松田博明課長(東工試の人々-2) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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昨夜、夢を見た。松田課長が床に伏してこと切れている場面に遭遇した夢である。慌ててネットで調べた。お弟子さんの追悼記事が目に入った。2011年に没していた。

私は八幡製鉄所の小会社、戸畑化成に勤務していた。工業高校卒も3年経過すると友人の多くが大学4年を迎える。そういう焦燥の日々、父が家を出ても良い、と言われた。

それまでは1町2反くらいの自作農であった。父は大工を兼業としていた。自作農の長男は辛い。田んぼに縛り付けられ、米作と麦作の二毛作に拘束される生涯が待っていた。しかし、それだけでは食えない。それで八幡製鉄所の小会社に腰かけ的に勤務していた。そこから公務員初級試験を受け、東京工業試験所に勤める事となった。

勤務先は渋谷区本町一丁目であった。京王線初台駅の近くであった。配置された先が、松田研究室であった。当時の課長は小寺嘉秀であった。数年たって、筑波移転先のモデル研究棟へ第一部第一課の課長に就任した松田博明課長と共に新館、第4号館へ移った。

7年近く松田博明氏に仕えたことになる。

田舎の百姓そのものの私を我慢して使ったことになる。私が周囲と衝突しても庇って下さってくれたのは、松田博明課長と言葉で通じたからだと、今にして気付いている。

松田博明課長は東京工業大学の教授になり、学問的にも優れた業績を挙げられたに関わらず、ネット上で探すのは難儀である。そういえば東京工業試験所の人々をネット上で検索するのは難儀である。

既に太田暢人所長、藤井欽二郎部長の小伝は『土浦文学』誌に発表している。これから益子洋一郎所長も入れて10人くらいの評伝を書いて世に問う。