あべせつの投稿記録 -11ページ目

あべせつの投稿記録

投稿小説・エッセイなどの作品記録用ブログです

第20回課題『鍋』

割れ鍋     あべせつ 


風体を一言でいえば貧乏神。その男は渡鍋といったが、この小さな会計事務所でその名が呼ばれているところを美月は見たことがなかった。

「おい、割れ鍋。金島さんとこの決算、もうできてるんやろな」

 所長代理の竹内がいら立ちを隠せぬ声で問いかけた。上司とはいえ自分より年下の男に割れ鍋などと呼ばれても、渡鍋は特に気にする風でもなくヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。

「提出期限は明日なんやで。まだ仕上げてへんとは、いったいどういうことやねん」

 

 渡鍋は竹内の剣幕にちょいと肩をすくめると、となりのコンピュータールームへスリッパをズッタラベ、ズッタラベと引きずりながら消えて行った。すり切れた靴下のかかとから妙に生白い肌が見えている。

「割れ鍋さん、いつもあんな風で困ったもんですよね」

 美月と同じ新人の川原が眉をひそめて竹内にささやいた。


「川原くん、ほんま君が頼りやで。はよ一人前になってくれな。そしたら割れ鍋なんざ、さっさとクビにしてやるんやさかい」

 美月はトイレに立つふりをして部屋を出ると隣室へ急いだ。扉を開けると、あろうことか渡鍋はパソコンでゲームをしている。


「わ、渡鍋さん、何してはるんですか。早よう仕上げんかったら大変なことに」

「大丈夫、大丈夫」

「大丈夫なことないですよ。こんなとこ竹内さんに見つかったら速攻クビになりますよ」

「ええねん。ほんま言うたら俺、あんまり働きたくないねん」

 誰とも口をきかない渡鍋も、なぜか美月とだけはふつうに話した。


「何アホなこと言うてはるんですか。私も手伝いますから早く仕上げてしまいましょ」

 となりの席のパソコンに打ち込み始めた美月をまるで他人事のように一瞥すると、渡鍋は再びゲームの続きをし始めた。

 翌日、渡鍋は出社して来なかった。無断欠勤七日目の朝、割れ鍋は所詮割れ鍋に過ぎんかったなと竹内が忌々しげに吐き捨てた。


 それから半年が過ぎた。仕事を終えて帰宅した美月はアパートの玄関前でへたり込んでいる割れ鍋を見つけた。

「えっ、渡鍋さん?」

「ああ、美月ちゃん」

 白髪混じりの無精ひげが伸び、割れ鍋の貧相さに一段と拍車がかかっている。

「まあ、どうぞ入ってください」


 鍵を開け迎え入れると見知らぬ侵入者に驚いた小動物が数匹、部屋の奥へと逃げ込んでいった。

「渡鍋さん、猫は大丈夫ですか? 五匹ほど居てるんですけど」

「へえ、五匹も」

「捨て猫見たらつい可哀想になってしもて。それはともかく、いったいどないしはったんですか」 


 聞けば渡鍋はあれから職も探さず実家でぷらぷらしていたらしい。年金暮らしの母親から連日やいのやいのと攻め立てられながらもどこ吹く風で居座っていたのであるが、実姉が離婚し子連れで戻って来るととうとう居場所もなくなって家を追い出されてしまったという。


「渡鍋さん、これからどうしはるんですか」

「さあてなあ」

「とりあえず今夜は泊まってもらってもいいですけど、明日には」

「おかわり」

 美月にみなまで言わせず渡鍋はにっと笑って飯茶碗を突き出した。

 

 翌日、美月が帰宅すると割れ鍋はまだそこにいた。次の日もその次の日も。そしてそのまま居ついてしまった。

(まあいっか、六匹目の猫だと思えば)

 そう気楽に考えていたものの、ひょんな事から割れ鍋との同棲を竹内に知られ、顔さえ見ればこんこんと説教される羽目になってしまった。美月は事務所を辞めた。

      

 ある日のこと。美月が夜の仕事を終えて帰宅すると割れ鍋の姿が消えていた。

「やっぱり、ね」

 

 昨日妊娠を告げると、渡鍋は良いとも悪いとも言わずただヘラヘラと笑っていた。その薄ら笑いを見たとき美月は〈ああ、こら、あかんな〉と思った。

「そやけど、ほんまにおらんようになるとはビックリやわ。わたしら結構割れ鍋に綴じ蓋でいけてると思ってたけど、なんのことはない割れ鍋二つやったんやね」 

 美月の言葉に鏡の中の濃い化粧の女が、あはははと声を立てて笑った。    完




 

 

 

 

 

第19回 課題「標識」 2作目




一時停止    あべせつ



その細い裏道のどん詰まりは本線へとつながっていた。渋滞を避けて住宅街の生活道路を快調に走ってきたが、ここから先は本通りに出なければ店に帰れない。

信号機のないT字路からの合流は左折のみ。川の流れのように続く本線の車列の中に割って入るしかないのであるが、長らくの渋滞で依怙地になっているドライバーたちはなかなか入れてはくれないことを和枝は経験から知っていた。


(だからこの辺りへの配達、いやなんだよね。今日は早く帰りたいのにさあ」

 ところがどうしたタイミングか珍しく本線側の車の列が途切れ、目の前に空いた道路が見えた。

「よし、今だ」

間合いを見るため、そろそろと車を進めていた和枝は軽ワゴン車のアクセルを踏んで左折した。


そのとたん、サイレンの音が鳴り響きルームミラーに警察の原付バイクが写った。和枝に向かって左側に寄せて止めるようにと手を振っている。

「えっ、なに、わたし?」

 怪訝に思いながらも和枝はハザードランプを点滅させて停車した。警官がバイクから下りて近寄って来ると窓を開けるようにとガラスを軽く叩いた。


「奥さん、あそこ一時停止ですよ。標識見ませんでした?」

 思いのほか若い警官の顏が開けた窓から覗き込んでいる。

(げっ、あそこにそんな標識あったっけ?)

「じゃあ、免許証を出してください」

(免許証? やばい。この前も駐禁取られたとこなんだよね。点数なくなったら配達の仕事クビになっちゃうよ)

 こうなっては仕方がない。和枝は腹をくくった。


「わたし、ちゃんと一時停止しましたよ」

「いやいや、奥さん、それはないですよ。ぼく、ちゃんと見てたんですから」

「どこで見てたっていうのよ?」

「あそこです」

 警官は和枝が出てきたT字路の際に立っていた街路樹を指さした。


「あんたねえ、あんな木の陰に隠れてこそこそ取り締まりしてんじゃないわよ。ここでそういう違反が多いと言うなら、正々堂々と姿さらして注意喚起を促しなさいよ。それも警察官の仕事でしょ。点数稼ぎばっかりやってんじゃないわよ」

 意外な逆襲を受け、若い警官の顏がみるみる紅潮していった。

「あ、あのですね、奥さん」

「あんたね、独身の女をつかまえて奥さんはないでしょ。失礼だわよ」

「あ、す、すみません」


しどろもどろになった警官を見て、和枝はこれは押し切れると踏んでますます舌をさえわたらせた。

「だいたいねえ、わたしが一時停止しなかったっていう証拠でもあるわけ?」

「証拠はぼくの目です、ぼく、ちゃんと見たので」

「あんたの目なんて、あてになるもんですか。この間の不祥事も新聞沙汰になってたじゃない。どこやらの警察ででっち上げの冤罪があったんですって? これもそうなんじゃないの? 録画でもあるならともかく、ないのならわたしは絶対認めないわよ」

 これはらちが明かないと思ったのか、警官は、じゃあ次回からは気を付けてくださいねと言い残して去っていった。

 

 翌日、和枝はそんなことなどすっかり忘れて、いそいそと本間和明の自宅を訪ねていた。

「今日はお招きにあずかりまして、ありがとうございます」

「いやあ、和枝さん、今日はまた一段とたおやかですね。着物がよくお似合いだ」

 玄関先に出迎えた本間の上機嫌に、和枝はやっぱり和装にしてよかったと心底思っていた。

三歩下がって夫の影を踏まず。そんなしとやかな女性が好みだと聞いたときから、和枝は裕福な本間の後妻になるべくずっとそういう女を演じ続けていた。その努力が実り、今日は本間の家族と初めての対面である。


(これさえうまくいけば、あとはもう)

 三十路も半ば過ぎた女にとって、これほどの玉の輿は最後のチャンスであろうことは自分でもわかっている。和枝にとっては今日が正念場であった。

「和枝さん、息子の孝明です」


「あっ」「えっ?」

 二人は同時に声を上げると絶句した。

 和枝の目の前には昨日の若い警官がいた。

(ああ、こりゃ結婚も一時停止だな)


 和枝は心の中でつぶやいた。    完




 1作目の「駅名標識」は課題の標識としては、ビミョウかな思いましたので

今度は道路標識で書いてみました。

    













 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こいちり鍋  

あべせつ


ふすまを開けると、そこは十畳ほどの個室であった。掘り炬燵式の長方形の座卓の中央には、コンロに乗せた大きな土鍋が鎮座している。

「はあい、皆さん、上着を貸して下さいな」

 マイコは部屋の入り口で皆が脱いだ上着の類いを預かると、それを順番にハンガーに掛けながら、ヨシキがどの席に座るのかを横目で探った。

「さあ、みんな適当に座って、座って」 

 幹事のカズヤがそう促しながら、出入り口に一番近い席に陣取ると、その横にカズヤの恋人であるミキが当然のごとくに座った。  

マイコはカズヤの対面にヨシキが座るのを確認すると、さも話がしやすいからという顔をしてミキの真正面、つまりはヨシキの隣席に腰を下ろした。

「俺、マイコさんのとなりに座ろうっと」

 トモヒロがマイコの横に、なついた土佐犬のようにステイすると、それまで部屋の隅に立って様子を見ていたリエは、一つだけ空いている席に正座をした。

「じゃあ、まあ、とりあえずビールで乾杯といきますか」 

 カズヤの言葉を聞くなり、マイコは皆にビールを注いで回り、最後に自分のグラスを満たすと胸の高さまで持ち上げた。

「さて、今日は早朝からドライブにテニスと、盛りだくさんな行事にお付き合いいただいて本当にお疲れ様でした。俺の親友のトモヒロとヨシキ、それにミキのお友達のマイコさん、リエさん。またこの六人で楽しく遊びに行けたらいいなと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。では、皆さんとの出会いに感謝して、乾杯」

 グラスが飲み干され、パチパチとまばらな拍手が起きたとき、タイミングよく肉や野菜を盛り上げた大皿が運ばれてきた。仲居は一通り簡単な説明をし、コンロに火を点けると、土鍋の蓋だけを取り、あとはよろしくとばかり部屋を出て行ってしまった。

「自分でしろってことですかな」

 トモヒロはそう言うと、おもむろに大皿を持ち上げ、まだ冷たい出汁の中へ具材を一気に投入しようとした。

「ああ、ダメダメ。そんな全部いっぺんに入れちゃダメですよ。ちょっと貸してください」

 マイコは、あわててトモヒロから大皿を引ったくった。

「キノコや薄揚げは出汁が出るから、こうして冷たい内に入れたほうがいいんですけど、お肉や葉物野菜なんかは沸いてから入れなきゃだめなんですよ」

「へえ、そうなんだ。俺は鍋なんて、とにかく煮りゃあいいんだと思ってたよ」

 トモヒロは感心したようにマイコを見ている。

「マイコちゃん、よく知ってるなあ。ミキは、からきし料理はできないんですよ」

「そ、わたしは食べるの専門なの」

 彼氏が他の女を誉めても、ミキは平気の平左である。

「いやあ、だけどやっぱり女の人は料理ができなきゃダメだよなあ」

「トモヒロさん、古いわあ。今はねえ、男性の方が料理できないとモテないのよ」

 そんなミキとトモヒロの会話を、ヨシキとリエは黙ってニコニコと聞いている。

「さあ、煮えましたよ。皆さん、器をくださいな」

  マイコはヨシキの器を取ろうと手を伸ばした。

「あ、ぼく自分でやりますから、置いといて下さい」

優しいけれど、なんとなく拒絶を含んだその声音に、マイコの手は宙をさまよった。

「マイコ、この人たち、自分でやるから大丈夫。ほっときなさいよ」

「俺はマイコさんによそってもらいたいよ。マイコさん、お願いします、肉多めで」

「あら、トモヒロさんはマイコに首ったけね」

「そりゃ、マイコさんみたいに家庭的で女らしい人を男はみんな好きだよ。ヨシキもそうだろ?」

「さあ、どうかな。人それぞれだから」

「そう言えば、ヨシキさんの好みってどんな人なの?」

ミキが興味丸出しの顔で尋ねた。

「うーん、自由にさせてくれる人かな。お母さんみたいにあれこれ世話をやかれるのはちょっと」

 そう言いながらヨシキの視線はリエの方に飛んでいる。マイコはそれを見るなり、立て膝からがっくりと尻を落とした。

そしてやにわにビール瓶をつかむと、空になっていた自分のグラスになみなみと注ぎ一気に飲み干した。

皆の呆気に取られた視線も今はもうもうと上がる湯気に霞んで気にならなかった。

静寂の中、誰も世話をやくことのなくなった鍋が、ただふつふつと煮詰まっていく音が響いた。     完




 

 

 

 

課題「標識」


駅名標識          あべせつ 



 電車がホームに乗り入れると耐えかねたように大勢の人間を吐き出し始めた。いつものように最後尾のドアを凝視したが、お目当ての人は降りて来ない。

――また遅刻か。

 このところ千夏が約束の時間に現れたことがない。前回は小一時間も待たされた。

「遅れるなら遅れるで連絡ぐらいしてこいよ」

「うるさいわね。来たんだからいいでしょ」

 その日は一日ギクシャクして全然楽しくなかった。

――またあんな風なデートになるのはごめんだ。もうしばらくおとなしく待ってみるか。

 俺は手にした携帯電話をジャケットのポケットに突っ込むと空いたベンチに腰を掛けた。 


――以前の千夏は可愛かったよな。

 一目で新調したとわかるワンピースを着て不安げにひとりホームにたたずむ健気な姿、お待たせと近づく俺を見たときのぱっと上気した笑顔。そんなことを思い出しながら、ぼんやりと目の前の壁面に光る駅名標識を見ていた。


――んん?なんだろう。

 突然、理由のわからない違和感が込み上げてきた。

――何か変だぞ。

 穴の開くほど、その標識を見つめてみる。

――ああ、そうか。あははは・・・・・・。

 合点がいくと、とたんに笑いが込み上げてきた。


「気持ち悪い。なに笑ってんのよ」

 背中に不機嫌な声が突き刺さった。

「あ、いや」

 あわてて振り向くと声以上に仏頂面をした千夏が仁王立ちしている。

「あ、あれが」

 俺は駅名標識を指差した。

「あれが何よ」

「ほら北千住の文字。千の字が干すになってるだろ。あれじゃキタセンジュじゃなくて、キタカンジュだなと思って」

 

 千夏は苛立たしげに長い髪を片手で後ろに振り払った。

「そういうとこが、いやなのよね」

「えっ、なに?」

「あなたのそういうとこがイヤなのよ。重箱のすみをつつくって言うの? だいたいさあ、千だろうが干だろうが何か問題ある? そんな細かいこと誰も気にしてないわよ。いつもそう。この前だってさあ・・・・・・」

 

 急に千夏の声量がはね上がると、今度は息も継がずにまくしたて始めた。降り注ぐ矢に耐えかねて思わずうなだれた俺の目に、洗い晒しのジーンズのすそからニョッキリ生えたサンダル履きの千夏の素足が映った。ペディキュアが剥げて所々に血しぶき色の残骸を残している。


「俺たち、もうダメなのかもしれないね」

 ふいに、そんな言葉が口をついてでた。 

 話の腰を折られたせいか、千夏はきっと俺をにらみ唇を噛んだ。

「さよなら」

 そして次の瞬間それだけを吐き捨てると、きびすを返して人ごみの中に消えていった。  

素知らぬ顔をしながらも全身を耳にして聞いていたらしいホームの乗客たちが、ちらちらとこちらを見ている。その視線にいたたまれず、俺は先頭車両側へとホームを移動していった。


「あら、吉岡さん?」

 呼び止める声に目をやるとそこに総務課の加波順子がいた。俺は軽く会釈して通り過ぎようとしたが、順子はいそいそと近寄ってくるなり俺の行く手をさりげなく阻んだ。課がちがうとはいえ会社の同僚を邪険にするわけにもいかず仕方なく俺は立ち止った。


「吉岡さん、こちらにお住まいですの?」

「あ、いえ知人が北千住にいるものですから」

「そうですの。じゃあ今からそちらに?」

「あ、いえ。今日はもう」

 俺はどう答えるべきかと口ごもった。

「あのもし、おひまでしたらこれから一緒に映画にいきません? チケットが一枚余っちゃって」 

 

 いや今日はそんな気分ではと断りかけたとき電車がホームに入ってきた。とりあえずと一緒に乗り込んだ二人のちょうど目の前の車窓に、あの駅名標識が見えた。

「ねえねえ吉岡さん、これ見てくださいよ。これじゃあ、キタカンジュですよね」

「えっ?」 

 

 面白そうに俺を見上げる順子の顏が、いつになく可愛く見えた。

「映画、お供しますよ。今日は特に予定もないですし」

「えっ、ほんとですか? うれしい」

 電車は何事もなかったかのように快調に走り始めた。  完


 

 

 

お題『旅』






★本を読む 居ながらにして旅立てる 近未来へも 異国の地へも 





★この旅はどこに行くのかわからない 人生みんなミステリーツアー





★旅をする 自分の居場所探すため それがここだと思えるために