契丹古伝が示す中国古代文明成立の真実。「みな倭種なり」とは?書籍縄文文明のご紹介。 | 日光市で肩の痛み解消 下野大沢駅前阿部整骨院

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こんにちは、栃木県日光市JR下野大沢駅前30秒の阿部整骨院院長の阿部洋志です。

 

 

契丹古伝が示す中国古代文明成立

 

『契丹古伝』という書物をご存知でしょうか。

 

唐王朝(618~907年)の次に

 

契丹族により建国された国である遼(907~1125年)

 

に伝わる史書です。

 

おそらく「名前も聞いたことがない」

 

という人がほとんどかと思いますが

 

 

 

非常に興味深い記述が残されています。

 

『契丹古伝』によると

 

長江文明が始まった当時

 

非常に平和で豊かで

 

誰もが安心して安全に暮らせる

 

素晴らしい時代というものが

 

古代の中国にはあった。

 

そのときに国を築いていたのは

 

漢民族ではなかった…‥…とあります。

 

では

 

誰が築いていたのか。

 

『契丹古伝』には

 

驚くべき記述があります。

 

そこには

 

「みな倭種なり」(みんな縄文人たちだった)

 

と書かれているのです。

 

『契丹古伝』を荒唐無稽の書だとする

 

向きもありますが

 

私はそうは思いません。

 

これまで述べてきたように

 

アカホヤの大噴火で海洋民族の縄文人たちが

 

長江の流域で豊かに暮らしていた可能性は高いです。

 

そこにコーカソイドが入ってきたため

 

戦場には陥りますが

 

一部の縄文人たちは山岳地帯に逃れて

 

そこで現代に至るまで平和に暮らしているのです。

 

 

『契丹古伝』の成立を踏まえると

 

むしろその信憑性は高まるように思います。

 

契丹という民族は4世紀から14世紀にかけて

 

満州からち中央アジアに存在していました。

 

日本海側には渤海があり

 

渤海と日本は日本海で交易をしていたのです。

 

というのも

 

日本では東北地方を中心に多くの砂金が採れました。

 

ザルで川の水をすくうだけで

 

金色の粒がいくらでも採れたのです。

 

あまりにもありふれているため

 

砂金はかつて日本では塗料として使われていました。

 

掃いて捨てるほどある砂金でも

 

日本海をぐるりとまわって

 

ウラジオストックまで持っていけば

 

大変な値打ちを持つことになります。

 

一方のウラジオストクには

 

日本ではめずらしいガラスがありました。

 

おのずと

 

日本と渤海の間で取引が発生することになります。

 

商人たちはさぞ儲かったに違いありません。

 

 

ところが

 

北側にいた契丹がそれをうらやましく思い

 

戦争状態が終結したことをアナウンスしなければ

 

商人をふたたび呼び寄せることはできません。

 

そこで契丹は『契丹古伝』で次のように書いたのです。

 

「日本というのは素晴らしい国です。

 

世界の文明を作ったのは

 

実は日本なんです。

 

ありがとうございます」

 

ふたたび商人を集めるために

 

誇張はあったかもしれませんが

 

明らかな偽り書いても

 

誰も信じないでしょう。

 

「みな倭種なり」が

 

集客のためのフレーズだとすれば

 

縄文人たちが少なからず活躍していた

 

可能性は高い。

 

私はそんなふうに考えています。

 

 

 

世界中の教科書から消された歴史の真実

 

縄文文明

 

小名木善行著

 

ビオ・マガジン刊

 

161-164ページ2行目まで

 

 

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