幼少時代 | bluearrowのブログ

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中学校卒業まで日記を書いており、その日記は二十歳の誕生日に沢山の写真と共に焼いてしまいましたが処分する前に自分の人生の節目となった部分を読み返し大切な想い出として留めました。
記憶を元に書いたAmebaデビューのブログです。
 
 
録音の日、隣のブースを覗くと珍しくグランドピアノがあった。
思わずドアを開けて近寄る。
名品Steinway&Sons。
顔馴染みの女性ジャズピアニストが持ち込んだ。
ブースの隅から「弾いてみてエエで」と関西弁で声が掛かる。
サドルに座り鍵盤に手を伸ばすと指が震えて触れない。
指の震えは手全体に。
やがて全身に及んだ。
「なんや、顔色悪なったやんか。どないしたん?」「すいません。ありがとう。これを弾くには気持ちが着いていかない」。
ブースを出て自分のドラムセットを前にすると震えは嘘のように止んだ。
 
 
 
少年は気が付けばピアノを弾いていた。
いつ始めたかのか覚えがない。
聞くところによればラジオで流れるコマーシャルのフレーズやテレビの歌番組で放送された曲を施設にあったオモチャのピアノで再現したのが始まりだった様子。
周囲の大人たちは興味を示し、面白いからとアップライトのピアノを触らせたそうで。
譜面など読めなくてもレコードで聴いた短い名曲を毎日少しづつ繋ぎ合わせて遂には1曲を完全に弾いて周囲を驚かせたらしい。
 
少年は小学生になった。
譜面を読む目と指が連動するようになりペダルの使い方も覚えて著しく発達。
同学年の女の子もピアノをやっていた。
母親は自宅でピアノ教室を開業。
だから毎日がレッスン日。
しかし少年は資金力がなく全てが自己流。
時折、音楽室で弾く彼女の音に憧れた。
彼女の母は少年の周囲に習いに来ないかと持ち掛けた。
どんな流れがあったのか知らぬが彼女の家を訪れレッスンを受る事になる。
初めて見る大きな家。
初めて履いたスリッパ。
初めて歩く絨毯。
初めて触るグランドピアノ。
そしてレッスンが終われば初めて飲む紅茶。
甘いお菓子。
通う度に腕も指も痛んだがピアノの楽しさに執り憑かれる。
 
 
少年は2年生間近に施設を出て里親の元で生活を始めた。
自分に似合わない広い庭と2階建ての邸。
楽器も買い与えてくれ家の人が車でレッスンに送迎してくれた。
上達は早く沢山のコンテストに出て上位を狙うまでになる。
だが更に上には いつも彼女がいた。
どうしても勝てない。
それが悔しかった。
 
ある大きなコンテスト。
少年は3位に選ばれ あまりの嬉しさに涙を流した。
2位に九州の女の子。
そして優勝は彼女だった。
嬉しい筈の涙は悔し涙と変わった。
まだ勝てない。
 
3年生になり学校を休みがちになる彼女。
レッスンに行っても姿を見せない事が続く。
ある日、病だと聞かされた。
家を離れ入院する彼女。
暫くして見舞いに行く。
川の縁に咲いている小さな雑草を束ね輪ゴムで留めて花束とした。
部屋に入り久しぶりに見る彼女は目が大きくなったな、と思う。
実は痩せて顔が小さくなっている事に気付く。
少年は「また一緒にコンテストに出ようね」と呟く。
彼女は「私が出なかったら一番取れるよ」と返した。
その言葉に激高し声を荒げ泣き叫ぶ少年。
看護師と医師が駆けつけ引き離され泣きながら帰った。
 
残念ながら長くはなかった彼女の生涯。
6月のある日、周囲が急に慌ただしくなる。
何か嫌なものを感じたんだろう。
学校帰りに遠回りして彼女の家に立ち寄ろうかと考える。
家の前の公園から様子を伺う。
見慣れた筈の彼女の家は違う雰囲気に包まれ大人たちが沢山集まり忙しく動き回っていた。
そのうちピアノ教師の母親に見付かる。
「お話があるから入ってちょうだい」と言われるが頑なに断る。
手招きされ彼女の父親も出て来た。
「ごめんなさい…」と、その言葉に悲しい現実を知った。  
「嫌だ嫌だ」と叫んで父親の腹を力いっぱい殴り続ける少年。
抱きすくめられ肩を抱かれ室内へ。
ピアノを背に椅子に座り微笑む彼女の写真は黒い額に入れられていた。
横には少年が持参した雑草がドライフラワーとなって括り付けられていた。
言われるままに線香に火を点け手を合わせる。
 
翌日、彼女の同級生が見送る中を、お城のような装飾の大きな車が走り出た。
少年は家に帰り「ごめんなさい。今日でピアノはやめます」と告げ朝まで、外が明るくなるまで彼女が好きだったショパンやムソルグスキー、ドビッシー、テレマン、モーツァルトを弾き続けた。
 
ピアノの前に倒れ少し寝た。
目を覚ますと覚悟を決めて出掛ける。
建設中の中央高速道路橋脚工事現場。
空高くそびえ立つコンクリートの柱。
誰も来ない場所を探して思いっきり拳をぶつける。
関節を傷めるとピアノを弾けなくなる、と聞いて大切にしていた。
その関節を徹底的に使えないようにするために殴り続ける。
皮膚は裂けて鮮血が散ったが痛みは覚えない。
腫れ上がり倍にもなった手を満足げに見詰めてポケットに隠し公園まで歩く。
血を流して一人ブランコに乗っているところを自転車で警ら中の警察官に発見され保護された。
警察署に迎えに来た里親は怒る事はなかった。
 
何日かが過ぎ「何か楽器をやったら?」と言われ「音程のない楽器をやりたいです」と告げ、更に何日か経った日に「テレビで見たグループサウンズのドラムをやりたいんです」と応えていた。
 
数日後、学校から帰るとピアノが撤収された部屋にドラムセットが届いていた。
少年は毎日数時間をオーディオとドラムセットの間を往復し一人で操り方を学習。
暫くして高名なギタリストが訪れ、またジャズサックスの名人が訪れ、日本Rock界の大物と言われる方が訪れてテレビで共演した。
小学校を卒業する頃には数少ないライヴハウスにも出られるだけの腕を持って当時テレビで人気の多くのグループと共に活躍。
 
 
少年は生まれて間もなく孤児となっており親の顔を知らない。
義務教育を終えるまでに一端に稼げる者になっている必要があった。
少年は必死だった。
 
 
 
今もピアノの前に立つと震える事がある。
関節のキズの一部は消えず今も残る。
が、手を傷めたからとピアノを弾けなくなる事はなく、手を大切にしろ、という戒め。
今なら練習すればやれるであろう。
あの子、小児ガン(白血病)だったと後に知った。
現在なら治せたのかも知れない。
あの時の写真は今でも脳裡に刻み込まれ消える事はない。
 
 
幼少時代の想い出、書きました。
読んでくれてありがとう。