今はノンビリ更新のブログ
子どもが不登校になったとき。
全方向に問題意識を感じていたので
すごい勢いで更新していました。
自分を責めるだけでなく
他者や環境に対する怒りもあったから
その時期
常にやさぐれていましたね。。
あのときがあったから
今、穏やかな気持ちを
感じることが出来る私でいられる。
そう思っています
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不登校を受け入れるなんて無理だと思ってやさぐれてた![えー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/011.png)
【不登校を受け入れる】って
どういうことなのかわからなくて
『そんなの出来るわけないでしょ』
『なんで受け入れなくちゃいけないの?』
『そもそも受け入れるって何?』
カウンセラーと話したり
本を読んだりしたけど
どれも正論ばかり。。
正論ばかりと感じたのは
私が答えを探していたからだと
思うけど
今、わかるのは答えを探す前に
『なんで自分は受け入れられないんだろう』
と受け入れられない自分の気持ちを
知ること、認めることだった
ただ、これって
誰かに言われるとすごく抵抗があって
『はぁ!?』
と本当は言いたかったけど、言わずに
『そういうことなんですね。
わかりました。やってみます』
なんて言っていた
今、思う【不登校を受け入れる】
今、私が思うのは
不登校を受け入れることって
不登校を肯定的に見ることや
楽観的に見ることでもなく
法律で権利が認められていることを
知ることでもなく
ただ、目の前の我が子を見て
『うん、行けないんだな』
と理由や原因を探ることなく
今の状態をそのまま
『うん、そういうことか』
と受け止める。
ということなんじゃないかなと思う。
そのときの私は子どもの気持ちや
不登校という出来事に対しての
理解など出来てなかったかもしれない。
ただ、自分が
『不登校を受け入れてない』
ということを認めたときに
『不登校を受け入れる』
のような対応が出来たように思う。
それが出来るようになったとき
これが【無】というものかも。。
そんなふうに思ったりしました
そこから、、
子どもはどんどん
元気になっていきました
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