竹内藤男県知事の目(つくば市政展望-299) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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山下清画伯の場合は人を評価する場合の表現に軍の階級を用いいた。あの人、大将だ、と一般社会でも用いられる場合もある。山下清画伯でないが、竹内藤男県知事の場合も軍の階級は重視した。県政会のドンと云われた山口武平県議は海軍中尉であった。確か陸軍中尉の軍歴の竹内藤男県知事は対等に扱った。だが、県議から国会議員になった梶山静六代議士は士官候補生で敗戦を迎えている。どことなく竹内藤男県知事からは一段低く見られていた。だから筑波郡選出の渡辺安重県議は水兵だったから、一段低く扱われている。

次に竹内藤男県知事の人を見る目は学歴であった。一高・東大の義兄から圧迫感を感じていた模様だが、なんと言っても水高・東大であった。後藤田官房長官とは関係が深かった。何しろ、この世代は旧制高校が人間関係を形作っていた。金達壽は、県史編纂室長の塙作楽は一高出しか認めない処がある、と南牛にコボシタ事がある。番町小学校一中一高東大と席を並べた新井裕國警庁長官は、例え伊藤律の友人で日共主流派に属し、岩波書店の日共細胞長の経歴に関わらず茨城県の岩上二郎知事を呼びつけて、畏友の塙作楽君の面倒を見てくれんかと頼んでいる。茨城県が県史編纂に取り組むのは岩上二郎県知事の英断であったにしろ、背後に一高・東大の力があった。

さらに竹内藤男県知事の人を見る基準に長屋門があった。三井不動産の江戸英雄社長は水高・東大であったから、竹内藤男県知事の目に敵うのだが、実家は長屋門ではない。筑波の江戸家と言えば名門だ。筑波郡大地主の11家の一つである。だが、江戸英雄社長の実家は分家であり、自作農であった。だが、筑波郡の大地主江戸家の出であることを誇示した。竹内藤男県知事の目を意識していたのだ。

前知事の岩上二郎参議院議員は、水高京大であったがいわゆる長屋門階級であった。瓜連町一の地主の出で、軍の階級は竹内藤男県知事と同じであった。対等なのであったから、ライバル意識が強く、岩上二郎が県知事4選なら俺は、という意識が強かった。その意識が谷田部町解体に連なる沼尻民平町長の災難になる。

竹内藤男県知事の三選から四選目前に向かって、沼尻民平町長逮捕、谷田部町長選挙、谷田部町解体、つくば市誕生がある。