眠り姫
うつむき加減の小さな顔は蒼白で、華奢な肩は小刻みに震えていた。
「この人が連続殺人犯?」
あまりの意外さに私は戸惑いながら声をかけた。
「鎌田裕子さんですね?弁護士の杉田礼子と申します。A医師からの依頼であなたの弁護をお引受けしました」
おびえた裕子は顔を上げようともしない。
「単刀直入に申し上げます。あなたには殺人の容疑がかけられています」
「殺人?」
その言葉に裕子は初めて私の顔を見た。
「私は人など殺していません。何が何だかもう!」そう叫ぶなり気絶した。
今春、五十代男性四人が被害者となる連続殺人事件が起きた。残された指紋や防犯カメラの映像などから鎌田裕子が割り出され逮捕となった。スピード解決と思われたが、裕子は「自分ではない。被害者の誰とも面識はなく、犯行日には睡眠薬を飲んで朝まで寝ていた」と頑なに言い張り自白をこばんだ。
数日前、裕子の主治医であるA医師が私の事務所を訪ねてきた。
「彼女は『睡眠薬を飲んで朝まで寝ていた』と話しています」
「そうです。それが何か?」
「いいですか、杉田さん。それが事実なら鎌田裕子が犯人ではありません」
「どういうことでしょう?なぜそう断言できるのですか?」
A医師の話はこうだ。一年前、極度の不眠に衰弱しきって救急搬送されてきた裕子に、睡眠薬を処方し眠らせた。
ところが深夜、裕子はナースステーションを襲撃、看護師からボールペンを奪うやそこにいた人たちを突き殺そうと大暴れをした。皆で取り押さえ鎮静剤を打ち、事なきを得たが、翌朝意識が戻った裕子は何も覚えていなかった。
「何も覚えていない?夢遊病のようなものですか?」
「確かに睡眠薬の副作用で夢遊病の状態になる人もいます。しかし彼女の場合は夢遊病ではなく睡眠薬が解離を引き起こしたのです」
「解離?」
「多重人格というのをご存知ですか?」
「あ、はい、映画などでは見たことがありますが」
「その後の治療でわかってきたことなのですが、裕子さんは解離性同一性障害、つまりは多重人格者なのです」
「先生、詳しい説明をお願いします」
「日常生活は真面目でおとなしい『裕子』という人格が行っています。しかし睡眠薬により『裕子』が眠らされると『リョウ』が現れるのです。リョウは裕子とは真逆の凶暴で自由奔放な性格をしています。このリョウがナースステーションを襲ったのです」
「裕子はそれを覚えていないと」
「そうです。リョウは裕子を知っていますが、裕子はリョウをまったく知らないのです」
奇想天外な話に私は絶句していた。
「ともかく睡眠薬さえ飲まなければリョウは出て来ない。そこで僕は裕子さんに睡眠薬を禁止し軽い安定剤だけを処方していました。
しかし彼女は睡眠薬を飲んで寝ていたと証言している。おそらくは安定剤だけでは眠れずに市販薬を飲んだに違いないのです」
「それで先生は裕子さんが犯人ではないと断言されたのですね。やったのはリョウだという意味で」
「そうです。それを知っているのは僕だけです。だから僕が貴女に弁護を依頼します。彼女に精神鑑定を受けさせて下さい。刑法三十九条の適応になるはずです」
私は悩んだ。仮に精神鑑定で裕子の病が立証され無罪になったとしても、医療観察という措置で入院を余技なくされるだろう。裕子は自らが犯した罪でないにも関わらず、おそらくは一生幽閉されることになる。それは裕子にとっては生き地獄ではないのだろうか。
では精神鑑定をしなかったら・・・・?
四人も人を殺めているのだ。最高刑はまぬがれまい。ともかく私は弁護を引き受けた。
長い長い年月が過ぎた。病が認められ医療措置が必要との判決が下り、裕子はA医師の病院に入院した。常時睡眠薬が投与されることにより、『裕子』は何も知らぬまま意識の深層下で眠っている。現在、心身をを支配しているのは『リョウ』である。A医師はリョウの社会復帰を目指し治療と教育に専念している。いつか彼女が更生できたとき、再び『裕子』を覚醒させることができるだろう。
A医師はその日を信じて待ち続けている。そして私も。 完