想い出の歌 | と記ど記に記

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このブログは2011年8月までは
亡くなった主人のブログでした。
寅さんのプロフィール写真と
アアイアウというハンドルネームは
そのまま引き継ぎ、2011年からは妻のアアイアウが
引き継いで投稿して居ります。

前回の記事で,MRIを撮った事を書きましたが、

一週間後、問題が無い事が分かりほっとしました。

 

痛みは薄れて来ましたが、まだ痛みはあります。

でも、年齢的に 咳も含めこんなものだろうと思いました。

皆様からのコメント、有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて書く事が無いと思って居たら、

今朝の「NHK あさイチ」で「自分の応援ソング」を

取り上げて居ました。

 

想い出に残る歌は沢山ありますが、何故か浮かんだ歌は

水前寺清子の「いっぽんどっこの歌」でした。

 

結婚前の私の気持に入り込んで来る歌詞でした。

 

ぼろは着てても心の錦~♪」 す~っと入って来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時としては高給取りだった父がいきなり仕事を辞めて

我が家は思いがけず貧乏になってしまいました。

 

私が20歳、末の妹は10歳でした。

時が経つにつれて、妹達の方が何杯も辛かっただろうと

分かる様になりましたが、当時は私も精一杯でした。

 

その中に、「お洒落が出来ない・・・」という気持ちも

ありました。 

 

素敵なお洒落をして居る人が眼に入る度、

「ぼろは着てても こころの錦~」と 呟いて居ました。

続きの歌詞は 余覚えて居ません。この最初だけ・・・。

ぼろを着て居たのでは無いのに、不満だったのでしょう。

しゃんとして居たい・・・そう思いたかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和40年代に入って既製服もお店に出回り始めましたが、

まだ、洋服は仕立てに頼んだり、自分で作ることも

多かった時代でした。

 

私も簡単なデザインで好きな布地で作って着て居ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時、主人と出会いました。

当時の私は、実家がお金持ちの人とは結婚したくない・・・

と云う想いがあり、あまり服を持って居なかったのか、

あまりお洒落で無かったのか、ズボンの膝がテカテカの物を

履いて居た姿に好感と安心感を持ちました。

 

主人の良さは沢山ありましたが、その事も「この人となら

気楽に安心して暮らせると・・・。」と思えました。

でも、お洒落で無い様に見えても、素敵でした。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に 私も、地味でやぼったく見えて居たであろう事を

訊いて見たら、「君らしい服装をしていたよ・・・」と

思いがけない事を言って呉れ、それは嬉しかった事でした。

 

出会った時が真冬だったので、お洒落な人はブーツを

履いて居ましたが、私は白い長靴でした。

その事も主人は良かったと言って呉れました。

 

この言葉は、何処か引っ込み気味の気持で居た事が

薄れて嬉しかったし、「君らしい・・・」と ず~っと

想って呉れて居た事が有難く想い出されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   いっぽんどっこの歌   水前寺清子 ♪