つれづれレミゼ -10ページ目

つれづれレミゼ

2007年レミゼデビューを果たした初心者が、レミゼや舞台に対して思うところをつれづれなるまま書き記す場所です

藤原竜也
北村有起哉
大鷹明良
松田洋治
朴勝哲
熊谷真実
内田慈
吉田鋼太郎


紀伊国屋サザンシアター 17列下手


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やばい。有起哉さんが好きすぎる自分に気づきました。もともと長細い人とか(ex.エヴァン・ライサチェクさん←スケーター)、目が細い人とか(ex.井上芳雄くん←ミュージカル役者、関戸くん←スタジオライフ)に弱いんですが、有起哉さんはそれに加えて、うさんくさいところが素敵すぎる。舞台の上にいると、次にいったいどんな面白いことをするか一瞬も見逃せない気持ちになって、有起哉さんばっかり観ちゃうよ…(私の中で生瀬さんと同じカテゴリです)。


座っているときに足が全然椅子に納まりきらずに180度近く足開いてるところとか、人一倍無駄に声がでかいところとか、やたら身振り手振りが大きいところとか(こまつ座の芝居って、新劇系の役者さんがほとんどなのでナチュラルな演技の人が多いのに!)、どうしよう、どれもこれも好きだー!!


私、いつもこまつ座はかなりストイックに観劇して、沢山泣いて、井上ひさしのメッセージを真摯に受け止めて、あれやこれや(無駄に)悩むのが常なのに、今回は有起哉さんのおかげで、やたらテンション高くなっちゃったよ(笑)


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とはいえ、ちゃんと芝居のメッセージも受け取ってきました。


今回は幕末から明治維新にかけて生きた狂言作家二世河竹新七、すなわちのちの黙阿彌の評伝劇。でも、新七のことを中心に描いていくのではなく、新七の周りの個性的で愉快な仲間とのやり取りを通じて、幕末期、明治期に生きる人々の姿を描いて行くという趣向。


最初の出会いから二十数年を追って行くんだけど、舞台はずっと蕎麦屋の中。お互い河に身を投げようとしたことが縁で知り合った新七と五郎蔵。捨て子のおせんちゃんを育てるために、蕎麦屋に居合わせた5人で株仲間を設立してみたりと、ちょっと人情ばなし風なところも。だけど、時代はだんだん移り変わっていく。仲間たちはそれぞれ成功し、一緒に銀行を設立することになる。一方で日本の狂言・歌舞伎にこだわる新七。そんな新七に、五郎蔵が「西洋のオペラを描いてくれ、銀行預金者の景品にするから」依頼する。新七は「オペラを書けといったって、それを心から望んでいる聴衆はどこにいるのですか?西洋のものがいいと、言われたままを信じ込んで、上っ面だけなぞったところで意味があるのですか?」と強い口調で反論する。


今回もまた、井上ひさしの思いはシンプルで分かりやすい。別に日本文化が絶対だと言いたいわけではない。これまでのものにきちんと向き合わずに、お上の指針をそのまま飲み込み、新しい価値が絶対だと受け入れてしまう。与えられた価値観のまま、自分の頭で考えようとせず、感じようとせず、形をなぞるだけ。そのあり方対し、それでいいの?そのままでは問題がないの?と、問題提起しているのだと思った。


それは、ひょっとしたら文化の継承という点だけでなく、歴史の認識という問題でも同じことなのかも(私が東京裁判三部作を観た直後だから、感じるのかもしれないけど)。そして、別に幕末から明治維新の時代だからというわけではなく、現代も同じ問題をはらんでいるように思う。「過去をいつまでも軽んじていると、やがて未来から軽んじられることになるだろう」という、東京裁判三部作に添えられた井上ひさしの言葉を思い出す。きっとこれは、井上ひさしの作品全般を貫く共通の思いなんだろうけど。


今回の作品では、黙阿彌の半生をなぞりながら、文化の継承という点にフォーカスしたメッセージがこめられている。場面場面で繰り返される、歌舞伎の見得や日本語台詞たち。また、五郎蔵の江戸前べらんめぇ口調も、とっても素敵。「ご恩おくり」という、美しい言葉。作品の中に、こうして美しい日本語をちりばめて、活き活きと語らせることで、日本語と日本文化への井上ひさしの敬愛の念を感じた。


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新七に吉田鋼太郎さん、五郎蔵に藤原竜也くん。鋼太郎さんは私はおとこくさーい印象だったんだけど、今回は草食系。違和感ないです。お上手!!


藤原くんは頑張っていたと思うけど、なんだかちょっと座りが悪くって。調べてみたら、この役、初演は角野卓造さんが演じていたのね。で、あー、なるほど、と。井上ひさしは当て書する人なので、五郎蔵は角野さん色が強いんだろうな。娘大好きというパパっぷりや、すぐ調子にのるけどどうにも憎めない愛嬌とか、歯切れよくきっぷよく啖呵きる姿とか、角野さんの五郎蔵がすぐ目に浮かぶもの…。確かに、これは藤原くんにとって、なかなか難しい挑戦だ。頑張れ~。(端的にいうと、藤原くんは色男すぎて、下町のおっさん風味が足らんと思うのです…)


有起哉さんは前述のとおり、なんかもう、好きすぎて冷静な判断などくだせませぬ。


あとは熊谷さんが上手かった!おとらばあちゃんとおみつの2役なんだけど、とくにおとらばあちゃんを怪演(快演?)しておりました。前日にキムラ緑子さんの芝居を観て、なんて上手いんだーとびっくらしたところだったんですが、熊谷さんの上手さにもびっくらですよ。東京裁判三部作って、上手い役者さんばっかりだったのねー。

キムラ緑子
三上市朗
小市慢太郎
林英世
酒井高陽
木下政治
奥田達士


マキノノゾミ

勝平ともこ/白木三保/岡村宏懇/友久航/塩湯真弓
永滝元太郎/美輝明希/塩釜明子/神農直隆


日替わりゲスト…関戸博一(Studio Life)


紀伊国屋ホール B列センター


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(以下、ネタばれありますよー)


お気に入り役者くんが日替わりゲストで出演するというのと、もともと名前をよく聞く劇団解散公演とのことで一度は観てみたい、とチケットをとった公演。気合入れてチケット取りしたら、実質最前列センターだったのでちょっとびびった。


お話は上手にできていて、役者さんも皆お上手で、ストレスなく楽しめる3時間でした。キムラ緑子さん、以前新国立劇場の東京裁判三部作で拝見しているんだけど、ここまで上手いとは気づかなかった。あまりに上手すぎて、素のままに当書きされているんじゃないかと思ってしまうほど。小市慢太郎さんも、こういう業界人っぽい人いるよねー、というカッコよさで素敵でございました。


お話は、ある歌をめぐる物語。25年続いた老舗のラジオ番組に「この歌詞の歌を探してください」というリクエストが届く。そこから暗転を繰り返し、時間をさかのぼったりまた先へ進んだり、それぞれの時代のエピソードが綴られていく。一見バラバラのエピソードに見えるけれど、物語が進むにつれて、あるひとつの歌を軸に、それぞれのエピソードがひとつに繋がって行く。


一番最後のシーンは、26年目にして番組を終わることになったラジオ番組の収録のシーン。「様々な縁があってあの歌のことが分かったんだ」とこれまでの調査の結果を話すプロデューサー。「ちょっとそれ出来すぎじゃない?」と、DJの神崎カオル(←キムラ緑子さん)。「でも、本当なんだよ。ラジオの神様っていると思わない?」と微笑むプロデューサー。


「ラジオの神様」。きっとこれは「演劇の神様」「舞台の神様」を思っていたと思う 。26年間続いた劇団が、芝居を通じて人と繋がって、宝物のような時間を過ごしてきたということへの感謝と愛惜の思いが感じられた。


続く緑子さんの台詞。「みんな、26年間、本当にありがとう」。きっとここだけはお芝居じゃなくて、心からのそのまま素の思いだったと思う。緑子さん、目にいっぱい涙浮かべて、万感の思いを込めているようだった。劇団を解散するという最後の公演で、役者さんと劇団を愛するファンとが、こういう神聖な時間を共有できるのは、なんだかとっても素敵で幸せなことだなーと思いました。


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日替わりゲストとして登場したお気に入り役者くんは、ほんとにちょっぴりの出番だったけど、大変可愛くて、無理のない登場の仕方でよかったなー。髪を切って可愛さが増した?25歳という役柄の設定だったから、あえて可愛さを前面に出しただけかもしれないけど。それにしても。この日替わりゲスト、えーっと、この後は、岡田達也さんとか、北村有起哉さんとか、山内圭哉さんとかが出場予定なんですが、あの、皆25歳設定なんでしょうか???一部無理のある人がおりませんか・・・?


筧 利夫
仲間リサ
山本 亨
山口紗弥加

大口兼悟
馬場 徹

リア・ディゾン
トロイ


武田義晴/平沼紀久/黒川恭佑/浅香航大


清家利一/松本有樹純/久保田創/藤榮史哉
塚田知紀/荻野貴継


シアターコクーン XC列センター


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上手く言葉にできない。ものすごい熱量が舞台から発散されていて、ただただ、圧倒されて、そして泣いてた(私は圧倒されるとびっくりして涙になるのです…)。つか芝居の熱量ってこれか、つか芝居の魂ってこれか、と、そのことをずっと考えていた。


理屈とかはもうどうでもよくってね。ただ、もう全身であるだけの力を込めて、叫んでいる。その叫びは、私の体を貫いて胸がヒリヒリとする。頭で考えるんじゃなくて、心臓の奥のほうで感じている。


演出は岡村さん。銀ちゃんを好きになってから、岡村さん演出の舞台を比較的よく拝見するようになったので、だいぶその演出手法にも慣れました(実はあんまり得意ではないのです…)。今回も、いつもと同じ岡村さんの演出手法なんだけど、舞台そのもののもつエネルギーがこれまでと比べようもなくて、それだけに受ける衝撃が全く違ったよ。


多分違いは二つで、主演役者のもつ熱量と、あとは作品にこめられた劇作家の思いの熱さと、それが全然違っている。


筧さんのもつ熱量がハンパない。ただでさえ人より熱いのに、今回はつかさんへの追悼の意が込められているから、火傷しそうなくらい。今回、席がとても良席だったので、筧さんの強い強いまなざしに何度も息を呑んだ。こちらが貫かれそうだったよ。ああ、でも、舞台って、こういう熱風を感じたくて行くんだよなぁ。


そして作品のもつ熱さ。劇作家の、つまり、つかさんの「あの戦争はなんだったのか」という叫び声を聴いた気がする。この問いは戦後を生きた劇作家たち皆が持つ叫び声で、例えば井上ひさしだっていつもそれを問いかけ続けている。でも、井上ひさしの場合は、恐ろしく沢山の資料を読み込んで、ひとつのテーマに収束させ、分かりやすく再構築した問いを提示するけど、つかさんはそうじゃない。ただありのままに、まっすぐに、怒りの熱をぶつけてくる。胸にたぎる思いのままに。のどを嗄らしても叫ばずにはおれない。だから、その叫びを聴くと胸がヒリヒリするんだ。


これが私のつかこうへいとの出会いです。つかこうへいには間に合わなかったと思っていたけど、この舞台で出会えたと思う。


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物語のラスト。原爆投下の真実と、その取引の裏を突き止めた山崎(筧さん)。それまでの会話は録音し、ボタンをひとつ押せば、日本中にこの真実を流すことができるという。「そのボタンを押すことができるのですか?日本には希望がないことを広めることができるのですか」と、アメリカ側の諜報部員(リア・ディゾン)。山崎は逡巡の末、スイッチから手を放す「俺たちの国に希望がないなんてこと、言えやしない」という言葉とともに。「ありがとう、私たちの国を友人と考えてくれて」と返すアメリカ諜報部員。


物語のカタルシスとしては、真実を知らしめて幕というのが通常のパターンだと思うけれど、この話ではボタンを押すことはしない。それは過去を「間違い」として否定するのではなく、否定できない「事実」として受け入れ向き合っていくことが、希望に繋がるというメッセージだと感じた。私の勝手な思い込みかもしれないけどね。


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2回目のカーテンコール。誰もいないひな壇を照らすスポットライト。だけど、舞台脇の役者たちの目にも、客席の私たちにも、きっとつかさんが見えていたと思う。「つかさん、初日あけたよっ!」と明るく天に向かって話しかけた筧さんの姿に、また涙・涙。


筧さんいわく、今回は「広島に原爆を落とす日」という名のつかこうへい祭りなんだって。もう一回、お祭り観にいきます。初日を観劇した次の日、もう一日分のチケット確保しちゃった。でも、期間限定のお祭りだから、やっぱり今参加しないとね。浴衣着ちゃおうかな。