業を変えるー№073 最低の人とは | 私の居場所と今日一日。aakaoru333のブログ。

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私の人生は死ぬまでのひまつぶし、とかってのブログに書きました。その後に私が見つけた日常の記録です。感情障害や無呼吸症候群、脳脊髄液減少症、アルコール依存症他の病を患っていますが、ブログで健康とヘルスケアを整えたいですね。

 
 

私の人生ひまつぶしです。

毎日ブログで仲間のみんなと日課の読み合わせています。

 

  
 
 
 

 
 
073最低の人とは

 

行動・言葉・思考によって、ネガティブなことを言ったり考えたりする悪しき業を積みながら、「これが他人にバレないようにごまかそう」と隠そうとする人こそが、最低の人と呼ばれるにふさわしい。

 

たとえば、心では「早く帰りたいなあ、この人の話はつまんないなあ」とイライラ考えて怒りの業を積みながら、表面では笑顔を浮かべて、「あなたの話はウィットに富んでいて、おもしろく聴かせていただきました」なんてごまかすとしたら、内面とうわべの矛盾ゆえに、君の中のストレスが溜まる。

 

そうやって、君はだんだん最低の人になってしまう。

法句経

127

127 そらにありても、うみなかにありても、山閒さんかんくつりても、罪業ざいごふよりのがるべき、方所はうしよとてはあるなし。

 

教えてグーグル先生

 
073最低の人とは

 

行動・言葉・思考によって、ネガティブなことを言ったり考えたりする悪しき業を積みながら、「これが他人にバレないようにごまかそう」と隠そうとする人こそが、最低の人と呼ばれるにふさわしい。

 

行動や言葉、思考によってネガティブなことを言ったり考えたりする悪しき業を積みながら、それを他人に隠そうとする姿は、信頼や誠実さを欠いていると感じられることがあります。自らの言動に責任を持ち、真摯な態度で向き合うことが大切です。 


 他人に対して隠そうとする行為は、自己責任や誠実さを欠いた行動と捉えられることがあります。自らの行動や考え方に正直であり、他人に対しても真摯な態度で接することが、信頼を築く上で重要です。自分自身と向き合い、誠実な姿勢を貫くことで、自己成長や良好な人間関係を築いていくことができるでしょう。


 自分自身や他人に対して正直であり、誠実な態度を貫くことで、自己成長や健全な関係を築いていくことが大切です。自らの行動に責任を持ち、他人に対しても真摯な態度で接することが、人間関係を築く上で重要です。誠実さや真実に基づいたコミュニケーションを大切にし、信頼を築いていくことが重要です。


 自分自身の言動や考え方に正直であり、他人に対しても真摯な態度で接することが、良好な人間関係を築く上で不可欠です。誠実さや信頼を大切にし、自己成長と真のつながりを築いていくことが重要です。正直で誠実な姿勢を貫き、自分自身と向き合いながら成長していってください。自己成長と良好な人間関係を築くために、誠実な態度を大切にしていきましょう。

 

たとえば、心では「早く帰りたいなあ、この人の話はつまんないなあ」とイライラ考えて怒りの業を積みながら、表面では笑顔を浮かべて、「あなたの話はウィットに富んでいて、おもしろく聴かせていただきました」なんてごまかすとしたら、内面とうわべの矛盾ゆえに、君の中のストレスが溜まる。

 

確かに、内面と表面の矛盾がストレスを引き起こすことがあります。心の中でイライラや怒りを感じながら、表面上は笑顔を作ってごまかすことは、自分自身にとってもストレスとなります。内面と外面の矛盾が続くと、自分自身が本当の気持ちを抑え込み、自己表現やコミュニケーションの困難を招くかもしれません。 


 自分自身と誠実に向き合い、本音と建前のバランスを取ることが大切です。自分の感情や考えを率直に表現し、他人や自分自身に対して誠実な態度を保つことで、心のストレスを軽減することができるかもしれません。自分自身を偽らずに表現し、自己表現の自由と誠実さを大切にすることで、内面と外面の調和を図ることができるでしょう。


 自分自身と向き合い、本音と建前の矛盾を解消することで、心のストレスを軽減し、より健全なコミュニケーションや人間関係を築いていくことができます。自分の感情や考えを率直に表現し、誠実な態度で接することで、内面と外面の矛盾を解消し、心の安定を取り戻すことができるでしょう。自分自身に正直であり、誠実な態度を貫くことで、心のストレスを軽減し、自己成長と誠実な関係を築いていくことが大切です。 


 内面と外面の矛盾がストレスを引き起こすことを理解し、自分自身と向き合いながら、誠実なコミュニケーションや自己表現を大切にしていきましょう。自分の感情や考えを率直に表現し、建前やごまかしをせずに、誠実な態度で接することで、心のバランスを整えていくことが重要です。内面と外面の調和を図りながら、自分自身を受け入れていくことで、心のストレスを軽減し、健全な関係を築いていくことができるでしょう。

 

そうやって、君はだんだん最低の人になってしまう。

 

心の内面と外面の矛盾が続くことで、自己や他者との関係に悪影響を及ぼす可能性があります。誠実さや一貫性を大切にすることは、自己成長や健全な人間関係を築く上で重要な要素です。自分自身と向き合い、本音と建前の一致を図ることで、内面と外面の調和を取り戻すことが大切です。 


 自己と向き合いながら、誠実で真摯な態度を貫くことで、心のストレスや矛盾を解消し、健全な自己肯定感を築いていくことが重要です。自分自身を偽らずに表現し、誠実なコミュニケーションを通じて、心の安定と成長を促すことができるでしょう。自分自身を大切にし、真の自己表現と誠実な関係を築いていくことで、最低の人としてではなく、誠実で成長する人への道を歩んでいけるかもしれません。


 自分自身との一貫性や誠実さを大切にし、内面と外面の調和を図ることで、自己成長と豊かな人間関係を築いていくことが重要です。心の内面と外面の一致を目指し、真摯な態度で自己表現を行うことで、内なる自分との調和を取り戻していくことが大切です。自己と他者に対して誠実であり、一貫性を持った態度を貫くことで、自分自身と周囲との関係を健全に保つことができるでしょう。自分自身を大切にし、誠実な姿勢で向き合うことで、内面と外面の調和を取り戻し、健全な自己肯定感を築いていくことが重要です。

 

法句経

127

127 そらにありても、うみなかにありても、山閒さんかんくつりても、罪業ざいごふよりのがるべき、方所はうしよとてはあるなし。

 


法句経の127番にあたるこの一節は、空の中にあっても、海の中にあっても、山の窟に入っていても、人は世間の罪業から解放されるべき場所はどこにもないと教えています。この教えは、物理的な場所や状況が人の罪業から解放するのではなく、心のあり方や行いが重要であることを示唆しています。


 人はどんな環境や立場にあっても、自らの心を清らかにし、慈悲深い行いをすることで、罪業から解放されることができるという教えが込められています。場所や状況が人の内面や行為に影響を与えることはあるかもしれませんが、本質的には自らの心の在り方が重要であり、慈悲と愛情をもって他者と接し、善行を積み重ねることが真の解放への道であるとされています。 


 この教えは、外部の環境や状況に左右されず、内なる心の在り方を大切にし、慈悲と善行を実践することが真の解放を得る道であることを教えています。自らの内面を清らかにし、他者への思いやりと慈悲を持ち、善行を積み重ねることで、罪業から解放される道が開かれるとされています。内面の向上と慈悲深い行いを通じて、自らを解放し、他者とのつながりを築くことが重要であると示唆されています。

 

メモ

 

「渇愛」とは、仏教の教えにおいて使われる言葉で、欲望や執着のことを指します。人々は物質的なものや感情的な経験など、さまざまな対象に対して欲望を抱く傾向があります。この欲望が強くなり、執着心が生じると、私たちはその対象を追い求めたり、獲得しようとしたりします。 

 

 しかし、仏教では、渇愛が私たちを苦しめる原因であり、執着心が生み出す苦悩や不安の根源であるとされています。渇愛は、私たちが満たされることなく欲望に追い立てられる状態であり、この欲望の追求によって心の平穏や真の幸福を得ることはできないとされています。 

 

 仏教の教えでは、渇愛から解放されるために、欲望や執着に対する洞察力や智慧を培うことが重要視されています。渇愛を抑え、心の平穏と真の幸福を追求するためには、欲望や執着に囚われず、無私の心や他者への思いやりを持つことが大切とされています。 

  

法句経

 

 

「法句経」とは、仏教の経典の一つであり、日本では「ダンマパダ」とも呼ばれています。この経典は、仏教の教えを短い詩節の形で伝えるもので、韻文のみからなります。その名前の意味は、「真理・法の言葉」という意味であり、仏教の教えを簡潔かつ深い言葉で表現しています。

 

「法句経」は、倫理や道徳、人間の心のあり方に関する教えが含まれており、修行や自己啓発に役立つ知恵を提供しています。また、この経典は仏教の教えを理解し、実践するための指針としても重要な役割を果たしています。

 

「法句経」には複数の章があり、それぞれの章にはさまざまな法句が含まれています。これらの法句は、短い言葉で深い教えを伝えるため、多くの人々に愛読されています。

  

 

「経集部大正蔵」という用語は、大正新脩大蔵経において、顕教仏典をまとめた領域を指す用語のようです。経集部は、先行する8つの部には分類されない残りの仏典を含む部分であり、「薬師経」「弥勒経」「維摩経」「金光明経」「楞伽経」「解深密経」などが含まれているようです。

 

大正新脩大蔵経は、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)までの10年間にかけて編纂された日本の大蔵経であり、多くの仏典や経典が収録されています。

詳細な情報や内容については、大正新脩大蔵経や経集部に関する文献や資料を参照することで詳細な理解を深めることができます。

 

 

 相応部

 

 

「相応部」とは、仏教の教えの一つであり、修行者が自身の能力や状態に応じて適切な教えを受けることを指します。修行者の理解力や受け入れる能力に応じて、教えを適切に受け取ることが重要とされています。

 

「相応部経典」とは、相応部に関連する経典のことを指します。具体的には、『相応部』や『相応部経』といった経典が該当します。これらの経典には、相応部の教えや原則が詳細に説かれています。

 

相応部経典は、仏教の教えの一部として、修行者が自己の能力や理解力に応じて教えを受けることの重要性を強調しています。修行者が自身の進歩に合わせて段階的に教えを受けることで、より効果的な修行や理解を進めることができるとされています。

 

相応部経典は、主に大乗仏教や上座部仏教の教えの中で見られます。それぞれの宗派や伝統によって、異なる経典が相応部の教えを含んでいる場合があります。

 

相応部経典には、修行者が自己の能力や理解力に応じて教えを受けることの重要性や、段階的な修行の進め方に関する内容が含まれています。以下に一般的な相応部経典の内容の一部を例示しますが、具体的な内容は仏教の教派や宗派によって異なる場合があります。

 

1. 相応部の教え: 相応部経典では、修行者が自己の能力に応じて適切な教えを受けることの重要性が説かれます。修行者は自身の理解力や受け入れる能力に応じて、段階的に教えを進めることで、より効果的な修行を行うことができるとされています。

 

2. 修行の段階: 相応部経典では、修行の段階について詳細に説かれることがあります。修行者は初心者から段階的に進み、様々な教えや実践を通じて成長していく過程が示されます。各段階ごとに、修行者が取り組むべき内容や実践方法が指導されることがあります。

 

3. 修行の指針: 相応部経典では、修行者が自己の能力に応じて適切な修行の指針を受けることが強調されます。修行者は個々の能力や状態に合わせて、仏教の教えや実践方法を適切に選択し、自己の成長や解脱に向けて進むことが求められます。

 

4. 心の修行: 相応部経典では、心の修行に関する教えも含まれることがあります。修行者は自己の心を観察し、悪い習慣や執着から解放されるための方法や実践を学ぶことができます。心の修行は仏教の教えの中で重要な要素であり、相応部経典でもその重要性が説かれることがあります。

 

これらは一般的な相応部経典の内容の一部です。ただし、具体的な内容は仏教の教派や宗派によって異なる場合があります。特定の宗派や伝統の経典を参照することで、より詳細な内容を知ることができます。

 

 

ブッダの教えは、苦しみから解放されるための方法や真理を教えるものです。彼の教えは多岐にわたりますが、中心となる教えは以下のようなものがあります。

 

1. 四諦(しとう):苦諦(くたい)・集諦(しゅうたい)・滅諦(めったい)・道諦(どうたい)の四つの真理を説き、人間の苦しみの原因と解決方法を示しました。

 

2. 八正道(はっしょうどう):正見・正思考・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つの道徳的な行い方を教え、悟りへの道を示しました。

 

3. 三帰依(さんきえ):仏(ぶつ)・法(ほう)・僧(そう)の三つの宝に帰依することを教え、これらを信じることで苦しみからの解放が可能となると説きました。

 

ブッダの教えは、人々が苦しみから解放され、幸福な人生を送るための指針となるものです。彼の教えは個人の内面の変革や他者への思いやりを重視し、平和と調和を追求することを目指しています。詳細な解説や理解には、専門の書籍や資料を参照することをおすすめします。