『聖書』(朝鮮研究-176) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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昨日、午後2時20分過ぎ、丸の内北口で『聖書』を手渡された。帰りの常磐線の車中で泣いた。『聖書』を読まなくて北朝鮮を論じて来た自身の知的恥を自覚して泣いた。日露の戦役に従軍したクリスチャンの手記に、平壌北方で朝鮮人と『聖書』での会話が出来たとある。その兵士は朝鮮での民度は平安道が高いと述べている。カンバンソクが育った風土なのだ。金日成はクリスチャンの息子なのだ。

五島列島から済州島そして西鮮地方(黄海道と平安南北道)を結ぶ対馬暖流と石首漁は『聖書』が繋いでいる。日本は徳川三百年、五島列島は隠れキリシタンだった。

そしてこの対馬暖流西流は民俗として女系を維持している。女が中心の社会、だからマリア信仰は深く長く維持されてきたのだという。

某教授は萩原遼へ朝鮮研究を深めなさいとの意図をもって『聖書』を渡したのであろう。南牛に渡さなかったのは、何故なのか?深読みする。

それにしても西岡力の朝鮮を論じた書籍に『聖書』が出ていなかった。いや、あの統一教会への深入りは『聖書』の仲間と感じてなのだろうか?