18才の春、桜咲く。希望と未来への期待を胸に、家を離れ、寮生活。大学や社会人を経て入学した新入生、子育て中の主婦までいる。今までとは違う、多彩な仲間との療法士への道。私の明るい未来への一歩を踏み出したはずだった。50を過ぎた今、私は………
4月からの自宅教室に向け、少しずつ準備を進めているところ。入居18年。修繕も必要。トイレ、キッチン脱衣所、洗面、、ひどい有り様。生徒受け入れ準備もあり、気合いが入っている。やったこともない、床のリフォームに取り掛かってみた。クッションシートや、クッションフロアテープを買い、4月から通う生徒が使うトイレリフォームから。まずは、型紙づくり。教室案内を修正し刷り直した、プリントの束を、床の置物をどかし、掃除した床面に置いていく。曲線は、小さく切ったプリントの柵を並べていく。単独水道部分や棚の枠、出入り口の柱の凸凹。角は、プリントの角を当てればよい。隙間さえ無ければよい。適当に、いくらか重なり合わせるように置く。仕上がった所からテープで繋げる。置く貼るを繰り返し、やがて立派な型紙になる。水道管奥と、便器奥2箇所をカットすると、型紙を取り出すことができる。平なところにクッションシートを裏にして広げる。型紙も裏にして。トイレ入口の柱凸凹が切りやすいよう、シート端を、トイレ型紙入口部に合わせる。型紙に沿って、鉛筆で型取り。直線部は定規を使う。曲線部は、型紙縁とシートの境目を荒く塗りつけるかのようにすると、線を引かなくとも鉛筆の色の境目で、型がわかる。鉛筆の型取りが済んだら、カッターで切っていく。直線は定規を使う。切り過ぎるのを恐れ、必要なら後で修正すればいいと、気持ちばかり外側をカットする。曲線は、恐れずしっかり力を入れ、カットしきる事を意識。思いきりいいのが良かったのか、初心者でも、意外と曲線も上手くカット出来た。型紙同様水道管奥と便器奥2箇所に切り込み。実際にトイレに置く。細かい角も合わせようとすると、カット修正が必要なところが、幾つか見つかった。便器部、水道管継ぎ目、棚枠、入口柱凹凸部、、、その場でシートを少し浮かせて修正できるものもあるが、小回りが効かないので、何度もシートを剥がし、広い場所で広げてカット修正。水道管継ぎ目にかなり手こずった。休憩も入れ、トータル4、5時間といったところか。シートを敷き、便器下隙間にシート端を入れ込むように、棚下にも入れ込むように、細かな角を合わせるように、シートを敷き詰め、ついに完成‼️‼️‼️‼️少し浮いている所もあるが、初心者にしては、まずまずじゃないか‼️‼️‼️テープで浮いてるところの補正もできるかとも思う。もしかして、シート下のテープ固定をしようとして、シートがずれたりしないんだろうか❓❓❓❓❓見かけまずまずだから、シート下のテープ留めは、やーめた‼️😅😅😅
長女の学校帰りの道中は、今日のご飯は何かな?と考えるのが楽しかったんだとか。一人暮らしの社会人3年目の長女。長女からの最近のLINEのやり取りは、レシピの質問がほとんど。そして、自宅から片道2時間の大学に通学する次女。やっぱりLINEのやり取りは、飯🍚のことばかり。
弟と断絶20年余り。昨年やっと、まともな再会を果たす。両親と我らきょうだい、4人家族での会食もして、家族の時間を少しづつ取り戻しつつある。決して日常の付き合いはない。それでも、まともな再会を果たしたのは大きな出来事だった。ただ、我が子と、まともに会わせたことがないのが気がかり。高齢の両親の手前、もう少し駒を進めたくもあった。そんな中、長男と次女も揃って実家へ、長男のお土産を持って行った際、偶然我が弟と鉢合わせ。不自然に会う機会をと、考える前に、まともに面と向かう機会が出来た。弟も、実家によく足を運ぶが、意外と鉢合わせの機会はなかった。ようやく、そんな日がやったきた。変に背伸びして、弟に子供を会わせなければ、、と思うよりも、むしろ偶然の鉢合わせの方が、自然な顔合わせだった。何事もなかったかのように、お互いの近況を語り合う。20年の歳月を、少しづつ取り戻していく途中。
1人の時間はホッとする。じっくり考え、没頭する。家計の足しになればと忙しく暮らすのが当たり前と思ってしまう。懐寂しい我が家。せっせと稼ぐが本当のところ。なのに、個人で教室をするために、のめり込めば混む程、一銭にもなっていない時間ばかりが過ぎていく。どうなるかわからない未来のための投資の時間。夢を追う有意義な時間であれば、好きな事をしている贅沢な時間とも言える。金銭の不安は拭えない。生徒は減り、解雇が決まっている我が身が、どんな嘲笑に晒されているのかとの不安もある。肯定的に過ごす中に、否定的に不安に呑まれる夜もある。
どうして人と比べて育てたんだ‼️どうして人より先に、人より上にって育てたんだ‼️どうして『恥』を植え付けたんだ‼️なんで、思いやり・助け合いを教えなかったんだ‼️なんで、楽しむ事を、みんなで分かち合う事を教えなかったんだ‼️・・・・・・・・私を冷笑する人達を背に、何故か怒りが込み上げた。
私はその都度縁を手放してきた。孤独の道を歩んできた。プライドと意地に振り回され、気付けば味方は数少ない。21の春、ズタズタのプライドを抱えて、引きこもりの数ヶ月を経て、就職した先の先輩達。仲間作りも出来ず、他部署の先輩方グループに仲間にしてもらった。あの頃の、絶景 を背に掃除しながら、なんでどうしてが頭をぐるぐるめぐっていた。そんな頃にご一緒した方達と、今月再開することになっている。あの頃と、どこか被る今の自分。学校を意に反して離れなければならなかった自分。やりがいある仕事を追われた今の自分。このタイミングに、あの頃の自分と時を過ごした仲間との再会。あの頃と今を比べ感傷に浸る21才の自分は、自分の事ばかりに思いを費やしていた。今の自分は、ついてきた生徒を守る気概が強く、決して自分自分と言う感じでもない。こんなにやってきたのにばかりの、世間体に怯える21才の自分とは違い、人に笑われようが、腐されようが、全く気にしない55才の私。10年近い積み重ねをどうしてくれるのかなどとは思わない。職を追われたとて、それも何かの始まりと、不安の中に一筋の希望の光を見ている。ただ自分の信念を貫くだけの、55才の私がここにある。
21才の春、夢破れる55才の春、解雇宣告21才の春の 後の、長い長い鬱屈。55才の春の後、56才の春に向かう不安と使命感、そして夢を語り、夢に向かい、具体化を進める今。21才から長く続く「恥」の境地に振り回されない55才の今。努力や時間や経験の積み重ねの自己相対評価に振り回されず、「なのになんで?」とは言わず、他人や世間に動じず、落ち着いて今を見る、来月56才を向かえる私。
自分で教室をするのは、とてもやりがいを感じる。とは言え、まだ準備段階。雇われ講師なら、最終的には、雇用先が責任を持てばいい。でも、自分で開いた教室なら、最終責任は自分だ。今の私には気づかないような、困難が待っているかも知れない。私1人講師の教室なら、私自身に何かあったらどうするのか。高齢の両親、脳梗塞歴ある夫。私自身も、そう若くはない。不安を言い出したらキリが無い。それでも、今居る生徒を大事に考えたい。自身のやりがいと収入を得ることをかけあわせて、この 自宅教室を長くできるよう考えたい。何よりも、この講師業は、かけがいの無い生きがいでもある。別に自宅だけでなくても、安く会場を借りれるなら、それでもよい。来春から始める自宅教室に向け、模索は続く。
勤務先教室の夏休み1週間。まずは教室開校に向け、料金設定と、教室説明の文書作成。特に料金設定は何度も書き換え、組み直しは欠かせなかった。束になるほど、プリントし直し、1週間近くかけて、やっと納得のいくものが出来た。そして次に、そういえば、、、、と、無料予約システムの組み入れに挑戦。無知でもAIに聞けば、情報に触れられる。勤務先でも、初期の頃は導入していた記憶もある。そうはいっても、自分で作るとなると、わからない事だらけ。様々な予約システムが出てくる。言葉にも慣れず、上手くいかない事の繰り返し。上手くいきそうで上手くいかない。気づけば食事も忘れる、気づけば夜更けになっている、気づけば夜が明けた、、、、それならば違う予約システムはどうかと、試行錯誤を繰り返し、家事も投げて4日がかり。試しにやってみて飲み込めたものを、わからないなりではあるが、導入する事にした。この2週間、まるでゲームオタクかのように、狂ったようにパソコンに、スマホにと向き合う日々。やっとほぼ納得いくものが出来た。でも、これだけ手間暇かけたとて、生徒が集まるのかは、定かでない。それも覚悟の上。集まらなかったら、そこからどうするか考えるのみ。
教室開校に向け、料金設定に四苦八苦。こうでもない、ああでもない、、、何度も手直し。やったー出来たー👍👍👍👍それも束の間、やっぱりこうしたら、それならこうしたら、、、そうしてできた資料に目を通す塾講師大学生長男。ママさん達に、「 ¥200/10分 」 みたいな表現は、わかりにくいって。それだったら、「 10分あたり¥200 」とかの方 がいい。●曜日●時固定コマの、振替なしってどうなん?熱が出て休むとか、生徒事情の休みもよくあるやん?こっち都合の押し付けみたいなのもどうかと思うけど、、、出来上がった料金表も、長男と次女揃って、「ここが見にくい。意味わからん。」指摘が並ぶ。耳が痛いとは言え、どっか頼もしい我が子達。いつまでも子供と思っているが、頼もしい一面ものぞかせる。そう、、、あくまでも一面、、、やっぱ子供は子供。でも、どこか頼もしい我が子達。
自宅教室開校に向け、日常的に書いた消したやっぱり書いたを繰り返した料金設定。昨日から、パソコンに打ちこみ開始。出来上がり、何度も検算を繰り返し、改めて見直すと、、、やっぱり「ここは変えたい」ってところが出てくる。その、ひとつの変更が、広範にわたり響いてくる。だったらここもあそこも計算し直し、、、休憩を挟みながら、進めて行く。大変でも苦痛じゃない。やりたい事やってるから。現教室閉校後、ついて来てくれた生徒さんの受け皿になりたい。そして、やりがいと収入の両輪を成立させたい。扶養内収入があればいいと思うが、それすら満足にならないんだろうな、、、きっと。試行錯誤を繰り返し、進めて行く。
講師をする分野の教室は、週2回50分お稽古で月¥7000 週3回で¥9000のような料金設定。来年度より検討している自宅教室は、進度・お稽古時間・お稽古回数、単発お稽古予約頻度によって、細々料金算定。決められた時間的量さえこなせば、自由設定できる。その料金体型を、ずっと何度も書き換え、考え続けてきた。その他、教室方針も、おおかた決まりつつある。昨日今日と、2日がかりで、料金体型その他を仕上げ、内容をパソコンに打ち込みプリント。大して付き合いもせず、引きこもりかとぼやきたい日常だが、だからこそ、この自宅教室詳細を細々と検討を繰り返し、何度も書き換え、やっと幾らか納得できる内容を仕上げる事が出来た。引きこもりも悪くない。コミュ障だからこそ、生まれた余裕。きっと、教室を開校したら、いろいろ不具合を感じる事だろう。だけど、自分でひとつずつ決めていくのは、やりがいあることだ。
来年春から、独立する。あくまでも、自分ができる範囲。今ある環境で始めるのが基本。だけど、いろいろ検討するにつれ、欲も出る。●万円かけて、あれ買ったら、、、●万円かけて、この会員になったら、、、生徒中心に考えるほど、集客を意識すればするほど、基本としたいところから、ずれて行く。費用をかけず、少しずつ見極めながら、自身の状況も考えつつ、教室の規模を検討したい。最初につけた線は、重要だ。後から変えるのは、手間暇を要する。いっその事、扶養範囲なんて考えず思いっきりやりたい。でも、高齢の両親の今後を考えると、果たしてどこまで自由が効くのか、、、きっと、慎重を基本とすれば、慎重なりの未来。堅実の反面、どこまでも小規模運営だろう。どこかで不満も湧くはずだ。思いきり扶養範囲なんか考えずにすれば、両極の未来なんじゃないだろうか。下積みを経て、当たれば、活躍し大儲けの未来。外れれば、かけた経費を回収出来ないか、それに見合った儲けを生まないか、、、不透明な未来まで考えると、身動き取れない。慎重であるのが、果たしてどこまでいいのか。思いっきりやって、規模が大きくなる未来に、自分の自由がなくなって、教室に関われなくなったら、、、その時は、人を雇うとか。雇用される側は、最終責任は無い。辞めたらそれまで。その後の事は雇用主が対応する。だけど、個人事業主は、そうはいかない。自問自答は続く、、、
解雇通告から4ヶ月自宅教室開設に向け奮闘中ばね指の手術もその一貫。聞き手だから、生活への影響もあった。大変とは言いつつも 、そこまで支障なく過ごす事はできた。来年春からはじめる自宅教室。普通は月いくらみたいな月謝設定も、かなり細かく設定するのは、結構オリジナリティーあるところ。如何に生徒をその気にさせるかと考えるにあたり、月謝設定を通して保護者のより高い意識を促す事で、生徒のお稽古環境を高める狙いもある。自宅教室開設とは思っても、家族の事情や周辺への配慮を考えると、自宅以外の会場も検討しておきたい。自宅が中心だが、一部外部会場も利用とかのパターンもあるだろう。将来的に自宅外会場が中心になる日もあるかも知れない。能動的に関われるのは、とてもやりがいあるところ。
3月末解雇宣告をした雇用主。5月に面談、6月に教室閉校のお知らせという段取りでと言う話だった。結局5月面談なし6月閉校お知らせなし6月はじめ、こちらから、解雇や教室閉校について文書回答求めるも、未だ回答なし。給与は、しっかりいただいている。ただ、曖昧でいけ ないものはいけない。だけどお金欲しさに大人しく言われるがまま、なされるがままでもいいのかもしれない。でも、お金を優先にできない事もある。私の指導を受け、時に涙しつつも辞めずに通い続ける、私の可愛い生徒達。厳しさにも時に涙しつつ、ついてきた生徒達。守りたいものがある。そこはお金ではない。閉校の後、私の元で指導を受け続ける訳ではなくとも、せめて、彼等親子みなさんの、最善の選択が成されたものであって欲しい。そこは、お金じゃない
1年後の解雇通告から3ヶ月。解雇後の教室開設に向け情報収集、そして日常の放置してきた事に向き合い、来春のスタートを見据えて今を過ごしている。昨年春、左手ばね指の手術そして今回右手ばね指手術気がかりは、ひとつひとつ解消していく。
10数年来、降圧剤を飲んでいる。高血圧、緑内障、糖尿病、、、、、年齢を重ね、体もガタが来る。通院は欠かさない。今度は、ばね指。現在、術後10日を過ぎた。昨日、半分抜糸。明日、残り2糸抜糸。このばね指でお世話になっている病院は、車で10数分。ただ、旦那が通勤で使う車1台をやりくりする我が家。夕方仕事の私には、車の段取りが難しい。普段から、日常の運動はしない代わりに車や自転車に頼らないよう、心がけて、不便を置いている。壊れた自転車は、放置。車がなければ、歩いて目的地へ向かう。やっぱり出かける用事は、車の都合に合わせてしまう。だからこそ、このばね指治療のための通院は、術後1週間は、日曜以外は毎日通院となり、片道徒歩1時間余りを、自身に課す機会になった。4回、徒歩通院した。明日・明後日と、またまた徒歩通院。ただ、1週間に4回も徒歩通院したにも関わらず、血圧の数値は、思ったほど下がらない。上120代 下80代ここ1〜2ヶ月、上110代 下80以下が、出なくなっている。病院での測定も、以前は上110前後 下70前後の、いつも低い数値だったが、今は、上130代 下80後半と、血圧が下がりにくい体になっているのが気がかりだ。前なら、お出かけしたらしっかり下がっていたのに、今は、こんなに歩いたのに思ったほど下がらない。健康が徐々に脅かされている。少しの配慮しかしていなかった食生活も、さらに改善必要か。
次女のはしゃぎ声がする。見ると、オンラインで繋いでゲーム。傍のスマホからも騒がしい声。大学の友達かと思えば、LINE通話相手は、家から2時間の地に住む長女。うちに居る時も変わらぬ、きょうだいの姿。お年頃の娘2人、素敵な殿方なんて目もくれず、ゲームに興ずる我が娘達。いつまで経っても変わらぬ姿に、少々戸惑いつつ、でも、変わらぬきょうだいの姿が微笑ましい。ささやかな幸せ。
呆然とする21才の私。正しい道から外れた落ちこぼれ・・・・・・落ちこぼれを帳消しにする何かが欲しかった。よくわからない “ 何か ” を求めて生きてきた、この30年余り。解雇通告が、その何かに近づく、はじめの一歩だったりするのかな、、、、、
雇われて働くのは、ひょっとして自分には合わないのか。どこにいても、たたかれてきた。コミュ障が、よりそれを加速させる。今の講師業は、雇われてはいるが、事実上1人仕事。だからそこまで、たたかれるシチュエーションはない。「 正しけりゃ、何でもいいんじゃない! 」と先輩格数人に囲まれた20代のある日。「 この子は、商売さしたったらいいんや 」当時職場の役職が、何気に言った言葉。忘れていたけど、その真実が見え隠れしてきた、ここ最近。より良くと思う気持ちは、疎まれ、攻撃の対象だった。確かに、協調性には欠けていたかも知れない。だけど1人仕事には、攻撃されるシチュエーションは生まれない。個人事業は、もしかして、私には相性抜群なんじゃないか。自宅教室開講に向け、動き出したここ最近は、とても清々しく、充実感半端ない。不安より充実の方が勝る。絶対いずれ、上手くいかない現実とも向き合わなくちゃいけない日々があるとは、心得つつ、、、、