ファッション業界転職ブログ -3ページ目

株式会社Oens(オーエンス) 高橋みどりさん(その1)

こんにちは。コンサルタントの池松です。

今回のゲストは、イメージングディレクターの高橋みどりさん。
「バーニーズ ニューヨーク」の日本進出や、
「ジョルジオ アルマーニ」でも活躍され、
「エストネーション」を立ち上げられたことで、
そのご活躍はファッション業界でも有名です。

ファッション業界転職ブログ-01

株式会社Oens(オーエンス)の代表取締役として、
イメージングディレクターとして、
PR、ブランディング、マーケティング、商品・店舗プロデュースのほか
原稿執筆、セミナー講師等、幅広く活躍されています。

----------------------------------------

池松 まずは、ファッション業界に入ったきっかけを教えてください。

高橋 私は、大学が法政大学法学部法律学科だったので、
大学時代の就職活動は、ごく普通の商社やメーカーをいくつか受けていました。
ですので、ファッションを仕事にしようと思ってたわけではなかったのです。
女性だから、洋服は好きだったなあっていうぐらいで。
でも当時は、第2次オイルショックということで4年制の女子大生はほとんど就職難で。
短大が花盛り。2年で卒業して、3年ぐらいお仕事していいお嫁さんになって
寿退社してもらおうみたいな、そういう時代でした。
4年制を出た女の子自体、そもそもどうなの?っていうような感じだったんですよ。
そうは言っても仕事はしたかったので、一生懸命就職活動をして
ある商社に内定を一応いただいていたんですが。

池松 でも、そこに入社しなかったのには、何かきっかけがあったんですね?

高橋 なんとなく、漠然と、このままでいいのかなあと。
正直言って大学4年間、あまり真剣に自分の将来を考えたことがなかったので、
今の女性たちみたいに、キャリアを積んでとか、そういう気持ちが本当になかったんですね。
大学3年ぐらいのときには、すでにお父さんの友だちの息子さんとかと、
がんがんお見合いさせられてましたし(笑)。
今の私を知っている方からすれば、意外に思われるかもしれませんね。

ただ、就職活動をしていくなかで、人事部長さんや、その会社の偉い方とか
いろいろ会っていくと、本当に私、何ができるんだろう? 何がしたいんだろう?と思いだしたんです。
そこで、突然、アナウンサーはどうだろう?って。急に思ったんですよ、本当に急に。
で、たまたまなんですけど新聞を見ていたら、テレビ朝日の番組で、
ポーラ化粧品が提供している「レディースアイ」っていう女性向けの情報番組があって
テレビリポーターを募集していたんです。

例えば、月曜日はファッション、火曜日はクッキング、水曜日はヘルスとか、
テーマに対して、担当リポーターが取材して自分の言葉で発表するような内容で、
ちょっと受けてみようかな、みたいな感じで受けたんです。
そしたら、1,500人ぐらい来てましてね。
広いホテルの会場におじさんたちが、バーッて並んでるんですよ。
昔だから大きいカメラが、3つ、4つ置いてあって
カメラに向かって質問に答えていくっていうカメラテストみたいな試験だったんですね。
その上、他の方は皆さん、もう、すごい慣れてるっぽいんですよ。
ああ、だめだ、だめだ、と思って。でも面白いことを経験できたなと思って帰ったのを覚えています。

そしたら、なんと5人のうちの1人に合格したんです!
多分5人の合格者のうち3人くらいはプロのタレントさんやモデルさんだったと思います。
私がいいっていうよりも、大学卒業して何も染まってない子が、
そういうことをやるっていうことが、すごく新鮮だったらしく
少したどたどしいぐらいでいいんじゃないっていう意向もあり、
それにうまく私は引っかかったみたいでした。
で、そのときに始まった番組の私の担当が、月曜日のファッションの日だったんです。

ファッション業界転職ブログ-02
リポーター時代で当時22歳。 「スポーツウェアのリポートだったと思います」(高橋氏)

池松 偶然にも、ファッションとの接点がスタートしたんですね。

高橋 はい。たまたま、自分が選んだわけじゃなくて、テレ朝の方が決めたんですが。
それで番組の中で、新しいお店のオープンに行ったり、オーナーの方と話したり、
デザイナーの方と一緒にファッションショーを見に行って、
そのあとに何か着せていただいて感想を言ったりとか。
1年間そういったことをやらせていただいている間に、
ファッションって、実はすごく奥が深いんじゃないかって思い始めたんです。
作る人はものすごく思いも強いし、もしかしたらビジネスとして、
私たち女性にも何かできることがあるんじゃないかって。
また将来、ファンションビジネスってすごく可能性があるように感じたんです。
何かやってみたら広がるんじゃないかという気がして、それで興味を持ったんですね。

ところが、その番組が1年でなくなってしまって。
ほかの方たちは、別のところでどんどんプロになっていけばいいんですけど、
私は学校卒業したばかりで、内定を蹴ってやっていたので、
えっ?みたいなことになって、やばい!と。
でも、ファッションビジネスは、私にはすごく面白そうに思えてきた頃だし、
女性として、もしかしたら何かできることがありそうかもと、
それで受けたのが、芦田淳さんの「株式会社ジュン アシダ」だったんです。

池松 なるほど!

高橋 ジュンアシダでは、企画部の販促係として、半分貸し出しをしながら、
半分先生の秘書みたいなことをしていました。
ファッションショーの裏方とか、本当にこまごまとしたことをやってましたね。

池松 なぜ、そこを選んだんでしょう?

高橋 これもまた、新聞で見ていたら募集があって。
ちょうど私たちの親の世代は、芦田淳とか、君島さんの服が身近でしたし、好きなんですよね。
「高島屋に入ってるし、綺麗で上品だし安心じゃない」みたいな感じで。

池松 その頃の宣伝のお仕事って、想像がつかない。貸し出しとか。

高橋 貸し出し業務もありましたが、芦田先生はテレビにたくさん出ていましたし、
ファッションショーも、ホテル、レストラン、デパートの中やお店の中と
いろんなところでやっていましたので、ショーの裏方のお仕事もとても多かったです。
また、その頃、皇室の方とかファーストレディーは
ほとんど芦田淳のお洋服をお召しになっていましたし。
だから、そういう奥さまとか、社交界の方のお洋服のコーディネートを
裏で手伝ったりとかそういう仕事が多かったですね。

池松 じゃあ、それがプレスとしてのキャリアの実際のスタートとなるんですね。

高橋 はい。でも、まだプレスという言葉がない時代でした。
今でこそ「プレス」「PR」といわれてますけど、
私が始めた30年前なんてなかったですね、そんな言葉は日本には。

池松 そうか、そうか。雑誌への出稿業務もあったんですよね。

高橋 ありましたね。「ミセス」「婦人画報」「家庭画報」には広告を出していました。
そのとき、先生のミューズは山本陽子さんだったり、浅丘ルリ子さんだったり。
そういう方もファッションショーには来られていました。
また、毎月色々な雑誌でタイアップをしていたので、
その撮影に一緒について行ったりとかしていました。

池松 その頃って、ファッション業界の中で女性が活躍できるような環境はあったんですか。

高橋 多かったのは、やはりデザイナーのアシスタントとか、
あとパタンナーですね、手に職を持つ方で。
文化などの専門学校を出て、ちゃんと勉強してきた方が専門職として生きていくっていう。
普通に4年制を出ている場合は、営業アシスタントとかで。
1人で長くやっていける仕事(職種)かというと、結構少なかったと思います。

池松 でも、先生のお手伝いをしながら、そういう仕事を確立をされていったんですよね。

高橋 本当にそのころは、今から思えば大したことはやってなかったなあと(笑)。
ただ、まだやったことのない新しいことがたくさんあったので楽しかったですね。

池松 で、そのあとに「メルローズ」ですね。

高橋 芦田淳さんのところは1年半ぐらいで退職したんです。
若かったせいもあるんですけれど、しつけがすごく厳しくて。
いろんな方が来るから、言葉遣いしかり、
先生が上座に座ってたら私たちは下座に座ってるっていう感じでしたから。
若い私にとっては、あり得ないというか、わからないことが多すぎた。
言葉遣いが悪いと言われても、どう悪いかわからないという感じだったんですよ。
それで、1年ぐらいたった時に、やっぱり自分の普段着れないものよりも、
自分が好きな、いつも着ているカジュアルなものをやったほうがいいのかなと思い出して。
そしたら、「メルローズ」が募集してたんですね、ビギグループの。
その頃、「メルローズ」が大好きだったので受けに行ったんです。

池松 百戦錬磨ですね、面接は!
で、「メルローズ」はその頃、どういう業態だったんですか。

高橋 ビギグループの中のブランドの1つでした。当時、DCブランド全盛期でしたから、
私が入った当時は、確か会社ができて4、5年目。これからますます大きくなるという時でした。
結局「メルローズ」には10年いましたね。
入社当時、50人くらいだった社員も300人ぐらいまでになりました。
ビギグループで売上も年々増加していましたから。
会社が伸びている時だったので、いろんな人が寄ってくるんですよ、いい意味で。
だから、いろいろな仕事や新しいことがどんどん形になって、すごく楽しかったです。

ファッション業界転職ブログ-03
メルローズ時代の、あるファッション誌での1ページ

池松 そこでもプレス業務でしたか。

高橋 はい、でも、そこでもやっぱり企画部販促係という名前だったんですけどね。
入社して4、5年たったころから「anan」とか「non-no」で、女性の花形仕事みたいになって、
販売の方が「ハウスマヌカン」っていう名前になって、
「スタイリスト」「ヘアメイク」とかカタカナ商売がたくさん増えて、
私たちのことも「プレス」っていう名前になったんです。
雑誌の特集でも「プレスが着た今年一番のお薦め」とか、
「プレスの好きなレストラン」とか、何かすごいもてはやされていって。

池松 じゃあ、その頃から「プレス」という言葉が浸透していったんですね。
仕事内容はどういうものでしたか?

高橋 プロモーションもやり、もちろんお店のオープンにも行って、
ディスプレーもやり、それからカタログ作り、キャスティング、予算の管理、雑誌のタイアップ。
まあ、今で言う宣伝部みたいな感じ。というか、なんでも屋さんですね。
例えば、デザイナーに取材が来れば、スケジュールをアレンジして一緒について行って、
逆にデザイナーがあの人と一緒に仕事したいと言われれば、その方を探してアレンジしたりしてました。

池松 全盛期ってことは、お給料も良かったんですか。

高橋 今の30代の女性と比較しても、めぐまれていたと思います。
決算ボーナスは出るし、秋冬春夏出るわけですから。年間のボーナスだけでかなりでした。
だから、若い営業の男の子でもベンツ乗ったり、ポルシェ乗ったり。
かなりバブってたと思いますね。

池松 アパレルってそんなもうかる業界だったんですね!(笑)

高橋 その当時は、マルイ、ラフォーレ、各百貨店も力があったし、
そういう売り場にほとんどお店やコーナーがありましたから。
ラフォーレのセールなどは長蛇の列で、並んででも入りたいみたいな時代。
とにかくDC全盛期だったんですよね。

池松 そんな楽しい10年からの転機って、何だったんですか?

高橋 会社で研修制度があって、ニューヨークに行ったときに
「バーニーズ ニューヨーク」に初めて行ったんですね。そのころ色々な人たちが
「ニューヨークに行ったらバーニーズに行ってごらん、行ってごらん」って
噂になってたお店で、「すごい素敵なお店だよ」って言われてたんですね。
軽い気持ちでダウンタウンにあるバーニーズの本店に行ったら、
もう、めっちゃくちゃ素敵だったんですよ、大人な雰囲気で。
ドアマンがいて、ポーターがいて、売ってる人もすごくエレガントで。
もう、着替えて出直してきます!みたいなね、そんな気分でしたね。
それと同時に、「こんな店で働きたい! こんなところあったんだ!」って
すごいカルチャーショックを受けて、ああ、大人の店ってこういうことかなと思いました。
私は30代に入っていて、自分では大人になった気でいたのに、
なんか違うなと思いながら帰ってきました。
そして、いつかはああいう店が日本に来たら働きたいなって・・・
そう思っていたところに、なんと伊勢丹と合弁になって!

ファッション業界転職ブログ-04
バーニーズ ニューヨーク新宿店での顧客向けパーティにて

池松 なるほど、トントン拍子ですね。

高橋 ええっ!と思って、知ってる方に、「バーニーズが大好きなので
ぜひ働きたいの」みたいなことを言ったら、
「僕の知り合いが社長になるみたいだから、聞いておくよ」と言ってくださって。
そしたら本当にPRとか宣伝がわかる人を探していらした時期だったこともあり、
もうオープンまで2、3カ月という時期だったからかもしれませんが、
お目にかかったら、まだ、何も話してないのに、
「早く一緒にやろうよ」みたいな話になって。
でも、それから移るには4カ月ぐらいかかりましたけど。

池松 結構かかったんですね。

高橋 「メルローズ」には10年いましたし、本当にいい状態でしたので、
「何が不満なんだ」って辞めるときも言われたんです。
でも、不満なんて全然なくて、ただ、自分のやりたいことが変わったというだけなんですがね。

池松 ええと、バーニーズは、新宿が1号店。

高橋 はい、2号店が横浜。

池松 創業時は、ファッション業界でのそうそうたるメンバーがいたんですよね。

ファッション業界転職ブログ-05
バーニーズ ニューヨーク横浜店オープニングパーティにて

高橋 そうですね。みんな何か、こう、ガッツがあるっていうか!
私たちのようなプロパーは、伊勢丹の人とはまったく違う入り方で、
やっぱりバーニーズが好きで入ってきた。
伊勢丹の人は、ある意味最初の頃は伊勢丹からの出向でしたし、
仕事もやらされたっていうか、
今でこそ違うと思うんですけど、そういう感じだったと思います。
だから、いつも、伊勢丹の人は帰るところがあるけれど、
私たちは帰るとこないから必死なんだ、がんばらなくちゃと思うことがよくありました。

池松 結果、1号店は大成功でしたよね。

高橋 でも、最初の3年ぐらいはきつかったですね。
やっぱり、ほとんどバーニーズは知られてなかったので。
お店はすてきだけど、何? っていう感じでしたし、プライスも高かったですからね。
ああいうセレクトショップ系のお店ができたのが、ちょうど1990年頃。
テイスト主義のお店の中でも、一番グローバルでインターナショナル。
ニューヨークと一緒にバイイングしていましたから。

池松 「ダナ・キャラン」「ジョルジオ・アルマーニ」「ジル・サンダー」とか。

高橋 はい、全部一緒にバイイングしてました。
それをサイズだけ日本向けにして買ってきたりするんですよ。
だから、同じようにダナ・キャランをバイイングして来ていても、
伊勢丹では150型あれば150型買う買い方ですけど、
バーニーズはバーニーズのテイストで買うので、30型ぐらいしか買わないんです。
だから、お客さまによっては「本当に少なくて嫌ね、この店」っていう方もいましたし、
「あ、このテイスト好きだから、ここで買うわ」って方もいらしたり。
だから他の店にはない品揃えのお店だったのかもしれません。
今でこそ、そういったお店は結構ありますけど、当時は新しいスタイルのお店だったと思います。

池松 その頃のみどりさんの役割としては。

高橋 最初はマネージャーでスタートしましたが、
1年半後には宣伝部のジェネラルマネージャーという形になりました。
伊勢丹から来られている方がいたんですけど、やっぱり途中で帰られたので。
本国とも直接やり取りをしなきゃいけなかった。
英語のビジネスも私は全然初めてだったので、最初はもう英語に打ちのめされました。
しゃべれなかったので。もう、最初の1年ぐらいは本当に大変でしたね。
英会話スクールに通って、いつも、こう、石川遼じゃないですけど
リスニング、リスニングで。あと、出張の数もすごかったですね。

池松 そうだったんですね。

高橋 バーニーズにいた7年間、ニューヨークに50回近く行きましたね。
カタログ撮影になると、現地に長く滞在しますし。
習うより慣れろって、本当にそうだと思います。
それでやってきた叩き上げの感じですね。

池松 じゃあ、バーニーズがどんどん成長するに伴って、
みどりさんのキャリアも広がっていったんですか。

高橋 そうですね。ブランディングの仕事の仕方とか、
日本では当時、あんまり言われてなかったマーケティングの考え方、
費用対効果という効果的なバジェットの使い方、
どういうふうにビジネスを広げていくかとか
いろんなことを、とてもたくさん学びました。

ファッション業界転職ブログ-06
アルマーニ時代のファッションショー終了後

池松 で、次のアルマーニに動くタイミングっていうのは?

高橋 1997年に、ニューヨークのほうが会社更生法っていうのを出して倒産したんです。
当時は、プレスマンっていう方のファミリービジネスだったんですが、
ユダヤの人の彼らのテイストがあったからこそ面白かったところもあって。
でも、その人たちが全員いなくなってしまった。
私としては、色気があったり、ちょっとインテリジェンスであったり、
そういうバーニーズのテイストがすごい好きだったので。
それを目指してやってきてたんですけど、その人たちが全員いなくなってしまって、
ファンドから入ってきた人が上にいっぱい来たんですよ。
そうなると、私にとっての共通言語もなくなってしまって、
私にとっては、教えてもらえることがなくなってしまった。
その頃、いろんなヘッドハンティングの方から急に話が入ってきて、
5つぐらい話をいただいたんですね。
その中で、一番好きだった洋服が、私の中では「アルマーニ」だったんです。
私はやっぱり、PRとか、宣伝の仕事っていうのは、
自分が好きとか、作っている方を尊敬できるとかじゃないと、
伝える仕事なんてできるはずがないと、いつも思うんです。

池松 そのころの「アルマーニ」って、人気もありましたよね。

高橋 一番売れてましたね。売上が約200億円位あったときですからね。
ちょうどアルマーニさんの17年ぶりの来日を迎える年だったので
それを成功させてくれる候補者というのがヘッドハンティングのミッションだったそうです。
で、当時、彼は日本にあまり信頼感がなく、むしろ嫌っていることもあって、
とにかく、この来日を成功させることが、「アルマーニ・ジャパン」として
もっと大きく飛躍するチャンスなんだと、日本の社長がとても熱く語っていました。
彼からも「ぜひやってほしい」ということで、それで入ったんです。

池松 やっぱり、「人」で大きく差が出てきますし。

高橋 「アルマーニ」がスタートしてからは、
正直言ってバーニーズも忙しかったんですけども、
もうその比じゃないぐらい忙しかったです。
年間100日ぐらいは出張でした。イタリア、そして国内と。

池松 イタリアとニューヨークのビジネスのやり方って違いますよね。

高橋 全然違いますね。アルマーニさんは厳しいです。
もう、彼が天皇陛下、そして帝王なんで(笑)。

池松 そうですよね。

高橋 バーニーズのときは、ある程度、自分の力で開拓して、改革して、
日本流にやっていけたところがあったんですが。
それをすごく、自分としては、自分のスキルとして持って「アルマーニ」に移ったのですが、
「アルマーニ」の場合は、当然彼が社長であり、オーナーであって、
彼の一言で全員が右っていうふうになっちゃうものですから、
それが時々、残念だなあとか、日本で、こんなに何十年もやってる私たちのことを
もうちょっと信じてほしいなあとか、いろんな思いがあって。
でも、来日されたことによって、今まですごく日本側に不信感を持たれていたことも
ああ、ちゃんとやってくれているんだなと理解してくださったようで、
日本人のモデルもミラノコレクションでも使ってくださるようになったり、タイアップが出来たり。
少しずつ変わっていったことも多々ありましたね。

----------------------------------------

次回は、いよいよ、働く大人のためのスペシャリティストア
「エストネーション」の立ち上げストーリーが登場!
また、イメージングディレクターとしての活動にも迫ります。
日本のビジネスシーンをリードするあの有名人がオシャレになったのは、
実は高橋さんによるコーディネートのコンサルテーションがあった!?

(その2)もぜひお楽しみに!

◆プロフィール
高橋みどり (たかはし・みどり)
1956年東京生まれ。法政大学法学部卒業。
テレビ朝日の女性向け情報番組のファッションレポーターとして活躍後、株式会社ジュン アシダ、
株式会社メルローズの企画販売促進担当としてプレスの仕事を確立する。
ファッションショー、カタログ制作、雑誌のタイアップ、貸出業務、イベント企画などの仕事を担当。
1990年のバーニーズ ニューヨーク日本進出に伴い転職。一号店のオープンスタッフに加わり、
宣伝部ジェネラルマネージャーとして宣伝、PR、プロモーションなどにかかわる。
1997年には、ジョルジオ アルマーニ ジャパン株式会社広報室長になり、
宣伝PR、プロモーション、VMD、広報の統括を行う。
2000年株式会社サザビーリーグの子会社、株式会社エストネーションを設立。
エグゼクティブオフィサーとして、プランニング、宣伝PR、マーケティングの統括を行う。
2004年から2005年までは六本木ヒルズ店の店長も兼任。
2005年6月に独立し、Oens(オーエンス)を設立。
人、企業、ブランドを応援したいという思いから、ブランドのPR、マーケティング、
商品・店舗活用プロデュースだけでなく、原稿執筆、セミナー講師など活躍の場を広げている。
著書に、『アルマーニに学んだ仕事で輝くために大切なこと』(あさ出版)、
『働く女性のワードローブ おしゃれの教科書』(講談社)がある。
$ファッション業界転職ブログ

オフィシャルブログ http://www.midroom.com/ HP http://www.oens.net/

株式会社センスオブワークス 倉橋奈穂美さん

こんにちは。コンサルタントの池松です。

今回は、ファッション業界を中心に活動する広告代理店
株式会社センスオブワークス代表取締役の
倉橋奈穂美さんのオフィスにお邪魔しました。

ファッション業界転職ブログ-01

2児の母でありながら、変化の激しい広告代理店を切り盛りしている倉橋さん。
事業の話から子育てのコツまで、
美味しいハーブティをいただきながらお話を伺いました。

----------------------------

池松 さっそくですが、センスオブワークスの今の活動を教えてください。

倉橋 私たちは広告代理業務なんですけれど
主なお客様がファッション業界ということもあって
やはり中心になるメディアは雑誌になります。
最近はもちろん、ウェブやテレビなどの媒体も多くなってきていますが、
基本、餅屋としてはファッション関係の雑誌のバイイングです。
PR・プレス担当者のパートナーみたいな立ち位置になるんですよね。
PRプランと並行して、広告宣伝活動というものを
全面的にバックアップできる関係性がベストですよね。
ブランドそのものの売上やイメージを向上させるための
プランニングのご提案をお手伝いするのがファッション業界の代理店の役割。
点では動かずに、総合プランナーみたいな関わり方が多いですね。

池松 となると、雑誌側との付き合いも多いのでは?

倉橋 はい。代弁しなきゃならないことが多いので、
出版社や編集者ともかなり近い立ち位置になります。
一般の企業とは少々違い、ファッション業界の場合、
一緒にページを作っていくという関係性が深いので、
買ったページだけで成立せずに、
雑誌との関係性をどんどん広げていく役割も担います。
パイプ役という立場で、他の業界よりもずっと編集者に近いし、
ページを作るっていうところにも加担していきます。
ただ、実際に誌面を考えるのは、あくまでも編集者や制作スタッフなので、
私たちは、クライアントの目的をしっかり理解して、
ちょっとした発想をプラスすることで、
いかにキャッチーなページに仕上げるか編集者たちを導くだけ。

池松 具体的なサービスとは?

倉橋 うーん。コミュニケーションかな?
メディアバイイングは完全に仕事ですが、
バイイングするまでの付加価値っていうのがすごく多くて、
それがコミュニケーションなんですよね。
ブレインとして役に立つという評価がある上で、
じゃあ広告費をどこに払うかっていうのを審査されているのだと思います。

池松 純広とか、タイアップとか、色々ありますよね。

倉橋 タイアップにお金が発生して純広をサービスするという場合もありますし、
純広を出すことによって、どこかに記事を書いてもらうようなセット商品も存在しますね
代理店側のビジネスでは、メディアバイイングを主として、
マーケティングデータをサービスしているところもあるし、
逆に、マーケティング自体をお金に換えているところもあるし。
そういう意味では、うちはコミュニケーションを売りにしています。

池松 今お付き合いしているクライアントは、ドメスティックが主ですか?

倉橋 クライアントはドメスティックが主。
あとは、ライセンシーブランドとか輸入代理店とか。

池松 とすると、外資系のように本社に承認を得なくてはいけないとか、
本社である程度イメージが出来上がってるのと違って、
どちらかというと日本発信で作り上げていかなければいけない?

倉橋 なので、ブランディングから入っていきます。

池松 外資系のブランドと国産ブランドの広告の出し方の違いはありますか?

倉橋 外資はアプルーバルが厳しかったりするから、
基本タイアップよりもイメージビジュアルをどう浸透させるかということ。
純広でお金を付けて、パブリシティはサービスでもらうという組み方でしょうね。

池松 最近、コレクションブランドでも雑誌でグッズ作ったりしてますけど、
外資系でも、あれは許容範囲なのか不思議に思っていて。

倉橋 ブランド名でも、コスメの方だからっていうのもあるかもしれませんね。

池松 クライアントとの取り組みでの、具体的な成功事例ってありますか?

倉橋 突然きましたね!急ぎすぎじゃない?(笑
WWDにも取材されたことがある事例だけど、
2009年にファッション雑誌「ヴェリィ」と
タイアップを軸に新規事業を立ち上げて
「ヴェリィ」完全監修のコラボブランドを作ったんですよ。
結構それはなかなかできないことだったと思います。
編集長にある程度信頼されないとできないし。
出版社としても、このご時世、新しい事業をやりたかったんだと思います。

池松 凄い!それは知らなかった。ブランド名は?

倉橋 「バーンヤードストーム」。略して「BYS」です。
ECサイトだけで販売するというコンセプトだったので出来たんですが、
売上も好調で、来春から実店舗化することになりました。
ただ、それを作ったということで、うちはお金を取っているわけではない。
代理店て、割とそういう感じなんですよね。
実際何千万円というバジェットを扱うにあたっての
色々なネットワークや関連作業は全部サービスという。

ファッション業界転職ブログ-02

池松 厳しい時代だからこそ、知恵を絞れば
いくらでも新しいことが出来るっていういい事例ですよね。
広告代理店がブランドを作った事例って、過去にあるんですか?

倉橋 ブランドを作るというよりも、
間に入ってコラボを実現する、みたいな例は最近多いですよね。
作るためのコーディネーションですからね。

池松 最近も、そういった新しい試みを発掘中?

倉橋 最近は、大所帯の代理店だとなかなか手が回らない
マンツーマンで込み入った交渉をすることで実現できることが結構あって。
ファッション媒体とファッション要素が強い飲食店とのイベントを仕掛けようとしていたりとか。

池松 10年前と比べて、それぞれの媒体かける予算配分に変化はありますか?

倉橋 やっぱり、全体的な予算は下がってきているし、
商品(広告料金)そのものも下がってきている。
イベント的な細かい働きかけは前よりも増えてきた気がします。
エンドユーザーに向けてのコミュニケーションとか、
媒体を絡ませながら顧客サービスを実現するという発想は増えてますね。

池松 そういえば、この間G-Starが原宿で
スタイルバトルとかっていうイベントをやってましたね。
やっぱりそういうプロモーションも増えてるんだなって。

倉橋 そうですね。オンライン媒体も使って、
顧客イベントやオープンパーティとか仕掛けたり。

池松 予算の使われ方も、雑誌からデジタルに移行してきた気がしますか?

倉橋 というか、昔よりも細かくなりましたね。
昔はバジェットをどう振り分けるかってところで終わってたのが、
今は、手を変え品を変えみたいなことを要求されますね。

池松 不況と言えど、毎号太くなっていく雑誌もありますけど、
本当のところ雑誌って売れてるですか?

倉橋 売れてる雑誌はあります、という言い方のほうが当たってるかも。

池松 売れる雑誌と、そうでないものが二極化してるということ?

倉橋 そうですね。出版社も今、自社媒体だけで勝負しようとは思ってないので、
広告メニューそのものも変わってきましたね。
ウェブサイトとセットだったり、交通広告とセットだったり、
出版社自体が積極的にイベントに絡むとか、
自社のコンテンツをどう切り売りしていくかとか。
本当に細かく商品化しています。
イベントでも積極的に読者を巻き込んで、
そこでつぶやきますとか、それを付加価値にしたり。
いろんな要素をパッケージにして商品にしていますね。

池松 デジタル関連で何かやっていますか?

倉橋 そうですね、店頭イベントとかで
iPadをプレゼンテーションのプラットフォームのひとつにして、
そこで映像流しましょうとか。そういったのはありますね。

池松 全然違う質問ですが、仕事の質を上げるには、
やはりPRやプレス担当者の力量によって変わってきますか?

倉橋 全然違いますよ。同じ広告宣伝費をかけても担当者の力量によって
3倍にも膨らませられる場合もあれば、お金をかけた分だけに留まることもある。
だから今回、新規事業を始めたっていうことなんですけど。

ファッション業界転職ブログ-03

池松 それが「株式会社Tact Of Works」ですね。

倉橋 はい。代理店だとやっぱり、その先の細かいところまで
アドバイスはできても運営はできないですからね。
別の人だったらもっと膨らませるはずとか感じることもあったし。
と言っても、企業も育てられる体力がない。ベテランを雇う体力もない。
だったらそういう場所を、うちで作ろうかなと思ったのがタクトの経緯です。
社内の事情で、そこまで手が回らないというブランドも多いから、
広告からその先までというので、広告の付き合いがあったところから始まってますね。

池松 じゃあ今は、広告だけじゃなくてプレス業務も受けているという。

倉橋 そうです。大ベテランの人にうちの場所を提供して、
うちのメンバーとしてやってもらうという方法も取り入れてます。

ファッション業界転職ブログ-04
明るい日差しが差し込むTact of worksプレスルーム。

池松 企業側のPR担当者の資質やスキルセットを見極めるのはどういったところ?

倉橋 どうなんだろう?やっぱり性格かなあ(笑)
キャリアがある人は人脈があるし、むしろ人脈がどうやって築けたかってこと。
元々人脈がなくても、その子なりの人脈は拡げられるはず。

池松 今日の大御所って言われる人も、最初はビギナーだったわけで。

倉橋 仕事に対する向き合い方。姿勢ですよね。

池松 業界的にPR担当者は、どういったキャラが受け入れやすいと思います?

倉橋 やっぱり仕事も人対人なので、どう本音でコミュニケーションできるかとか、
一生懸命な姿勢だとか、当たり前だけどそういうことかなっていう気がします。
予算は武器になるので、それをどう活かすかというのがキーですね。
細かいものに対しても面倒がらずにアプローチしていくとか、
回収というものを細かくできる人がいいと思います。

池松 狭い業界だなと感じたことは?

倉橋 ありますよ。って本当に狭いですもん。
やっぱり嫌いなのよって思われちゃう人はいますよね。
ある程度、ゴリゴリやらないとっていうのはありますがそこのバランスが難しいですよね。
ゴリゴリは大切ですよね、じゃないとバジェットは回収できない。
でも、本当に嫌われている人もいますね(笑)。
わかんないけど、やっぱりブランド力や資本力があれば、
一目置かざるを得ないとは思うんですが、でも、あなたじゃないのにって(笑)。
そういった不満を聞くことはありますね。でもだんだん勘違いしていくんでしょうね。
すごい取り巻きの人がそのブランドに集まってきますからね。

池松 今って、リーマンショック以降どこも大変だと思いますが
業界の再編成というものはあったんですか?

倉橋 あの会社とあの企業がくっついたとか、
業務形態そのものも以前では考えられないことが起こったりしましたね。
大手のリストラが進んだりとか。
市場を見ても、みんな財布のひもが固いし、収入も低くなっているから厳しいですよね。
だからといって、消極的になっていたら衰退する一方だから。
予算を組むということは、そういう状況をちゃんと理解した上で、
だからこそ自分たちで出来ることを仕掛けなければと
前向きになっていることなんだと思います。そういうチャンスがある時代とも言えるし。

池松 では、今後の事業展開は、広告業からより先を見据えて、
細かいところまで手が届くようPR業も並行して進めていくんですね。

倉橋 そうですね。特長を持つというのが大切だと思っています。
どう頑張ったって大手にはかなわないから。
100以上のブランドを扱っている代理店と30ブランド扱いの代理店とは特長も違うべき。
ブランド数を増やしていくという横幅を拡げることよりも、
そのブランドの縦というか、それがPR事業になるんですが、そこを拡げていきたい。

ファッション業界転職ブログ-05
マリテ エ フランソア ジルボーのOZON加工のジーンズ。
目下、2012SS〝OZON TECHNOLOGYキャンペーン〟プランニング中!


池松 そもそも倉橋さんが起業されたきっかけは?

倉橋 会社員としてのルールに縛られずに仕事したかったていうのがきっかけです。
その後に子供が生まれたので、子供がいたからフリーになったという順序ではありませんが。
仕事は好きだけど、組織のルールは好きじゃなかったんですよね。

池松 しかも2人もお子さんがいらっしゃるんですよね。
僕も子どもさん含めて、食事をご一緒させていただいたことがありましたね。
今いくつですか?

倉橋 中1と小5です。

池松 激務が当たり前な業界の社長業と、2児の母親業。
両立のコツやアドバイスはありますか?

倉橋 なるべく人にサポートしてもらうこと。全部自分だけでは絶対に無理なので、
どう助けてもらうか。自分がやらなきゃって、まず思わないことです。
だから、比重の置き方なのかな。
子供のことは自分がやらなきゃと思う人は、どう考えても仕事の量を減らすしかないし
仕事の方を自分がやらなきゃって思うなら、子育てはなるべく人に助けてもらうこと。
そうすれば長続きするし、どうにかなりますよ!

池松 具体的なヘルプの例は?

倉橋 そうですね、まずお金はかかるけど、シッターさんがいると全然違います。
親のサポートも、あればとても心強い。変にお姑さんのことを
「嫌がるかもしれない」と勝手に思い込んで頼らない人もいると思いますけど、
頼らないとできないわけですから! 助けてっていうことだと思いますね。
自分のペースに持っていけるといいですよね。

池松 そういえば、倉橋さんは、ときどきお子さんにも助けてもらってますよね?(笑

倉橋 そうそう!酔っぱらった時とかね(笑)。
周りにっていうのは、子供も含めてです!

◆プロフィール
倉橋奈穂美(くらはし・なおみ)
愛知県生まれ。DCブランドの営業・プレスを経験後、代理店営業マンに転身。
前社のPRCでは14年間、営業委託契約(出来高報酬)社員として在籍。
2009年5月、センスオブワークスとして活動を開始。2児の母。

<センスオブワークスより、お知らせです!>
ただ今、素直な性格と前向きな姿勢のPRアシスタント募集中!(インターン可)。
連絡先はkurahashi@sowad.co.jp まで。


(文責:堀田律子)

【ファッションセミナーのお知らせ】

【ファッションセミナーのお知らせ】


『YOKO KONDO FASHION TREND SEMINAR 2012 SS COLLECTIO』

ファッションエディター近藤陽子の5大都市コレクショントレンド分析。
<NEW YORK - LONDON - MILAN - PARIS - TOKO>


ファッションエディター近藤陽子が、
世界をリードする2012SSコレクション5大都市に足を運び、
そこから得たトレンドを都市別に徹底分析。


人気ブランドのテーマをはじめ、新進気鋭のデザイナーの紹介、
シーズンを彩るトレンドキーワード、スタイリング術、素材やカラー、
小物といった細かいディテールまで、日本市場での商品企画、
VMD、販促に役立つ情報を厳選して語ります。


最も購買意欲の高いF1層と同じ世代、同じ目線を持つ

リアルなコレクションレポートになり、
オフランウェイのストリートスナップの実態や、ここでしか聞けない裏話も交え、
必ず役に立つ密度の濃いコンテンツをご予定しています。


日時:2011年12月12日(月)19:00-22:00
場所:文化ファッションインキュベーション
住所:東京都渋谷区桜丘23-21 渋谷区文化総合センター大和田 10F
会費:一般4000円、学生3000円
予約&お問い合わせ:worldfashionseminar@gmail.com


※エーバルーン主催セミナーではありませんが、ご興味ある方はぜひこの機会をご活用ください。