この話は1980年の前半の話である。
日本は大気は汚れ、ぜんそくが社会問題となり、水質は汚れ東京湾は悪臭が漂い、変形した魚が
取れた。高度成長時代の「影」の部分である。この原因は「固定発生源」として発電所、製鉄所、一般工場である。また「移動発生源」も無視できない。自動車(特に大型トラック)で
ある。問題が発生してもその原因が解明されるまで、汚染物質の輩出規制は行われずに「ずれ」があった。一旦規制が開始されると厳しい措置が課せられ、企業は持続運営が出来なく
なる事態に面した。直ぐに規制を緩和するわけでなく、年単位で排出基準は厳しくなる。その間に汚染物質を除去または低減する技術開発が求められた。
曽根綾子は「複合汚染」の造語を世に出した。汚染の原因は単純でなく、複雑な化学反応をして、光化学スモッグ、酸性雨などが生成される。このため、硫黄酸化物だけ除去しても公害は
無くならない。窒素酸化物の提言を合わせて技術開発しなければならない。この規制をクリアーする技術は世界にない。教科書にもない。新規に開発しなければならない。
窒素酸化物は燃料中に含まれる窒素が燃焼の過程で生成される窒素酸化物と空気中に約70%ある窒素が高温で燃焼により生成される窒素酸化物の二つの過程があるが同じ物質である。
この低減技術は「触媒」と「燃焼改善」の二つの組み合わせに焦点を当てて開発に取り組んだ。触媒は硫黄酸化物により性能が落ちるので、長寿命の触媒開発を実ガスを用いて開発を行った。
形状や成分を何回となく変更して開発は成功した。燃焼改善は低減技術の原理を解明するのに悩まされたが、「無触媒脱硝」の仮説を提案した結果、この難関を突破した。
この開発は会社を背負った使命感が大きかった。米国の論文を読み漁り技術開発の打開を図った。大手の企業は一度動き出すと開発の速度は速いが、結果が出ないと発想に乏しく、
斬新なアイディアがでない。実験結果を見るたびに、これが日本技術のトップを行く大企業家と思うほど結果が出なかった。当時の大学は企業の研究所が予算もあり先行しており、
比較にならないほどレベルが低く、相手にならなかった。東工大だけは別であったが。
約十年の歳月で、満足いく技術開発が終わり、実用化に成功して、会社は持続可能となった・青の使命感は「自分がやらなければ誰がやる」と今から考える「思いあがりがある」と批判されて
も可笑しくない。しかし情熱と使命感を持って、全く新しい技術開発を成功させた「自負」を今でも持っている。
オーストリアの思い出はこの背景が大きくかかわる。
註:自慢話に聞こえるが、日本はメーカーが技術開発してくれて当然の時代に最終ユーザーが存亡を掛けての技術開発であったので、自慢話を少し許して貰いたい。
つづく
de 非宇宙人