「在日に生きて75年」(『朝日新聞』を解読-258) | 安部南牛 | 朝鮮文化資料室

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3月9日の『朝日新聞』紙は全面を使って金時鐘の帰郷を取り上げている。丹念に読む。これは疑史の上に造られた美談である。金時鐘は正直に自分を語った時があるのだろうか?むろん、正直さを求めるのは、共産主義者に対して無慈悲な要求である。共産主義は武装蜂起を神の啓示とする集団、いや組織である。青山学院大学の木村光彦教授はマルクス主義はユダヤ教の流れを持つと述べている。宗教は阿片なりの「宗教」はキリスト教を指すそうである。マルクス主義も宗教は阿片なりとキリスト教を攻撃する。その類似から、二つの思想に繋がりがある、という事だった。

金時鐘がマルクス主義者として75年、この日本でどの様に生きて来たのだろう。そして『朝日新聞』紙はマルクス主義に殉じている金時鐘をどうして今に取り上げているのだろう。ここ一年、『朝日新聞』紙はマルクス主義に殉じている人々を幾人も美談的報道している。

マルクス主義者は武装蜂起による革命の成功の日まで、虚の人生が許される。

天皇制を否定している筈の共産党員、公務員社会の秘密党員の多くが沈黙のなかで叙勲を受け入れている。私は共産党党員だから天皇からの勲章の授与は受け入れない、とは口が裂けても言えないのだ。

そういう日本の風土の中で金時鐘を見ている。その沈黙は立派です。