下積み時代 | bluearrowのブログ

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プロとしての意識がハッキリして活動を積極的に行い、走り出した十代。
大学に入ってからは籍を置きながら あるバンドと契約。
バンドったってRockじゃ食えない時代で歌謡曲のバックバンドです。
'70〜'80年の頃ってテレビで沢山 歌謡曲の番組があって そんなの出たり。
人気の人はコンサートをやってましたから付いて回りまして。
今は事業主として色んな契約を自分でして仕事を取って来ますが当時はお給料。
これは楽
(^ー^)
機材の運搬は中学生の時に作った自分の会社でやったけど、仕事は取って来てくれる。
そんな暮らしをしてた時代に ある女性アイドル(今もご活躍)のツアーに同行。
最後の3日間が東京の ちょっとしたホールでの開催となり、地方では そんなノリはなかったけど、ご本人も気分良かったんでしょう。
ある曲の間奏のところでドラム台に近付いて来て私と目を合わせてリズム取って踊る踊る。
本来がRock屋だから本心としてはアイドルと絡みたくない訳で。
それが じっと目を合わせてリズム取ってるの。
これは違うぞって思ってたら次の日には男のファンから脅迫状ですよ。
「ふざけんな」ってね。もっと激しいのが楽屋に5通ほど。
しかし そんな事は全く承知してないご当人、この日のノリが相当気持ち良かったご様子。
次の日、同じ曲で また同じ事を。
帰りは楽屋出口に何人も待ってて罵声ですよ。
違うっての。あなた逹が好きな人のアドリブなの、って言わないけど気分良くない。
やりたくない仕事で自分を押さえてって事が性に合ってない私。
それで、そのコンサートから半年ぐらいで会社辞めた。
辞めるのはいいけど、今までバンマス(バンドマスター)が仕事取ってくれてた分を自分で探さないといけない。 
バンドにいた時から色んな方面に「辞めます」って声は掛けておいたけど若干のキャリアでそんなに仕事あるもんじゃない。
ちょっとした録音が月に3か、あって5本。
ロック系バンドのサポートは数は来たけどライヴも録音も全くお金にならない。
終わって飲みに行ったら足りないぐらいのギャラ。
毎日のように色んな人にオーディション頼んで。
何とか一人で売り出そうと必死だった。
音楽に全く関係ないアルバイトしながら何とか生活を繋いでる感じ。
本業は学生だけど家にいる訳じゃないから生活が不安になったりして。
トランスポーター層兼セッティングスタッフの支払いに困った事も。
 
 
そんな時に新宿駅前で一人の男に声を掛けられた。
「私のアシスタントとして仕事を手伝ってほしいんです。あなたのような方を探してるんです。夜の仕事なんですが、すぐそこなんで来てお店を見ながら話を聞いてくれませんか?」。
まー時間あったし覗いてみるか、と。
連れて行かれたのが歌舞伎町。
昼間なので華やかさもない街並みに一際目立つ店頭はホストクラブ。
話には聞いてた「愛」がそこにあった。
男はFN(現在も多方面に登場しているのでアルファベットとします)と名乗った。
話によれば愛では ちょっとした売れっ子。
沢山のお客さんを呼ぶので指名客が重なって席を空けて他のお客さんの所にも行かないとならない。
そこで繋ぎ役の「ヘルパー」が必要だと言う。
今は若い、アイドルみたいな子が主流のホストクラブだけど、当時はかなり年齢層高かった。
売りは社交ダンス。
これ、興味あって習った事があった。
玉置トモヒロ(元ラテン世界チャンピオン)ダンススクールって所に通って、結構上達してて。
それ聞いてFは飛び上がった。
今はスタンダードと呼ぶモダンはベーシックと言う基本ステップしか出来なかったけど、ラテンはアマチュアでは上の方だったかも知れない。
ダンスホールに行って知らない人を誘って その人のキャリアに合わせて踊る事が出来た。
そんな事ならとFは日給15000円を約束した。
今度はこちらが飛び上がった。
今でも15000円って悪くないと思うけど、当時は会社辞めてから日給6000円で倉庫などでバイトしてたんだから大変な出世。
着るものはスーツ。
ひとまず何でもいいとの事で、バンド時代に作ったのがあるからと。
これにもFは仰天した。
今はオシャレなカットのブランド物が主流だけど、当時は派手な、ラメが入ったスーツや色物が主流。
歌謡曲バンドメンバーがお揃いでオーダーしたスーツとホスト時代の一部は今も捨てられずクローゼットに。
 
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それで すぐにでも来てほしいと。
Fにしたら貴重品を路上で拾った。
こちらとしてはチャンスは路上から涌き出た。
高校から系列の大学に入り受験も不要な今で言う「一芸入試」での入学。
レポートの提出で単位を取り毎日の出席の必要はなかったので始める事に。
ホスト独特のダンスもあって「ハマジル」と言って「横浜ジルバ」。これはFから直伝。
基本があったから簡単に覚えた。
難しいバリエーションも見て覚えた。
営業開始は8時。
お客さんは今みたいに多くが風俗関係ではなく一般の主婦の方がダンスを楽しみに来てた。
モテた
(≧∀≦)
一生のうちで、あれほどモテた事はない。
自分の記録は持たない主義なんで写真がないのが残念。
いえ、今と基本変わらないですよ。
筋肉もなく すごく細かったけど。
お金貰えて、タダ酒飲めて、楽しくダンスして、こんな良い事ない。
自分のお客さんがいる訳でもないので昼は好きなように使えて、本業があれば自由に休める。
これ最高のアルバイト。
 
 
FNは聞いてた「ちょっと人気」どころじゃなく店の売上を大きく左右するような、常に愛の売上上位に入る大変な人だった。
毎日20組からのお客さんを呼んで1日休む間もなくテーブルを回る。
私の他にも自身で目を掛けた若手や下町から引っ張ったベテランが5人でFをアシストする。
一緒にお客さんに着いたり、ミーティングで話すうちに すっかりFのファンになる自分があった。
Fの客を更に集めようと、あのスーツで電車の中を名刺配って回って、歌舞伎町で誰彼構わず客を引いた。
F自身も昼間の歌舞伎町で自分のレコードを売り込み、夜の仕事のお客さんの店へ「同伴出勤」し、朝からお客さんとドライブへ出掛ける。
当然、Fを指名で来店のお客さんはいつ来るかわからないから全く休めない。
正月に店が閉まる以外は全く休む事がない。
いったい いつ寝てるんだ?と不思議になる陰の働きの上にお客さんを集めてた。
 
そんな こんなで2年ぐらい働いた。
その間に余裕を持って自分本来の仕事へのアプローチをして、結構な数の仕事が来るようになってて。
ホスト業も順調な日々。
大学も卒業年に入った頃にFから「お客取って自分でやれよ」とヘルパー卒業の誘いがあった。
Fは愛から独立して「TG」(これ言うと解っちゃうから隠す)という自分の店を持つ と言う。
正直、心から悩んだ。
1週間ぐらい考えた。 
自分はプロのミュージシャンとしてドラムだけで食って行けるのか?
ホストとの兼業で卒業まで漕ぎ着けたが、これから先は大丈夫なのか?
 
結果、ここが潮時として、大学卒業と共にホストの道は捨てて音楽一本で行く事を決めた。
Fは独立を何としても成功させなくてはならない。
自分を最悪の時から救ってくれたFのために あと数ヶ月を何でもやると心した。
かなり荒っぽい事をしてきた。
自分の会社の登記簿に酒類取り扱いの項目を追加して商事会社をデッチ上げて大手筋の問屋から、あまり手に入らないブランデーやシャンパンを仕入れて現金決済しては信用を得て取引を拡大した。 
仕入れた酒は愛のライバル店に割高で買い取るように仕向けて大きな利益を上げた。
その一方でFは自分の息のかかった若手を同じ店に送り込み、新規の客を愛へ「宗旨変え」させてライバル店を たった2ヶ月で潰してしまった。
また、愛の売上上位のホスト一派を半月もの間ハワイへ招待。
出掛けている間に やって来た客の ほとんどを仲間の店へ送り込んで「TG」開店に備えた。
まだまだ数えたらキリがない程、色んな道を踏んで。
気が付けばチームFに夜の新宿で怖いものは無くなってた。
 
 
卒業と同時にFNから離れた私には自信と、何があっても負けない心が備わってた。
FNと一緒にやって良かった。
後に生楽器。とりわけドラムが衰退する時代が到来する。
コンピュータープログラム打ち込みが中心となって生のドラムを使わない音作りが流行って3年は続いた。
その間はコンビニエンスストアを経営しながら講師への道を模索。
資金はホスト時代の稼ぎから出た。
暫くして生楽器の時代は戻ってきて、一方で講師の仕事も順調に増えた。
 
そんな下積み時代を経て現在の私があります。
講演では話さない内容を皆さんへ披露。
これを書きながら、ずっと会ってない「FN」を検索すると、「TG」を後進に譲る事もなく、あっさり閉店させて悠々自適の生活の様子。
ホストデビューから40周年を終え何かとイベントもあった事がわかった。
いちど時間を調整して会いに行きたくなった。
歌舞伎町で大暴れした時代を飲みながら話したい。
    
 
あらゆる人種、あらゆる年代が行き交う新宿。
日本一の歓楽街、歌舞伎町。
この街を通る時、青春の一時期を過ごした街の匂いを感じて、ほんの少しだけど胸が締め付けられるような感触に襲われる。
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読んで頂き感謝します。


下記ブログはFの人柄を表したものです。