8月1日の学研労協が音頭を取ったと見られている「六町村の合併問題を考えるシンポジウム」は、既に茎崎町は外れる、筑波町は反対派が強い、豊里町は町長が反対だ、後は大穂町さへ、という利根川の南筋の判断が示されていた。桜村と谷田部町の二町村合併を考えるシンポジウムだと、竹内知事は読んだ。二町村合併だけは阻止せねばならない。そうだ絶対阻止だ。
それから木村操新町長の不可思議な行動が目立つようになる。
1987年夏から秋へ架けての木村操新町長の不可思議な行動こそ、竹内県知事の意向に沿うモノであった。革新統一なる首長の誕生を見たら、後藤田正晴官房長官から怒鳴られる。二町村合併阻止で、木村操新町長は大穂町との二町先行合併という当に不可思議な行動を取る。
後で木村操新町長は大穂町の町会議員買収というか、軍資金豊富な素振りを見せて谷田部町議と合わせてブチ捲る。
学研労協主導の町村合併だけは阻止せねば、県知事4選は無いのだった。