篠山 紀信さん残念 | bluearrowのブログ

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ジャンルにとらわれず くっだらねー事から硬い話まで色々な事を書いてます。


年末のブログや内田 裕也さん逝去の際のブログに笑いのネタを併せて載せました、それが私の書き方。

亡くなった事は誠に残念、しかしその出来事以前の元気にやってた頃に想いを寄せたい。

今回は再掲載です。

そのアフロヘアの人はタイトルにあるあの方。

一度だけ近くに、しかし大変な失礼を、無礼を働いた若い時代の想い出を書いたものです。

あの方のご活躍を思いどうか笑ってください。


 
矢沢 永吉さんの出身母体「キャロル」が一世を風靡した'70年代前半。
何回か「サディスティックミカバンド」←これは後に日本発の世界的ミュージシャンとなる方々が参加した凄いバンドです、このライヴに行ってて。
ある日のオープニングアクトに出て来た革ジャン、革パンにリーゼントのロックンロールバンドに ある種のショックを受けて興味を持ち後に「キャロル」だと知ったのが初めての出会い。
時折テレビに出たりして、 あの時のバンドだ、売れてるなって思ってたらレコード出るし雑誌で取り上げられたりで たちまち大変な事に。
当時の日本音楽界は今みたいに多様化してなくてマスコミで取り上げられるのは歌謡曲かフォークって時代に突然現れた異色の存在。

ライヴハウスは主要な街に わずかしかない時代でキャロルも なんやら市民会館みたいな所でライヴをやるんだけど開演が夕方6時で昼の12時に売り出しのチケットを求めて早朝から並ぶ、人気爆発で そんな光景も見られたキャロル。
内田 裕也さんからキャロルがライヴ録音をするから客として行ってみないか?とお声が掛かりNOと言う筈もなく。
設備が良かったのか他に何か理由があったのか番組の中でのライヴという企画でフジテレビのスタジオでの録音。
昔のフジテレビって四ツ谷にあったのね。
駅を出ると何か それっぽいと言うか、まー当時は街中に そういうのが溢れてたんだけどキャロルのお客さんは いわゆる「ツッパリ」が主流。
ファッションは男はスカマンまたはボンタンっていう膝上が太くて膝下が詰まったパンツかドカンっていう腿から下まで同じ太さのパンツで上は開襟シャツ。
女はロンタイって←ロングのタイトスカートだよね、ピッタリした膝下まであるスカートで後ろにスリットが入って上は派手な柄に襟の付いたシャツで片手にセカンドバッグ。
それが当時のツッパリの夏の定番ファッション。
私は腰まであるロングヘアにジーンズだから一目で音楽やってそうな感じ。
なのでツッパリファッションの人にフジテレビまでの道順を聞かれる聞かれる、聞かれ まくった
( ◠‿◠ )
 内田 裕也さんはキャロルに所縁の深い方だったので頂いたチケットは関係者出入り口から入り階段状の観客席、前列の中央。
席を埋めたお客さんの多くはキャロルの客筋とは明らかに違う、なーんか可愛い感じの服装の人が多い。
今思えば動員掛けられたタレント事務所の女の子がお客さんを装ってたんじゃないかと。
ほんの一部に一般のお客さん。
テレビ映りを考慮したんだな、ツッパリがあまりに画面に入ると良くないって考えたんじゃないかと。
道を聞かれたツッパリファッションの人たちはライヴを伝え聞いて訪れ入場を試みた人たち?。
 
MCに故 今野 雄二さん。

ショーが始まるとどこからともなくアシスタントを左右に従えたカメラマンが現れて撮影開始。

今のデジタルカメラと違ってフィルムだからシャッター何回か毎に24枚を使い切る事なくアシスタントから別のカメラを受け取って、交換したカメラにはアシスタントが その場でフィルムを入れ替えるのね。
3人が ほぼ真横に並んで中央のカメラマンは座ったり寝転んだり前後左右に動き回りながら撮りまくる撮りまくる
(・・?)
アシスタントは忙しくフィルム交換してカメラチェンジのタイミングを待つ。
当時のライヴは行儀良く座ってましたよ。
どんな凄いアーティストのライヴでも必ず座ってて立ち上がってのノリって習慣がなかった。
なので後方の席ならキャロルの姿も見えるんだけど こちらは階段状の最前列だから低い位置。
撮影隊が邪魔で仕方ない。
あの人たちはファインダーの中の世界が全てだから周囲の事なんざ全くお構いなし。
しかもカメラマンはアフロヘアの出来損ないみたいな頭してて それが超邪魔。
その頭に火でも付けてやろうかと思ったぐらい。
3、4曲はガマンしてたんだけど両隣の一般入場と思しきツッパリ姉ちゃんが一斉に罵声上げ始めた。
「バカヤロー 見えねーじゃねーか」とか「邪魔なんだよ このヤロー」←昔のツッパリ女子ってこんな感じ
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
アンプから かなりの音が出てたけど狭いスタジオだから声がマイクに取られるかもとスタッフが駆け付けるけどお構いなし。
しかもド真ん中にいる私に【☆何とかしろよ光線☆】を送って来て凄いんだわ。
私も頭に来てたけど両隣の強烈な【☆何とかしろよ光線☆】に押されてカメラマンが下がって来た時にツーケー(お尻)目掛けて思いっきり前蹴り。
カメラマンは前方に すっ飛んでアシスタントが慌ててカバー。
それからは多少だけど気を使った感じがあったかな?
あまり楽しくなかった、パッとしなかった記憶あるけどライヴ終わりまして。
 
しばらくして当日のも含めた写真集が発売されて、おー あの日の写真だってな気持ちで本屋でページをバラバラと。
一冊の半分の写真がモノクロ。

影を生かして迫力ある写真が、動きある写真が目に飛び込んで、あの時のカメラマン凄いんだな、と思わず手に入れた。

ちなみに何ていうカメラマン?
と表紙を見ると そこには
 
 
 
 
 
 
photography by                         
   KISHIN SHINOYAMA
 
え?少年がツーケーを蹴ったの篠山 紀信さんだったの?
(´⊙ω⊙`)
 
 
 読んで頂きありがとうございました。
ご活躍を思い合掌致します。



2017年2月にAmebaデビューしまして人生の節目の出来事を書いたブログがあります。

写真にタッチすると飛びますのでお時間あればお立ち寄りください。


私にとって大きな出来事。幼少時代からお世話になった師匠の墓参りと亡くなった日の事、笑えるエピソードを書いてます


愛するワンコ1命を2010年に、1命を2022年に、いずれも急な事でお別れとなった記録です。


浅野 内匠頭 切腹に至る経緯から吉良邸襲撃まで赤穂浪士について力を入れて書いた5つのブログがあります。

すごく長くなりますからお時間ある際に覗いてください。


また、全く放置状態なんですが別口で特に専用器具を使わずやれる簡単筋トレブログやってます。

筋肉を付ける事で腕、足を細く見せ、お腹の贅肉を減らす効果があります。

興味ある方、是非覗いてください。

動画で わかりやすく解説してます。



 
 
  

 

 

 

 

 

 
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登録くださってる皆さん、ありがとうございます。
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写真は全てデジタルカメラと編集ソフトで用が足りる時代となりましてモノクロのフィルムは今年10月で販売が終了。
撮るアナログカメラ自体も販売終了になるそうです。
数々の製品や習慣は時代と共に消えて行きますがフィルム入れるカメラもね。
てな事で今回は写真の想い出。
^ ^
 
 
矢沢 永吉さんの出身母体「キャロル」が一世を風靡した'70年前半。
何回か「サディスティックミカバンド」(これは後に日本発の世界的ミュージシャンとなる方々が参加した凄いバンドです)のライヴに行ってて、ある日のオープニングアクトに出て来た革ジャン、革パンにリーゼントのロックンロールバンドに ある種のショックを受けて興味を持ち、後に「キャロル」だと知ったのが初めての出逢い。
時折テレビに出て来たりして、 あの時のバンドだ、売れてるなって思ってたらレコード出るし雑誌で取り上げられたりして たちまち凄い事に。
日本の音楽界は今みたいに多様化してなくてマスコミで取り上げられるのは歌謡曲かフォークって時代に突然現れた異色の存在。
ライヴハウスは主要な街に数件しかない頃でキャロルも何とか市民会館みたいな所でライヴをやるんだけど開演は夕方6時で昼の12時に売り出しのチケットを求めて早朝から並ぶ。
人気爆発で そんな光景も見られたキャロル。
 
私が師匠と呼ぶ方から、キャロルがライヴ録音をするから客として行ってみないか?と、お声がありNOと言う筈もなく。
設備が良かったのか他に何か理由があったのか番組の中でのライヴという企画でフジテレビのスタジオでの録音。
昔のフジテレビって四ツ谷にあったのね。
駅を出ると何か それっぽいと言うか、まー当時は街中に そういうのが溢れてたんだけどキャロルのお客さんは いわゆる「ツッパリ」が主流。
ファッションは男はスカマンとかドカンっていう膝上が太くて膝下が詰まったパンツか腿から下まで同じ太さのパンツで上は開襟シャツ。
女はロンタイってピッタリした膝下まであるスカートに上は派手な柄に襟の付いたシャツで片手にセカンドバッグ。
それが当時のツッパリの定番ファッション。
私は腰まであるロングヘアにジーンズだから一目で音楽やってそうな感じ。
なのでツッパリファッションの人にフジテレビまでの道順を聞かれる聞かれる、聞かれた まくった
( ◠‿◠ )
 
師匠はキャロルに所縁の深い方で私は関係者出入り口から入り階段状の観客席、前列の中央に着席。
席を埋めたお客さんはキャロルの客筋とは明らかに違う。
なーんか可愛い感じの服装の人が多い。
今思えば動員掛けられたタレント事務所の女の子がお客さんを装ってたんじゃないかと。
ほんの一部に一般のお客さん。
道を聞かれたツッパリファッションの人たちはライヴを伝え聞いて訪れ入場を試みた人たち?。
 
MCは今野 雄二さんでショーが始まるとどこからともなくアシスタントを左右に従えたカメラマンが現れて撮影開始。
今のデジタルカメラと違ってフィルムだからシャッター何回か毎に24枚を使い切る事なくアシスタントから別のカメラを受け取って、交換したカメラにはアシスタントが その場でフィルムを入れ替えるのね。
3人が ほぼ真横に並んで中央のカメラマンは座ったり寝転んだり前後左右に動き回りながら撮りまくる撮りまくる
(・・?)
アシスタントは忙しくフィルム交換してカメラチェンジのタイミングを待つ。
 
当時のライヴは行儀良く座ってました。
どんな凄いアーティストのライヴでも必ず座ってて立ち上がってのノリって習慣がなかった。
なので後方の席ならキャロルの姿も見えるんだけど こちらは階段状の前列だから低い位置。
撮影隊が邪魔で仕方ない。
あの人たちはファインダーの中の世界が全てだから周囲の事なんざ全くお構いなし。
しかもカメラマンはアフロヘアの出来損ないみたいな頭してて それが超邪魔。
その頭に火でも付けてやろうかと思ったぐらい。
3、4曲はガマンしてたんだけど両隣の一般入場と思しきツッパリ姉ちゃんが一斉に罵声上げ始めた。
「バカヤロー 見えねーじゃねーか」とか「邪魔なんだよ このヤロー」←昔のツッパリ女ってこんな感じ
Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
アンプから かなりの音が出てたけど狭いスタジオだから声がマイクに取られるかもとスタッフが駆け付けるけどお構いなし。
しかも真ん中にいる私に【☆何とかしろよ光線☆】を送って来て凄いんだわ。
私も頭に来てたけど両隣の強烈な【☆何とかしろよ光線☆】に押されてカメラマンが下がって来た時にツーケー(お尻)目掛けて思いっきり前蹴り。
カメラマンは前方に すっ飛んでアシスタントが慌ててカバー。
それからは多少だけど気を使った感じがあったかな?
あまり楽しくなかった、パッとしなかった記憶あるけどライヴ終わりまして。
 
しばらくして当日のも含めた写真集が発売されて、おー あの日の写真だ、ってな気持ちで本屋でページをバラバラと。
一冊の半分の写真がモノクロ。
影を生かして迫力ある写真が、動きある写真が目に飛び込んで、あの時のカメラマン凄いんだな、と思わず買いました。
ちなみに何ていうカメラマン?
と表紙を見ると そこには
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
photography by                            KISHIN SHINOYAMA
 
え?少年がツーケーを蹴ったの篠山 紀信だったの?
(´⊙ω⊙`)
 
 
あれから45年もの月日が流れ矢沢 永吉さんも69歳。