東日本大震災は信じられない大きな津波が広範囲に襲った。
宮古のとある漁港は細長い崖に囲まれた漁港で跡形もなく損壊。
坂道を下ると、崖上の松の木に浮ボールが付着していた。高さは40メートルはある。
道路㋞傍に一人の老人が座り込み、流木に細工をしていた。
声掛けをして、何を作っているのかの聞いた。すべてを失った。仕事も、家族も
知人、社会も。絶望感ではない。喪失感・無気力感を強く感じた。何もできない、
何かする気力を少しでもと毎日流木を細工に来ていると。震災から約2か月後の
2011年5月初旬の事。被災された人心は報道しにくい。家屋の倒壊、インフラの損壊、
死傷者数を報道し易い。非常に大事。生きるにには「今」と「その後」がる。
被災された方の喪失感は体験を理解することは難しい。被災状況によって異なる。
災害を防止する完全対策などはない。自然は恵と共に人間の高慢さに仕置きをしている
と感じる。災害の防止予算と同等に復旧・復興にも想定内との英知を持ちたい。
ある論文で「復災」の文字を見た。人間の欲求を分類整理したマズローの法則をベースに
復興災害を論じている。地味な論文。
被災地を視察すると津波に襲われて居たかいないかの境界線が明らか。天国と地獄の中間
がない。ボランティの人の活動に敬意を称したい。労働力の提供、支援金・義援金、なども
涵養。心の支えもボランティアと理解する。
継続的な心の支援も大事と心がけている。かほく市に住んでいる知人はいまだ不自由な生活を強いられている。断続的に電話をかけてアナログなチャットをしている。
何も支援物質はいらない。電話は感謝とのこと。小さなボランティア、何もしないよりは支援になる。
自分の心に問いかけている。災害は忘れなくとも起こる。常時、防災意識と共助ネットワークを大事に。
de 宇宙人