オーストリアのプロジェクトはstage1が終わり、次の段階の購入仕様書を英語で纏める業務。当然自分も存主要メンバーになると疑わなかった。約10年環境技術開発を担当、技術の内容
を一番熟知している自負。ところがある日上司に呼ばれた。沖縄の石川市発電所に転勤辞令が予定。青天の霹靂である。何も失敗はしていない。むしろこのプロジェクトの発掘した功労者
ではないか。サラリーマンは辛い。上司の命令は従わなければ。上司曰く。昇進の時期に来た。同じ場所での昇進は人事の禁忌。仕事は東京工業大学での部下に引き継ぎに十分なほどの
移転は出来ているので、大丈夫ではあるが。上司曰く、このプロジェクトの貢献度は認めているので、転勤先を沖縄から横浜の発電所に変更することは可能であるがどちらを選ぶかと。
もちろん実家が近い横浜を選んだ。ほとんど二人で業務をしてきたが、時代階に進むと、なんと
人数が10人に増えていた。会社も本気になりこのプロジェクトの意義を見出した。
会社のリクルート冊子にも掲載。最初は不可能と思われた話が見事に花が咲き、日本の環境技術の高さが欧州に浸透した。当時、日本の環境技術は評判になったが、このプロジェクトが広告
塔になり欧州の企業との日本の重工業がライセンス契約を結び、欧州に日本緒技術が賞賛された。オペラハウスのロイヤルボックスの接待は絵に描いた餅となった。当時のアメリカは
環境技術には消極的であったが、学会では積極的議論が活発で論文発表は米国環境庁主催のシンポジウムにも招待された、最近この時のプロシーディング(前刷論文集)が出て来た。
5年の最初の工期は両者の良好な関係で、半分の2年半の超特急で完成になった。オーストリアからは人件費が期間の短縮で半分になったから低減すべきとの提案があったが、上司が日本には
新幹線がある。超特急である。この超特急料金は別料金で高い。むしろオーストリアは工期を半分にした超特急料金を支払うべきではないか。・・・笑いでこの議論は終わった。
次はドイツでの大セミナーの開催に3000人も参加者が来たを。
de 非宇宙人