あべせつの投稿記録 -22ページ目

あべせつの投稿記録

投稿小説・エッセイなどの作品記録用ブログです

《上限の月 亥の刻・鬼灯堂》


ガタン!

「助けて。お願いです。助けてください」

よもや戸が外れるのではないかという勢いで格子戸を開けて駆け込んだ洋子は、輝夜に向かって叫んだ。履いていたはずのつっかけが脱げ、両足の靴下は真っ黒に汚れていたが、それにすら気づいていなかった。


「どうされました」

奥の間からゆっくり輝夜が出てくるのが見えた。

「お義母さん、お義母さんを助けてください」

「洋子さん、落ち着いてください。お義母さんがどうかされたのですか」

「わたしが間違っていたんです。お義母さんを殺そうなんて恐ろしいことを考えて。もう二十日もあのろうそくを灯しているんです。毒は、今からでも毒消しはできますか」


「ああ、あれに毒など入っていませんよ」

必死の形相で問いかける洋子に、輝夜は場違いなほど呑気に答えた。

「えっ、でも」

「あのろうそくには気持ちの安らぐ野草を練り込んでいるだけです。アロマキャンドルと同じですよ」

「じゃあ、どうして急にお義母さんは変わられたのですか。青炎さんが輝夜さんの作るろうそくは特別だから効き目があるって」

「お義母さんが変わられたとしたら、それはあなた自身の力ですよ。あなたが本心はどうあれ、誠心誠意尽くされたことがお義母さんの頑なな気持ちを解かしたのです。そしてまたお義母さんの気持ちがあなたを正気に戻した。それだけのことです」

「じゃあ、お義母さんは死なないのですか」

「あのろうそくではね」

それを聞いたとたん洋子はへなへなと腰が抜け、縁に座り込んでしまった。


「ああ、ああ良かった」

「大丈夫ですか」

「ええ、ありがとうございます。もう大丈夫です」

洋子が立ち上がると輝夜が履物をそろえて前に置いた。

「こんな男物しかありませんが、よかったら」

「まあ、すみません。わたしったら」


赤面する洋子に、輝夜は小さな紙包みを差し出した。

「それから、これをお持ちなさい」

「これは」

 輝夜は紙包みの中の幾つかのまん丸いろうそくを見せてくれた。

「水に浮くろうそくです。あのろうそくと同じ気持ちの安らぐ野草が入っています。これなら眠ってしまっても安全に使えますから、あなたもこれで、ぐっすりおやすみなさい」

「ありがとうございます。なんとお礼を申し上げたらいいのか」

「洋子さん、まだですよ。満月まであと九日。その日こそがあなたの満願成就の日ですから」

「はい」

 洋子は輝夜に深々とお辞儀をすると、家路に急いだ。

《満月 二度目の十五夜 戌の刻・ 洋子宅》


「お義母さん、お茶が入りました。今日はデザートに無花果のケーキを焼いてみたんですよ」

「あら洋子さん、ありがとう。どれどれ、うーん、これはとっても美味しいわ。貴女は本当にお料理上手ねえ。私の奥さんにしたいぐらいだわ」

「まあ、お義母さんたら」

「おほほほ」

「うふふふふ」

 

 二人のなごやかな笑い声が部屋中に満ちた時、リビングのドアが開いた。

「な、なんだ、これはいったいどうしたんだ 」

「あら武史」

「武史さん?」

 洋子が振り向くと、そこには武史が目を丸くして驚いていた。
 

「武史、ほら見て。私はこんなに元気になったのよ」

昔のように、きちんと身支度をした母親が車椅子に背筋を伸ばして座っているのを見て武史はまるで信じられないものを見たかのように唖然としていた。

「今週からリハビリを始めたの。頑張ればまた歩けるようになるって先生から太鼓判もいただいたのよ、ねえ洋子さん」

「そうですよ、お義母さん、あんなに頑張ってらっしゃるんですもの。回復はきっとお早いですわ」


「母さん、洋子」

「武史、これもみんな洋子さんのお陰なのよ。どれだけ洋子さんが尽くしてくれたか感謝してもしきれないわ」

「まあお義母さん、そんな」

「そうか、そうだったのか」


突然、武史が洋子に頭を下げた。

「洋子、すまん。夕べまた母さんから帰ってこいという電話があったんだ。またかと思って聞いていたんだが、母さんの声がいつもとちがって明るかったんで、何か気になって見に来たんだよ。そうか、お義母さん、本当に良かった。洋子、何もかもお前ひとりに押し付けて俺が悪かった。母さんをこんなに大事にしてくれて、ありがとうな」

 

 男泣きに泣きながら、謝る武史に洋子は胸を打たれた。

「武史さん」

洋子も鼻の奥がつんとなり、目がしらに熱いものが浮かんできた。

「洋子、母さん、俺、ここに帰ってきてもいいか」

「武史さん、当たり前です。ここは武史さんの家じゃありませんか、ねえお義母さん」

「そうだよ、武史、洋子さんもこう言ってくれているんだから、今からでも帰っておいで」

《寝待ち月  戌の刻・鬼灯堂》


こんばんは」

鬼灯堂の格子戸を開けると、やはり青炎が今日も来ていた。

「ああ、洋子さん。いらっしゃい。その晴れ晴れとした顔は、満願成就しはったんやね」

「はい青炎さん。この度は本当にありがとうございました。無事願いが叶いましたので、今日はお礼に伺ったんですよ。この時間なら青炎さんもいらしてると思ったので」

「ほんならお姑さんは、そうかあ、ご愁傷様でした」

拝むように手を合わせる青炎に洋子はあわてた。

「ええっ、違うんです、青炎さん。義母は生きています。むしろすごく元気になって、私にもとても優しくしてくれるんですよ。それを見て夫も帰ってきてくれたのです」

「えっほんま。旦那さん帰って来はったん。それは良かったねえ」

「はい、元気になった義母の姿をとても喜んでくれて。『これもすべてお前のお陰だ。今までのことは謝る。もう一度やり直させてくれ』と頭を下げてくれて」

「そんで、向うの女の人とはトラブル無く?」

「はい、わたしにははっきり言いませんが、どうやらお金で済む方だったようです。夫との仲も最近では冷めていたところだったようで、意外にすんなりでした」

「洋子さん、優しいなあ。これまでのこと、そないあっさり許しはるんやね。わたしやったら、ぎゅうぎゅう言わせたあげくに、罰としてダイヤの指輪の一つでも買わせたるのになあ」


「これ、加代さん」

輝夜にたしなめられ、加代はペロリと舌を出した。

「はい、わたしとて一度は鬼になりました。義母を殺そうとまでしたのです。わたしの罪に比べたら一度浮気されたぐらいが何だと思えるんです。今までわたしは自分が幸せになることばかり考えていました。義母や夫のつらい気持ちをまったく思いやってあげていなかった。だから夫も居場所を無くしていたんだと、それに気づいたんです。これからは、わたし強くなります。何があってもどんと構えて受け止められるように」


「強なったなあ、洋子さん。かっこええで」

「はい、青炎さん。ありがとうございます。それから鬼灯さん、遅くなりましたが、これをどうぞお受け取りください」

にっこり笑うと洋子は用意してきた菓子折りと謝礼の入った封筒を輝夜に差し出した。輝夜はそれらを有り難く受け取ると、中を確かめるでもなく座卓の上に置いた。そして入れ代わりに見事な柘榴の花の絵付けをしたろうそくを数本入れた化粧箱を洋子に渡した。

「これは子授けのろうそくです。 火を付けずともよいので、寝室に飾ってください」

「まあ、きれい。ありがとうございます」

「これで来年は洋子さんもお母ちゃんになれるわ。それでこそ、ほんまの満願成就やね」


青炎の言葉を聞いて、洋子はふと気になっていたことを尋ねてみた。

「鬼灯さんは、初めからこうなるとわかっていらっしゃったのですか」

「ええまあ、古今東西、昔話の『毒の粉』ですから」

 洋子はその話を知らなかったが、初めて笑顔となった輝夜の顔に見とれてしまい、どんな話なのかは聞きそびれてしまった。

改めてもう一度、二人に礼を言い店を出た洋子を寝待ち月が照らしていた。

「ああ、なんてきれいなお月様なんでしょう。ここで一句。『子宝の柘榴を持ちて 寝待月 きみの元へと われ急ぐなり』なあんてね。さ、帰ろう」

月光もかすかに笑ったようだった。            

 第一夜 完

《上限の月 戌の刻・洋子宅》


初めて青炎と輝夜に会った満月の夜から二十と二日が過ぎた。このところ幸代の毒舌はまったく無くなり、むしろ遠い目をして何かふさぎこむようになってきていた。

(いよいよなのかしら)

洋子はマッサージしながら、幸代の様子を伺っていた。

「洋子さん、マッサージはもういいわ。カーテンを開けてくれないかしら」

「えっ。あ、はい、お義母さん」


この部屋のカーテンを開けるのは幸代が倒れて以来一年ぶりのことだ。

「ああ、きれいなお月様ねえ」

幸代は上半身を起こしてベッドに座って窓の外を見入っている。洋子もつられて覗いて見ると西の空に上限の月が明るく輝いていた。

「ええ、ほんとに」

短くなったろうそくが月の光に照らされたとたん、炎がひときわ大きく揺らめいた。


「武史とこうして一緒に月を見たことがあったかしら。いえ、きっと無かったわ。私は忙しく飛び回っていたから」

(急に昔話なんか初めていったいどうしたのかしら。弱気になってきたとか?)

洋子は何と言っていいかわからず、黙ってそばに座っていた


「武史の父親はあの子が七つの時に病で亡くなっての。私もまだ若かったから、親戚から再婚話が出たりもしたのだけれど、武史が新しい父親ができるのを嫌がってね。私も主人以外の人は考えられなかった。幸い資産はあるし、それで暮らしのほうは何とかなるから一人でがんばろうと思ったの。

でも私は世間体ばかり気にしすぎていたのよね。武史が片親だからといって人に見下されないようにとそればかり考えていたわ。あの子には毎日のように塾や習い事をさせたし、私自身はPTAだの婦人会だのと飛び回って、無駄に忙しくしていたの。武史のためと言いながら、自分が人に馬鹿にされまいとそればかり考えていたのかもしれないわ。そばにいてやらなくちゃいけない時に、私はいてあげなかった。それでも武史は淋しいとも言わず、私の期待に応えようと健気にがんばってくれていたのよ」


(どうして急にわたしにそんな話をするのかしら)


「でもね、いつの間にか私は武史の気持ちがわからなくなっていたの。気がつけば、あの子は私の手を離れていた。そうなって初めて私は武史が味わってきた孤独をようやく身を持って知ることができたの。私は武史の気持ちを取り戻そうとやっきになったわ。でももうその時は遅かったの。武史の前に貴女という人が現れて」

「えっ、わたしですか」

「私にはまったく甘えたことのない武史が、貴女にだけは心底気を許して甘えている。その姿を見たとき、愚かにも私は嫉妬してしまったの」


幸代は洋子を向き直りベッドの上で居住まいをただした。

「洋子さん、今までひどいことばかり言ってごめんなさいね。お金のことも。あの時はああでも言わないと貴女がいなくなると思ってしまったの。私ね、入院していた時、お見舞いにきた人が私のことを『今までえらそうにしていたのが、あんなになって哀れよね』と陰口をたたいているのを聞いてしまったのよ。あれから私、今の自分を人に見られるのが怖くなってしまったの。


今まで人からは妬まれたことはあっても蔑まれたことなんて一度もなかった。だからもう治らないなら死んだほうがいいと思ってしまったの。この部屋から一歩もでないで死んでやると。そのくせ、いざ一人になるとあなた方に見捨てられるんじゃないかと怖くて寂しくて。不安になるとついつい時間もかまわずあなた方を呼びつけてしまっていたわ。夜中でも駆けつけてくれたあなたたちに、感謝するどころか泣き言や嫌味ばかり言ってしまって。そんな歪んだ私に愛想を尽かして武史は出て行ってしまった。私は息子にすら捨てられてしまった。わかっていたけれど、そう思いたくなかった。それでその怒りや悲しみをすべて貴女にぶつけてしまっていたのよ」


「お義母さん」

「それなのに貴女はこんなにも献身的に私に尽くしてくれて。貴女は菩薩様のような人だわ。武史が貴女を選んだ理由、今は痛いほどよくわかるの。武史が戻らないのは私のせいなのよ。私のわがままであなた方まで不幸にしてしまうところだった。洋子さん、今までのことは心からお詫びします。武史のことも私がなんとか改心させますから、どうか私たち親子にもう一度やり直すチャンスを与えてやってくださいな」

幸代は深々と頭を下げた。


(そうだったのね。お義母さんも苦しんでいらしたのだわ)

 幸代の誠心誠意のお詫びに胸打たれ熱いものがこみ上げると、怒りや恨みの澱がすっと消えていくのを感じた。

「お母さん、そんな、いいんですよ。どうか頭を上げてください」

そう言って幸代の丸い背中を優しくなでて慰めた。


しかし次の瞬間、はっと思い出した。

(あっ、ろうそく)

見ると5センチほどになったろうそくは最後の大きなゆらめきを見せたかと思うと、ふっと消えた。

(いけない。毒、毒をなんとかしなければ)

「お義母さん、ろうそくが無くなってしまいました。急いで買ってきますね」

(変に思われてもいい 。とにかく早く、早くなんとかしなくちゃ)

洋子は取るものもとりあえず家を飛び出した。

つづく

みそかの月 戌の刻・洋子宅》


「お義母さん、入ります。そろそろお休みの準備をしますね」

あれから二週間、洋子は毎夜幸代の部屋を訪れてはろうそくを灯し、マッサージを続けていた。

「洋子さん、今日はパジャマを着替えたいわ。身体も拭いてちょうだい」

「えっお義母さん? わかりました。すぐに支度をしますね」

何度勧めてもなかなか風呂に入らず、パジャマを着替えなかった幸代の方から、珍しく着替えたいという言葉がでて洋子は驚いた。


しかし、そうしてくれればこのきつい異臭に悩まされることもなくなる。洋子は幸代の気が変わらぬ内にと急いで支度をして、部屋に戻った。垢付いて黄ばんだパジャマを脱がし、熱目の湯を浸したタオルで痩せた身体を拭いていくと、幸代は気持ちよさそうに目を閉じた。

「お義母さん、お風邪を召さないように新しいパジャマをどうぞ」

そうして着替えさせたあと、今まで着ていたよれよれのパジャマをゴミ袋に詰め込んだ。

「洋子さん、そのパジャマ捨てないでよ」

「え? でもお義母さん、これはもう」

「それは武史が買ってくれたパジャマなのよ。わたしが入院したときに、あの子がこれは着心地がいいからって」


これを洗うのかと内心うんざりしたが、今機嫌を損ねるわけにもいかない。

「お義母さん、わかりました。これは明日洗濯しておきますね」

そう言いながら、今度はマッサージを始めると、幸代はいともたやすく眠りについたようであった。洋子はそれを見届けると部屋を片付け、そっと屋敷を抜け出した。

《みそかの月 戌の刻 その後・ 鬼灯堂》


「こんばんは」

「あら、洋子さん」

格子戸を開けると、作業場の入口の縁に腰掛けて作業中の輝夜に話しかけていたらしい青炎こと加代が驚いて立ち上がった。

「心配してたんやで。 その後どうなったんかな思うて」

「ええ、それが、あの」


輝夜は黙々と作業を続けたままで、こちらを見る様子がない。前回会ったときの輝夜の冷たい態度を思い出し、話そうかどうしようかとと少しひるんだが、青炎の親身な言葉に勇気づけられやはり相談することにした。

「お姑さんは、どないなん。何か変わったことはあったん」

「それがよくわからなくて。あれから二週間、毎晩灯し続けてるんですけど、なんだか変なんです。最近よく寝るようになって、食欲も少し出てきたようで。今日なんかはパジャマまで着替えると言い出して」

「それって元気になってきてはるんやないの」

「ええ、でも、小言や愚痴が減って妙におとなしいんです。以前は何か少し気に入らない事があれば、ここぞとばかり文句を言って突っかかってきていたんですが、このところはふさぎこみがちになって、一日中気が抜けたみたいにぼんやりしてるんです」

「わかった。それっていよいよ毒が効いてきたせいやないの。ほら、神経毒ってあるやん。満腹中枢とかなんかそんな神経系が麻痺してきて食欲が狂いだしたんとちがうんかな。よく寝るようになったり口数が少なくなってきたんも弱ってきたからやと思うわ。そうなんちゃうの?輝さん」


呼びかけられた輝夜はようやく顔を上げて洋子を見た。

「洋子さん。大丈夫です。心配なくお続けなさい」

「はい、あ、でも」

「あっ、もうそろそろお店出さなあかん時間やわ。輝さん、今夜の御代、ここに置いとくね。洋子さん、帰りはるんやったら途中まで一緒に行かへん?」

「あ、はい、ではご一緒に。鬼灯さん、それでは失礼します」

輝夜はそれにこたえるように無言で頭を下げると、また作業に取りかかった。

店を出ると月のない夜を二人で歩き始めた。

「あの、青炎さん、鬼灯さんって、どんな方なんですか」

「輝さん? あの人はほんまに信用できる人やで」

「青炎さんの古くからのお知り合いなんですか」

「わたしが輝さんに会ったのは、そう去年の今頃やったから、ちょうど一年くらいのお付き合いかな。一年前のわたしはほんまにもう不幸のどん底やったんやけど、たまたま輝さんに出会って救われてん」

「救われた?」

「そうやで、そやから輝さんの言わはることに間違いはないねん。洋子さんもきっと救ってもらえるから、心配せんとき」


「ええ、でもあのろうそくに、そんな力があるのでしようか」

「ある。輝さんの造るろうそくは、普通に売ってるろうそくとは違うねん。洋子さんさ、月読って知ってる?」

「月読ですか。いいえ、それは何ですか」

「なんでも大昔からある技法でね。月の光の不思議な力を、物に封じ込めるという技なんやて。それができるのは月読という一派だけで、一族それぞれにその物は違うらしいんやけど、輝さんはろうそくに封じ込めるという月読の蝋燭師やねん」

「なにか、おまじないみたいですね」


「そんな子供だましみたいなもんとは違うんやで。ちゃんと効き目があるんよ。特別なろうそくやから輝さんとこのお客さんは、古くからあるお寺とか神社とか老舗の占い師さんたちやねん。一般の人相手の商売やないから、あんな人通りのない所でも続けてられんねんよ。実際わたしはそれに救われたし、今も輝さんのろうそくを使って占いしてるから百発百中当たるねん。まあわたしは恋占いが専門なんやけどね。その占いの仕方も輝さんに教えてもろうてんよ」


「青炎さんは、どうしてわたしを鬼灯さんに連れて行ってくれたのですか」

「そやなあ、洋子さんの必死さが伝わったからかな。どう見ても悪い人には思えなかったし、よほど切羽詰ってるんやなと思うてん。それにね、占いしてて恋占いの時以外は断るか、自分のところに連れて来なさいと輝さんから言われてるのもあるねんけどね。でもやっぱり紹介してよかったと思ってるんよ。話を聞けば洋子さん、わたしと似てるわ。わたしもバツイチで天涯孤独やねん。子供は一人いるんやけどな。生活に困って夜の仕事もしたことあるし。そやから身につまされたよ。輝さんが引き受けた以上、悪いようにはしはらへんわ。信じてやってみいな。ほな、わたしはここで。お互いがんばろうな」

 

 そう言う と青炎はトンネルへと入って行った。

(まあやるだけやってみよう。今はこれしか頼るものはないんですもの)

洋子はその後ろ姿を見送ると、半信半疑のまま家路についた。

つづく

《十六夜 午の刻・洋子宅》


家に帰ると、幸代の部屋には行かず直接二階の自室に上がった。すぐに出ていけるように荷物をまとめるつもりだった。武史とは一度話し合わねばならないとは思ったが、どのみち今電話をかけても出てはくれないだろう。その新しい女と再婚するつもりなら離婚できなければ困るのは武史のほうだ。しばらくして居場所が落ち着いたらまた改めて連絡すればいい。とにかく一刻も早くこの家から出たかった。お義母さんの世話はヘルパーさんか誰かに来てもらえればいい。お金はあるのだ。雇う気になれば今日にでも来てくれるだろう。他人を入れるのが嫌ならば、その新しいお嫁さんがすればいいことだ。


荷造りをし終わると、トランクを玄関に置き、幸代に最後の別れを言いにいった。

「お義母さん、色々考えましたがお義母さんのおっしゃる通り、わたしはこの家を出て行くことにしました。今までお世話になりましてありがとうございました」


「なんですって。このままわたしを一人にして出て行くつもりなの。それは許さないわよ。恩知らずな。あなたの借金を返してあげたのは誰だと思うの。武史が返したと思っているんでしょうけど、お金の出所はわたしなのよ。武史にねだられるまま何に使うかも聞かずに出した私が愚かだったわ。まさかあなたの借金を返すためだったなんてね。後から聞いて失敗したと思ったわよ。出て行くんなら、そのお金を返してからにしてちょうだい。払えないなら、せいぜい労働奉仕をすることね」


「でも今朝はお義母さんが出ていけとおっしゃられて」

「口答えはよしてちょうだい。武史が新しい嫁を連れてきたら、出て行ってもいいわ。でもまあ、あなた行く所もないんでしょ。だったら籍さえ抜けば使用人として居させてあげてもいいわよ」


毒のある言葉に洋子の身体がわなわなと震えだした。

「さあ、わかったらお茶を入れてきてちょうだい。のどが渇いたわ」

(わたしを一生、奴隷にするつもりなんだ)

洋子は覚悟を決めた。

(もう、やるしかない)

《十六夜 宵の口 ・洋子宅》


「お義母さん、今夜もろうそくを立てましょうか。夕べはよくお休みになれたのでしょう」

洋子はさも改心したかのように優しく声をかけた。外面如菩薩内面如夜叉とはこのことかと自分で思った。


「そうねえ。でも」

洋子はみなまで言わさずろうそくに火を付けた。


「お義母さんが寝付かれるまで、おそばにいますから安心してください。あ、そうだ、よく眠れるようにマッサージでもして差し上げましょうか」

そういうなり、有無を言わさず洋子は布団の中に手を入れ、幸代の全身をマッサージし始めた。何日も風呂に入らない幸代の身体からは異臭がはなち、ぬるりと粘つく肌の感触に、思わず洋子の全身が総毛立ち手を引っ込めたくなった。


しかし、ここは我慢のしどころと何とか自分を励ましマッサージを続けた。最初は触られることに少し抵抗を示していた幸代だったが、やはり気持ちがよいのだろう。十分もするとろうそくの効果もあってか、軽いいびきを立て始めた。洋子はろうそくの火を消し、起こさないように静かに部屋を出ると、着ていたものを全部洗濯機に放り込み風呂場に駆け込んだ。熱いシャワーを頭からざあざあとかけ、うがいを何度もし、全身をゴシゴシ洗った。いつまでも体にまとわりつくようなろうそくの毒と幸代の異臭をこそげ落としたかった。


(これを毎日やるんだわ)

 洋子ののどに何か苦いものがこみあげてきた。


つづく

〈十六夜・朝 巳の刻 鬼灯堂〉


《営業時間 逢魔が時より丑三つ時まで》と書かれた立て板の前で、洋子は途方に暮れていた。

「逢魔が時って、何時からなのよ」

ここに来る前、昨夜青炎と出逢ったトンネルにも寄ってきたが、そこに占い師の姿はなかった。しかたなくうろ覚えの道順をたどり、ようやくここまで来たものの店の格子戸は固く閉ざされている。家には居たたまれず、折れたろうそくだけを手に飛び出して来てしまった。まだしばらくは帰りたくないし、かといって財布もない。行き場に困り、どうしたものかと思いながら、そっと格子戸をたたいてみた。


「ごめんください」

中で人の動く気配がして、格子戸が開いた。昨夜と同じ紺色の作務衣を来た輝夜が姿を現した。

「開店前ですのに、すみません。あの、これ」

 洋子は折れたろうそくを見せた。

「ああ、少しお待ちください」

 

 輝夜は洋子を招き入れることなく入口に立たせたまま、奥へと引っ込んだ。開け放たれた格子戸から見える店内は、朝の光に満ちて昨夜の幻想的な雰囲気はなく、どこにでもあるような工房の様を呈していた。ほどなく輝夜は新しいろうそくを手に戻ってきた。

「あの、申し訳ないのですが今、持ち合わせがなくて。昨夜のもまだお支払してないんですけど」


「それは、またいつでも」

「あ、ありがとうございます。それで、あの今朝・・・・・・」

 洋子はろうそくが折れたいきさつを話した。

「お義母さんが、わたしの買ったろうそくなんか見たくもないと。それに火が怖くて寝付けないと言われて。でもわたしが火を消しに行ったときは、ぐっすり眠られ

ていたのですけれど。もうどうしていいか、わからなくて」


「ご心配なく。お義母さんは今夜もろうそくを灯すようにおっしゃいますよ。あのろうそくには、そうした常習性があるのです。そのかわり即効性はありません。仕込んである薬は毎日少しずつ灯すことで効き目を表します。一時に大量に灯せばいいというものではないのです。だから次の満月までと申し上げました。お義母さんの心配を取り除くためには寝付くまで、あなたもそばにいればいい。不自然にならぬよう話をするとかマッサージをするとか、そうすればお義母さんも安心してろうそくを灯すようにおっしゃるはずです」

「ええっ、でもそんなことをしたら、わたしまで毒を吸い込むことになるのではないのですか」

「人一人を殺めようというのです。あなたもそれなりの犠牲をはらわなければなりません。自らの命をかける覚悟がないのなら、もうここでお止めなさい」

 輝夜は声をひそめてそういうと、格子戸をぴしゃりと閉めてしまった。

店を出てから当て所なくさ迷ううちに、小さな公園へとたどり着いた。既に学校や幼稚園の始まっている時間帯のためか、人っ子一人いない。洋子は木陰のベンチに腰をかけた。今となっては手にしたろうそくが恐ろしい。素手で触ってしまったが大丈夫なのだろうか。

「でも即効性はないと言っていたわ。そういえば、ドラマか何かでそうした毒があるというのを聞いたことがある。毎日少量ずつ摂らせることで、解剖しても死因がわからなくて病死扱いになるっていう毒薬。これがそれなんじゃないのかしら」

とはいえ、姑だけにこれを使うのは、もはや難しい状況になってしまった。


「どうしよう。寝付くまで一緒になんて。わたしまで死んでしまったら元も子もないのに」

(離婚して家を出ればいいじゃない。そうすれば、もうこんな思いしなくていいのよ)

もう一人の洋子が耳元でささやいた。

(こんなに頑張ったんだもん。借金の分だってもう帳消しのはずよ)

(あと何年がんばればいいと思う? あの調子じゃ一年や二年じゃ済まないわよ)

「じゃあ、離婚したとしてどこに行けばいいの? 頼れる身内もお金もないのよ」

(どこでもいいなら住み込みで何か仕事があるはずよ。まだ三十五歳。女盛りをあんなお婆さんの世話で終わらせていいの?)

「そうよね」


もう捨ててしまおうかと、手にしたろうそくを見たとき、結婚指輪が目に入った。武史が選んでくれたプラチナの指輪だった。


「楽しかったなあ、あの四年間は」

二人だけの絵に描いたような幸せな暮らし。幼い頃から厳しくしつけられ緊張を強いられて生きてきた武史は、洋子だけが気を許せる唯一無二の人だと言って、心から大切に思い愛してくれた。


五年前、洋子がアルバイトをしていたスナックに白河武史が上司のお供でやってきたのが最初の出会いだった。その頃、武史はまだ二十五歳。なぜか洋子に一目惚れしたらしく、すぐに一人で足繁く通ってくるようになった。それまで店では武史は女嫌いの堅物で通っていたため、「将来有望なエリートを落としたわね。玉の輿じゃないの」と他の女の子たちから、かなりやっかみを含んだ言葉で冷やかされた。ママも「あんた入店して間もないのに、なかなかやるじゃないの。あんたの素人くささがかえって良かったのかしらね」と上機嫌だった。  


その後も武史は毎日のようにメールや電話をくれ、休日には昼間、店外で会いたがった。最初はからかわれているのかと不安だった洋子も、知らず知らずのうちに武史からの連絡を心待ちにしている自分に気がついた。そうして二人の親密さが増していき、わずか半年で武史から正式にプロポーズをされた。

洋子は飛び上がるほど嬉しかったが、五歳も年上でしかもバツイチである自分が、初婚で一流企業に勤める武史の妻になるなど申し訳ないという思いもあった。それに何より亡夫の残した多額の借金があった。武史に迷惑をかけるわけにはいかない。洋子は自分の気持ちを正直に話した上で、プロポーズを断った。すると武史は何も心配いらないからと言うと、借金を肩代わりして洋子に店を止めさせたのだった。

母親に会ってほしいと言われ、大安吉日を選んで訪れた武史の実家は、大きな庭のある大邸宅だった。洋子はその日まで知らなかったのであるが、白河家は格式高い旧家であったのだ。

現れた母の幸代は、洋子が挨拶する間もなく頭ごなしに反対を始めた。

「武史、あなた気でもちがったの。こんな水商売の女なんかに騙されて。もっと当家の嫁にふさわしい人を選びなさいな。まわりには若くて良家のお嬢さんがいくらでもいるでしょう。こんな嫁、親戚に恥ずかしくて紹介なんかできやしないわ」


その言葉に今まで母親の言いなりだった武史が珍しく逆らった。

「お母さん、洋子は水商売していたといっても、わずか三か月だけなんだよ。それまでは普通の主婦だったんだ。前の旦那さんが亡くなってからは苦労してさ。そんな洋子の経歴なんかより、人柄を見て欲しいんだよ。どんなに優しくて情の深い人か。僕はこんな思いやりのある人に出会ったのは初めてなんだよ」

「それが騙されてるっていうのよ。わずか半年やそこらで何がわかるの。どうせ、うちの財産狙いなんでしょ。母一人子一人だからくみし易しと思ったら大間違いですからね」

「洋子でないなら僕は一生誰とも結婚しない。この家も出るから」

「なんですって。本家の跡取りが何を言うの。白河家を継ぐのはあなたしかいないのよ。それを武史、あなたは母親を捨てて、そんな女を選ぶって言うの。なんてことでしょう。私がどれだけ苦労して、あなたを育ててきたか、わかってくれていると思っていたのに。親不孝者、それならさっさと出ていくがいいわ」

 

 こうなってしまっては、もう破談になるにちがいない。そう思って洋子は覚悟をしていたが、武史は宣言通りに家を出て二人だけの結婚式をあげてくれたのだ。そのとき武史が洋子にサプライズで用意してくれていたのが、このプラチナの結婚指輪だった。


その後の四年間は本当に幸せだった。亡夫には申し訳ないけれど、前の結婚は天涯孤独な洋子が生活のためにした結婚だった。夫は実直な人ではあったが、洋子が惚れていたかと言えばそうではない。このまま自分は恋愛を経験することもなく一生終わるのかとつまらなく思うときもあったが、結婚とはこんなものなのだろうと諦め、砂をかむようにして暮らした十年だった。


しかし武史と出逢って、人を好きになるとはこういうことなのかと初めて知った。

朝、目覚めて横に武史がいることが、こんなにもうれしい。一緒に食事をしたりテレビを見たり、何でもない日常のひとつひとつが惚れた相手とならばこれほど輝くものなのだろうか。これまでの人生つらいことばかりだったけれど、生きていてよかったと心の底から思えた。あの時に戻りたい。また武史と二人、仲むつまじく暮らしたい。


でももう、それは叶わぬ夢なのかもしれない。武史はもう三か月もの間、わたしをほったらかしにしている。わたしを少しでも心配してくれているなら、一度くらい連絡があってもいいはずなのに。もうわたしへの気持ちはないのかもしれない。仮に気持ちはあってもお義母さんがあの調子なら、武史さんは戻って来ない。戻ってくるとしたら、お義母さんが死ぬか、治るかのどちらかのときだけ。お義母さん自身が死にたがっているんだもの、治るわけがないわよね。ならば、いっそわたしがとも思ったけど、やっぱりそれは良くない。わたし、どうかしていたわ。人を殺そうなんて。とにかく、うちに帰ろう。出て行くにしても、このまま手ぶらでは出られない。

洋子はそう決めると重い腰を上げた。