖父の部屋へと走った。

お通夜の客が出入りするためか、祖父の部屋の障子は開け放たれていた。

「ええお顔してはりますな」

 太ったお坊さんが祖父の顔を見て、その場にいた皆にそう言った。

ふと中庭を見ると草影に蛍の光が見えた。

一つ、二つ、三つ・・・・・・八つ。


(おじいちゃんだ)

そう思った。               完





  眠り姫                                






うつむき加減の小さな顔は蒼白で、華奢な肩は小刻みに震えていた。

「この人が連続殺人犯?」

あまりの意外さに私は戸惑いながら声をかけた。

「鎌田裕子さんですね?弁護士の杉田礼子と申します。A医師からの依頼であなたの弁護をお引受けしました」

おびえた裕子は顔を上げようともしない。

「単刀直入に申し上げます。あなたには殺人の容疑がかけられています」

「殺人?」

その言葉に裕子は初めて私の顔を見た。

「私は人など殺していません。何が何だかもう!」そう叫ぶなり気絶した。




 今春、五十代男性四人が被害者となる連続殺人事件が起きた。残された指紋や防犯カメラの映像などから鎌田裕子が割り出され逮捕となった。スピード解決と思われたが、裕子は「自分ではない。被害者の誰とも面識はなく、犯行日には睡眠薬を飲んで朝まで寝ていた」と頑なに言い張り自白をこばんだ。

 

 数日前、裕子の主治医であるA医師が私の事務所を訪ねてきた。

「彼女は『睡眠薬を飲んで朝まで寝ていた』と話しています」

「そうです。それが何か?」

「いいですか、杉田さん。それが事実なら鎌田裕子が犯人ではありません」

「どういうことでしょう?なぜそう断言できるのですか?」



A医師の話はこうだ。一年前、極度の不眠に衰弱しきって救急搬送されてきた裕子に、睡眠薬を処方し眠らせた。

ところが深夜、裕子はナースステーションを襲撃、看護師からボールペンを奪うやそこにいた人たちを突き殺そうと大暴れをした。皆で取り押さえ鎮静剤を打ち、事なきを得たが、翌朝意識が戻った裕子は何も覚えていなかった。



「何も覚えていない?夢遊病のようなものですか?」

「確かに睡眠薬の副作用で夢遊病の状態になる人もいます。しかし彼女の場合は夢遊病ではなく睡眠薬が解離を引き起こしたのです」

「解離?」

「多重人格というのをご存知ですか?」

「あ、はい、映画などでは見たことがありますが」

「その後の治療でわかってきたことなのですが、裕子さんは解離性同一性障害、つまりは多重人格者なのです」



「先生、詳しい説明をお願いします」

「日常生活は真面目でおとなしい『裕子』という人格が行っています。しかし睡眠薬により『裕子』が眠らされると『リョウ』が現れるのです。リョウは裕子とは真逆の凶暴で自由奔放な性格をしています。このリョウがナースステーションを襲ったのです」

「裕子はそれを覚えていないと」



「そうです。リョウは裕子を知っていますが、裕子はリョウをまったく知らないのです」

 奇想天外な話に私は絶句していた。

「ともかく睡眠薬さえ飲まなければリョウは出て来ない。そこで僕は裕子さんに睡眠薬を禁止し軽い安定剤だけを処方していました。

しかし彼女は睡眠薬を飲んで寝ていたと証言している。おそらくは安定剤だけでは眠れずに市販薬を飲んだに違いないのです」



「それで先生は裕子さんが犯人ではないと断言されたのですね。やったのはリョウだという意味で」



「そうです。それを知っているのは僕だけです。だから僕が貴女に弁護を依頼します。彼女に精神鑑定を受けさせて下さい。刑法三十九条の適応になるはずです」

 私は悩んだ。仮に精神鑑定で裕子の病が立証され無罪になったとしても、医療観察という措置で入院を余技なくされるだろう。裕子は自らが犯した罪でないにも関わらず、おそらくは一生幽閉されることになる。それは裕子にとっては生き地獄ではないのだろうか。

 

では精神鑑定をしなかったら・・・・?

四人も人を殺めているのだ。最高刑はまぬがれまい。ともかく私は弁護を引き受けた。




 長い長い年月が過ぎた。病が認められ医療措置が必要との判決が下り、裕子はA医師の病院に入院した。常時睡眠薬が投与されることにより、『裕子』は何も知らぬまま意識の深層下で眠っている。現在、心身をを支配しているのは『リョウ』である。A医師はリョウの社会復帰を目指し治療と教育に専念している。いつか彼女が更生できたとき、再び『裕子』を覚醒させることができるだろう。



A医師はその日を信じて待ち続けている。そして私も。  完










 課題『探偵×ミステイク』



『ミステイク』   あべせつ

女が前を通り過ぎるとプワゾンの匂いがあたりにたちこめた。一昔前に流行ったキツい匂いの香水だ。危険な熟女を連想させるこの匂いを、まだあどけない女子大生の彼女がつけていて戸惑ったことがあった。その頃を境に急激に大人びていく彼女との間に、何かしら歯車がずれ始めて、卒業と同時に別れてしまったが、今頃はこの香水が似合う女になっているだろう。


シティホテル上階の廊下の陰に張り付いて、そんな回想にひたっている間に、プワゾンの女はターゲットの男がいる部屋にたどりつきドアをノックしていた。カチャリと音がしてドアが開き、中から中年の男が首だけ出して当たりを伺うと、女の腕をつかんで中に引き込んだ。


俺は柱の陰から、その一部始終をカメラに収めた。あとは女を尾行して、どこのどいつか調べるだけだ。素人女なら泊まりのこともあるが、プロなら小一時間もすれば出てくるはずである。プワゾンの女は十中八九プロとふんだ俺は車で張り込むことにした。



案の定、一時間かっきりで女はホテルから出てくるとタクシーを拾った。

そして人通りの少ない裏道を抜けさせたかと思うと、大通りでは何度もタクシーを乗り換えた。追尾する側がもっともいやがる方法を女は知っていた。


挙げ句の果てに、いきなりタクシーを地下へと潜る階段に横付けさせると、脱兎のごとくその穴に逃げ込んで消えてしまった。相棒がいれば徒歩で追わせることもできるが、こういうとき車を乗り捨てては行けないローンウルフは分が悪い。


とりあえず浮気現場の写真は手に入れた。これで依頼主は希望通り、亭主にびた一文支払わずに家から叩き出せるだろう。俺の仕事はここまででも充分だったが、自分を翻弄した女の素性を知りたくなった。してやられた敗北感に、探偵としてのプライド、いや、そんな建前はどうでもいい。結局俺はその女が気になってしかたがなかったのだ。




その夜からすぐに聞き込みを始めた。あの女の写真をその筋の者に当たれば蛇の道は蛇。きっとすぐに割り出せるに違いない。

ところが案に相違してなかなか女は見つからなかった。

「こんな上玉なら一度見りゃ覚えてるぜ。こいつはプロじゃねえな」

この界隈で幅を利かせている女衒たちですら見たことがないと言う。

店に雇われている女じゃないということなのか。なら、あの亭主はどうやってあの女を呼び寄せたのだろう?


こうなるともう仕事そっちのけの個人的な好奇心のかたまりとなってしまい、あとには引けなくなっていた。




俺は再び、あの男を張ることにした。

ところがこの一週間、男は自宅と会社の往復だけで、まったく寄り道をしない。

これ以上、時間をかけるわけにもいかないとあきらめかけたその時、女が目の前に現れた。いや現れたなんてもんじゃない。張り込み中の俺の車の助手席に乗り込んできたのだ。


「久しぶりね」

言われた言葉の意味がわからず黙っていると、女は


「むかしの女を忘れたの?」と冷笑した。

車内にプワゾンの香りがむせかえり、俺の遠い記憶を呼び覚ました。


「礼子なのか?」

濃い化粧をほどこした仮面の下に、学生時代のあのあどけない面影を見いだそうと目を凝らしたが、薄闇がそれを邪魔していた。


「フィルムをちょうだい」

黙り込む俺に礼子はたたみかけた。

「あなたには貸しがあったわよね」


そうだ。俺は礼子に借りがあったのだ。

仕方なくカメラからフィルムを抜いて渡した。礼子はそれをハンドバッグに放り込むと車を降りた。


「また会えるのか」

呼びかける俺に礼子は振り返らなかった。

あれは本当に礼子だったのだろうか。




翌日、事務所に来た依頼主に、ご亭主は浮気などしていなかったと報告した。

そんなはずはない。あんたは無能者だと口から泡を飛ばしてののしる依頼人に報酬の話などできるはずもなく金も信用も大赤字だ。


まあしかたがない。今回は色気心を出した俺のミステイクだ。アダムとイブの時代から、女がからむとロクなことがない。


気分転換にドライブでもしようと乗り込んだ車にはまだ残り香が居座っていた。


プワゾンとはよく名付けたもんだな。

俺は窓を全開すると沈む太陽めがけて走り出した。

                     

完            




















『ミステイク』 


あべせつ 



で?何からお話したらいいのかしら?あの探偵を頼むことになった事の顛末ですか?

かまわないけど、長いお話になりますわよ。 



もちろん、きっかけは夫・芳弘への疑惑でした。ええ、特に残業や外泊が増えたとか、休日に一人で外出するとか露骨な行動はなかったんですけどね。でも、何かがおかしい。


わたし、ピンときたんです。もしも芳弘に女がいるなら許せない。絶対に別れさせたい。ともかく一刻も早く尻尾を捕まえねば!

そう思いながらも、どうしていいかわからなくて、悶々とした日を過ごしていました。




そんな時、ネットサーフィンしていると偶然『浮気調査。低価格・安心・浮気の証拠が出なければゼロ円!』という魅力的な宣伝文句が目に飛び込んできたんです。私はこれだと思い、すぐさま電話をかけました。

すると翌日にはその事務所の探偵だという男がやってきて、簡単な面談をした後、即日契約ということになったのです。正直この時は「浮気の証拠がでなければタダなんだし」という軽い気持ちでいました。




ところが、いつまで経っても報告書がきません。何度連絡しても電話番の女性が『調査中です』とか『不在です』とか言うばかりで、ちっとも探偵と連絡が取れないんです。もうキャンセルしようかとしびれを切らしかけた頃、ようやく出された報告書はまったく中味のないペラペラなものでした。それなのに、請求書には数十万円という金額が書かれていたのです。


これは証拠とは言えないから払えないというと、探偵は『契約書をよく読んで下さい。タダなのは成功報酬部分だけで、交通費や日当、必要経費は別途に請求するとあるでしょ』と言うんです。断固突っぱねたかったのですけど契約書を盾に取られて訴訟だとかなんとか言うので、私は仕方なくカードで支払いました。痛い出費でしたわ。

話はここからなんですけどね。数日後にまたあの探偵が来て『実はもう少しで証拠が押さえられるところだったのに、奥さんがせかせるから、あんな報告しかできなかった。だから再契約をしないか』と言ってきたのです。


『ご主人は相手の女の休みにあわせて毎週月曜、外回りの最中に会っているのだ』と。

これは私にも思い当る節がありました。いつもはしている結婚指輪をしてなかったり、石鹸の匂いがうっすらとしたり。

『費用のほうも証拠を押さえて相手の女から慰謝料を取って、それで払えばいいのだから』と言われ、ついその気になって再契約してしまいました。先日支払った大金もそれで取り返せると思ったからです。




その後、探偵は証拠写真とやらを提出してきましたが、肝心の女の顔がピンぼけで、しかも二人でいる写真はありませんでした。それでいて請求額は200万円に膨れ上がっていたのです。こんな高額は到底支払えないと申しましたら、探偵は『では旦那さんとお話させてもらいましょうか』と言うのです。もしこの証拠写真がねつ造で本当に浮気してなかったのなら、疑った上に大きな借金を作った私は芳弘に離婚されてしまうかもしれない。悩んだ私に探偵は甘い言葉をささやきました『一夜限りの関係で半額にしてあげよう』と。


バカな私はついその甘言に乗ってしまいました。ここからが悪夢の始まりでした。

探偵は不貞の写真をもとに今度は私を脅し始めたのです。一夜限りのはずが二度、三度となり、やがて私の不貞は芳弘に知られることとなりました。


そして有無も言わさず離婚を言い渡された私は、せめて相討ちにしようと一か八かで芳弘の不貞を訴訟にかけました。でも案の定ピンぼけの写真に証拠能力はなく、負けてしまった私は裸一貫で家を追われました。



え?今ですか?芳弘は私を追い出すと、すぐに若い女と再婚しましたわ。ええ、おそらくは浮気相手だった娘なんでしょうね。いまさらどうでもいいですけどね。


ああ、私のほうですか?今はねえ。私、あの探偵の情婦やってるんですよ。笑えるでしょ?でも借金は別だって言うんで、まだ返済中ですわ。夜な夜な肌も露わな薄物を着て、酔客の相手をして稼がさされています。その内、もっと巷の闇の中に堕ちていくのでしょうねえ。


これも自業自得ですわ。探偵選びを間違えた、たったひとつのミステイクからこんな結果になったんですもの。あら、もうそろそろお店の時間ですわ。今、謝礼いただけます?どうもありがとう。では失礼します。


















                               

『ミステイク』 


あべせつ 



で?何からお話したらいいのかしら?あの探偵を頼むことになった事の顛末ですか?

かまわないけど、長いお話になりますわよ。 



もちろん、きっかけは夫・芳弘への疑惑でした。ええ、特に残業や外泊が増えたとか、休日に一人で外出するとか露骨な行動はなかったんですけどね。でも、何かがおかしい。

わたし、ピンときたんです。もしも芳弘に女がいるなら許せない。絶対に別れさせたい。ともかく一刻も早く尻尾を捕まえねば!

そう思いながらも、どうしていいかわからなくて、悶々とした日を過ごしていました。



そんな時、ネットサーフィンしていると偶然『浮気調査。低価格・安心・浮気の証拠が出なければゼロ円!』という魅力的な宣伝文句が目に飛び込んできたんです。私はこれだと思い、すぐさま電話をかけました。

すると翌日にはその事務所の探偵だという男がやってきて、簡単な面談をした後、即日契約ということになったのです。正直この時は「浮気の証拠がでなければタダなんだし」という軽い気持ちでいました。



ところが、いつまで経っても報告書がきません。何度連絡しても電話番の女性が『調査中です』とか『不在です』とか言うばかりで、ちっとも探偵と連絡が取れないんです。もうキャンセルしようかとしびれを切らしかけた頃、ようやく出された報告書はまったく中味のないペラペラなものでした。それなのに、請求書には数十万円という金額が書かれていたのです。


これは証拠とは言えないから払えないというと、探偵は『契約書をよく読んで下さい。タダなのは成功報酬部分だけで、交通費や日当、必要経費は別途に請求するとあるでしょ』と言うんです。断固突っぱねたかったのですけど契約書を盾に取られて訴訟だとかなんとか言うので、私は仕方なくカードで支払いました。痛い出費でしたわ。


話はここからなんですけどね。数日後にまたあの探偵が来て『実はもう少しで証拠が押さえられるところだったのに、奥さんがせかせるから、あんな報告しかできなかった。だから再契約をしないか』と言ってきたのです。


『ご主人は相手の女の休みにあわせて毎週月曜、外回りの最中に会っているのだ』と。

これは私にも思い当る節がありました。いつもはしている結婚指輪をしてなかったり、石鹸の匂いがうっすらとしたり。


『費用のほうも証拠を押さえて相手の女から慰謝料を取って、それで払えばいいのだから』と言われ、ついその気になって再契約してしまいました。先日支払った大金もそれで取り返せると思ったからです。



その後、探偵は証拠写真とやらを提出してきましたが、肝心の女の顔がピンぼけで、しかも二人でいる写真はありませんでした。それでいて請求額は200万円に膨れ上がっていたのです。こんな高額は到底支払えないと申しましたら、探偵は『では旦那さんとお話させてもらいましょうか』と言うのです。もしこの証拠写真がねつ造で本当に浮気してなかったのなら、疑った上に大きな借金を作った私は芳弘に離婚されてしまうかもしれない。悩んだ私に探偵は甘い言葉をささやきました『一夜限りの関係で半額にしてあげよう』と。


バカな私はついその甘言に乗ってしまいました。ここからが悪夢の始まりでした。

探偵は不貞の写真をもとに今度は私を脅し始めたのです。一夜限りのはずが二度、三度となり、やがて私の不貞は芳弘に知られることとなりました。

そして有無も言わさず離婚を言い渡された私は、せめて相討ちにしようと一か八かで芳弘の不貞を訴訟にかけました。でも案の定ピンぼけの写真に証拠能力はなく、負けてしまった私は裸一貫で家を追われました。



え?今ですか?芳弘は私を追い出すと、すぐに若い女と再婚しましたわ。ええ、おそらくは浮気相手だった娘なんでしょうね。いまさらどうでもいいですけどね。


ああ、私のほうですか?今はねえ。私、あの探偵の情婦やってるんですよ。笑えるでしょ?でも借金は別だって言うんで、まだ返済中ですわ。夜な夜な肌も露わな薄物を着て、酔客の相手をして稼がさされています。その内、もっと巷の闇の中に堕ちていくのでしょうねえ。


これも自業自得ですわ。探偵選びを間違えた、たったひとつのミステイクからこんな結果になったんですもの。あら、もうそろそろお店の時間ですわ。今、謝礼いただけます?どうもありがとう。では失礼します。