おはようございます。

東京都議会議員(品川区選出)
衆議院東京3区支部長の

あべ祐美子です。

 

東京都在住の18歳以下の子ども

1人あたり月5000円を給付する、

東京都独自施策の「018サポート」の

申請受付が9月1日から始まります。

 

(写真は、やさしい日本語バージョンです)

 

主なポイントは、

・給付を受けるには申請が必要です。

所得制限はありません

・対象者の世帯には9月からチラシとオンライン申請用ガイドが郵送されます。

・給付は毎月ではなく、1年分(6万円)を令和6年1月にまとめて給付します。

申請期限は12月15日です(遅れても受け付けますが、支給も遅れます)

・年度途中に出生、転入、転出した場合も、在住月数分が支給されます。

 

詳細は⇒

 

 

 

 

基本的には、すべての子育てを応援する

「東京都版子ども手当」として歓迎しますが、

仕組みの上でいくつか問題点や疑問点があります。

 

●生活保護世帯では収入認定される

⇒手当の金額分生活保護費が引かれてしまい、

保護世帯のみ事実上の恩恵がない

 

●DVなどで住民票を秘匿している場合、

その情報は東京都にはないため、

被害親子に給付が届かない可能性がある。

(市区町村には広報程度の依頼しかしない)

 

●年度途中の一括給付のため

給付以降に都外に引っ越した場合は

都は返還を求めるとしているが、強制力はない

 

●この事業が来年度以降も続くのか、

知事選(来年7月)前の一過性のものか

都は明言していない。

 

特に、生活保護世帯で収入と

認定されてしまうことは大きな問題だと思います。

 

1260億円もの税金を投ずる事業なのに、

国の制度との不整合のために

最も支援を必要とする層にのみ支援が届かない。

保護制度そのものの問題でもありますが、

このまま見過ごすわけにはいきません。

 

#東京都 #018サポート #子育て #子ども手当 #月5000円

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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おはようございます!

東京都議会議員(品川区選出)
衆議院東京3区支部長の

あべ祐美子です。


都議会立憲民主党有志議員で一昨日、

都立八王子児童相談所を視察しました。

併せて、都内で最も古い

同児相の一時保護所の

現状について伺いました。

地元八王子市の市議さんも2人、参加してくれました。


(児童相談所前にて。施設の性格上、写真はこれのみです)
 

一時保護所は老朽化しているだけでなく

定員40人に対して57人が保護されており
(人数は日々変わります)

個室化にはほど遠い状況。

元は事務室だったフロアをそのまま

居室にしている殺風景な部屋もあって…。


かつては極めて管理的な対応が

問題視されてきた一時保護所も近年

改革が進み、学習支援や生活ルール、

食事、こどもの権利擁護など

ずいぶん改善されてきた印象です。

それを進めてきた、直接間接に関わる方々の努力に

敬意を表したいと思います。


でもやっぱり、

「以前よりは良くなった」でなく

「良い」環境が必要。

先月は、新たに民間委託で設置した保護所も

区部並びに市部で視察しましたが、

歴然とした差を感じました。

練馬区を除く23区では、

都立ではなく区立での

児童相談所の設置が進み、

あるいは計画されています。

品川区でも新たな建物を整備し、

都児相からのケース引継ぎなどを行ったうえで
来年10月には開設の予定です。

 

一時保護所も含め、専門人材の確保や

多様な地域資源との連携、里親はじめ委託先の開拓など

やるべきことはたくさん。


そして何よりも、

困難な状況にある家庭を追い詰めるのでなく、

予防と支援に軸足をおけるよう

目指していかねばと思いを新たにしました。 

 

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こんばんは。

東京都議会議員(品川区選出)
衆議院東京3区支部長の

あべ祐美子です。


暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか?


私はお盆前に郷里・岡山に弾丸帰省。
原爆忌直後ということもあり、

広島まで足をのばして、

平和記念資料館を含む平和記念公園を訪れました。

 

まずは原爆ドーム。

幾度もの補修作業により、当時の姿を伝えてくれます。

 

川を渡ると、3年前にリニューアルされた

レストハウスがあります。
戦前に呉服店として建てられた被爆建物で、

奇跡的に原形をとどめています。

 

 

以前は観光案内所でしたが、

リニューアルを経て被爆関係の展示室と

カフェや土産物コーナーが設置されました。

 

緑に包まれた広大な平和記念公園も、原爆が投下されるまでは、

民家や商店、お寺や学校が建ち並ぶ暮らしの息遣いがあった町。

レストハウス3階の展示室には、

被爆前の町のジオラマや資料がありました。

 

 



原爆が一瞬にしてまちを消滅させたことが

一枚の地図からも伝わってきます。

 

この建物も中で働いていた方々は爆死。

地下室にいたお1人だけが九死に一生を得た、

その地下室も展示されていました。

 

いくつもの像や碑に足をとめながら、

平和記念資料館へ。リニューアル後初めての訪問です。

 

 

原爆忌直後ということもあって入館は長蛇の列でした。

 

遺品や実物に語らせるという展示の意図が

強く伝わってくる構成となっていました。

 

 

原爆が、非戦闘員に対する無差別殺戮であることも

まざまざと見せつけられます。

個人や家族、そして戦後の差別への目線も

伝わってきました。

 

後半の、核兵器に関わる展示エリアは

やたら明るく開放的で整然として、

率直に言って少々違和感も感じました。

 

 

隣に建つ追悼のための平和祈念館へ。
こちらは、資料館と違い人影もまばらです。

 

この建物には、被爆体験者の証言ビデオを見られるアーカイブ、

関連書籍などを集めた資料室もあり、

犠牲者の名前や遺影、体験記などの収集事業も続けています。

 

東京都では、平和記念館の建設を目指して

東京大空襲の証言ビデオを集めましたが、

石原都政下で計画が中止。ビデオもお蔵入りに。

議会で長年要望してようやく、

証言ビデオ公開に向けた確認作業に着手しました。

 

東京で何があったのか。記憶を持つ人は年々減っています。

残されたわずかな記憶を収集し、

記録として刻み、世代を超えて共有する責任を感じます。

 

昨年参加した、沖縄スタディツアーでは

沖縄戦の戦跡や各種資料館など

多くの場所を訪れ、また研究者の方から

さまざまなお話を聞きました。

そのことを思い起こしながら、

そしてまた悲惨な沖縄戦からさらに数か月後に

これだけの犠牲者を生んでしまったことに

改めて痛みを感じました。

 

非戦闘員への無差別殺戮。加害と被害。

多くのことが未消化のまま突き刺さっています。

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

路面電車で広島駅へ。

 

 
岡山の実家へのお土産に、
各種もみじ饅頭。
 
MAZDAとのコラボもありました。
地元企業同士の組み合わせ、良いですね。
私も岡山ではMAZDAファミリアに乗っていました。
 
 
山陽新聞社時代の先輩&同僚とともに。
急な帰省にもかかわらず
時間を割いてくれてありがとうございましたニコ

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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