昭和31年、朝鮮総聯の誕生した翌年だったと思う。力道山は東大阪でプロレス興行を行う。対戦相手は米国の選手だった。試合結果は、力道山組が勝つのだが東大阪の人々は熱狂する。この場合の観客だが、南牛の知る南労党の党員だった男もいた。東大阪は在日が多く住んでいる町であった。力道山が米国人をやっつける、胸に込み上げるモノがあったのだ。
朝鮮戦争が停戦したのは数年前だ。
金達寿は「米軍が出て来なければ、あの時に統一していた」と、のちのち迄に語っていた。金達寿は力道山のプロレスに朝鮮の統一を考えていた。
金達寿の盟友であった韓徳銖ともども、力道山を金日成の傘下に取り込むことは、民族統一へのプロセスの一つとした考えられていた。