私はお昼に飲まないで生きる人の集まりに行って来ました。
今日は夜勤なので出勤まではコーヒー店で自分の時間を過ごします。
「自分を見つめなおす」ことは、かって
私がいつもどんなふうだったのか、そして何が起こって、いまどうなっているのか、おおよそのところをはっきりさせる、
ことなのですが、私の場合は何故アルコホーリクになってしまったのかは、既におおよそのところをはっきりさせています。
「私は私のことが大嫌いになった」
のです。
しかし、こんな振り返りでは、また同じこと、同じ行動を繰り返し、違った結果を求めます。正に狂気です。
私はここで出会った先行く仲間から、妄想はせず、祈りと黙想して、実際に起こってしまった出来事や問題行動を具体的に精査するように教えていただきました。
過去の振り返りにより、今の出来事を過去の失敗経験と照らして考えます。
飲まない生き方になってからは、他の人に聞くことたずねることをはじめました。
しかし、本当に困った問題や出来事は、
他の人に聞くことたずねることが出来ません。そんな時にこそ、まずはひとりで祈りと黙想する習慣が出来ました。
私はここにつながるまでの飲酒経験、回復のプログラムの実践の経験と自分なりの解釈、そして飲まない生き方が自分にとってどういう意味を持っているかを話します。
「あなたはこわがりで、プライドが高く、ナルシスト。さびしくて、さびしくて、このままでは生きてはいけませんよ」と、
かっての私は主治医に諭されました。
「私はひとりで生きている」
そのことが耐えられなくなって、
かっての私は、お酒に溺れて、沈んでしまったのでした。