こいちり鍋
あべせつ
ふすまを開けると、そこは十畳ほどの個室であった。掘り炬燵式の長方形の座卓の中央には、コンロに乗せた大きな土鍋が鎮座している。
「はあい、皆さん、上着を貸して下さいな」
マイコは部屋の入り口で皆が脱いだ上着の類いを預かると、それを順番にハンガーに掛けながら、ヨシキがどの席に座るのかを横目で探った。
「さあ、みんな適当に座って、座って」
幹事のカズヤがそう促しながら、出入り口に一番近い席に陣取ると、その横にカズヤの恋人であるミキが当然のごとくに座った。
マイコはカズヤの対面にヨシキが座るのを確認すると、さも話がしやすいからという顔をしてミキの真正面、つまりはヨシキの隣席に腰を下ろした。
「俺、マイコさんのとなりに座ろうっと」
トモヒロがマイコの横に、なついた土佐犬のようにステイすると、それまで部屋の隅に立って様子を見ていたリエは、一つだけ空いている席に正座をした。
「じゃあ、まあ、とりあえずビールで乾杯といきますか」
カズヤの言葉を聞くなり、マイコは皆にビールを注いで回り、最後に自分のグラスを満たすと胸の高さまで持ち上げた。
「さて、今日は早朝からドライブにテニスと、盛りだくさんな行事にお付き合いいただいて本当にお疲れ様でした。俺の親友のトモヒロとヨシキ、それにミキのお友達のマイコさん、リエさん。またこの六人で楽しく遊びに行けたらいいなと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。では、皆さんとの出会いに感謝して、乾杯」
グラスが飲み干され、パチパチとまばらな拍手が起きたとき、タイミングよく肉や野菜を盛り上げた大皿が運ばれてきた。仲居は一通り簡単な説明をし、コンロに火を点けると、土鍋の蓋だけを取り、あとはよろしくとばかり部屋を出て行ってしまった。
「自分でしろってことですかな」
トモヒロはそう言うと、おもむろに大皿を持ち上げ、まだ冷たい出汁の中へ具材を一気に投入しようとした。
「ああ、ダメダメ。そんな全部いっぺんに入れちゃダメですよ。ちょっと貸してください」
マイコは、あわててトモヒロから大皿を引ったくった。
「キノコや薄揚げは出汁が出るから、こうして冷たい内に入れたほうがいいんですけど、お肉や葉物野菜なんかは沸いてから入れなきゃだめなんですよ」
「へえ、そうなんだ。俺は鍋なんて、とにかく煮りゃあいいんだと思ってたよ」
トモヒロは感心したようにマイコを見ている。
「マイコちゃん、よく知ってるなあ。ミキは、からきし料理はできないんですよ」
「そ、わたしは食べるの専門なの」
彼氏が他の女を誉めても、ミキは平気の平左である。
「いやあ、だけどやっぱり女の人は料理ができなきゃダメだよなあ」
「トモヒロさん、古いわあ。今はねえ、男性の方が料理できないとモテないのよ」
そんなミキとトモヒロの会話を、ヨシキとリエは黙ってニコニコと聞いている。
「さあ、煮えましたよ。皆さん、器をくださいな」
マイコはヨシキの器を取ろうと手を伸ばした。
「あ、ぼく自分でやりますから、置いといて下さい」
優しいけれど、なんとなく拒絶を含んだその声音に、マイコの手は宙をさまよった。
「マイコ、この人たち、自分でやるから大丈夫。ほっときなさいよ」
「俺はマイコさんによそってもらいたいよ。マイコさん、お願いします、肉多めで」
「あら、トモヒロさんはマイコに首ったけね」
「そりゃ、マイコさんみたいに家庭的で女らしい人を男はみんな好きだよ。ヨシキもそうだろ?」
「さあ、どうかな。人それぞれだから」
「そう言えば、ヨシキさんの好みってどんな人なの?」
ミキが興味丸出しの顔で尋ねた。
「うーん、自由にさせてくれる人かな。お母さんみたいにあれこれ世話をやかれるのはちょっと」
そう言いながらヨシキの視線はリエの方に飛んでいる。マイコはそれを見るなり、立て膝からがっくりと尻を落とした。
そしてやにわにビール瓶をつかむと、空になっていた自分のグラスになみなみと注ぎ一気に飲み干した。
皆の呆気に取られた視線も今はもうもうと上がる湯気に霞んで気にならなかった。
静寂の中、誰も世話をやくことのなくなった鍋が、ただふつふつと煮詰まっていく音が響いた。 完