前回の記事で,MRIを撮った事を書きましたが、
一週間後、問題が無い事が分かりほっとしました。
痛みは薄れて来ましたが、まだ痛みはあります。
でも、年齢的に 咳も含めこんなものだろうと思いました。
皆様からのコメント、有難うございました。
さて書く事が無いと思って居たら、
今朝の「NHK あさイチ」で「自分の応援ソング」を
取り上げて居ました。
想い出に残る歌は沢山ありますが、何故か浮かんだ歌は
水前寺清子の「いっぽんどっこの歌」でした。
結婚前の私の気持に入り込んで来る歌詞でした。
「ぼろは着てても心の錦~♪」 す~っと入って来ました。
当時としては高給取りだった父がいきなり仕事を辞めて
我が家は思いがけず貧乏になってしまいました。
私が20歳、末の妹は10歳でした。
時が経つにつれて、妹達の方が何杯も辛かっただろうと
分かる様になりましたが、当時は私も精一杯でした。
その中に、「お洒落が出来ない・・・」という気持ちも
ありました。
素敵なお洒落をして居る人が眼に入る度、
「ぼろは着てても こころの錦~」と 呟いて居ました。
続きの歌詞は 余覚えて居ません。この最初だけ・・・。
ぼろを着て居たのでは無いのに、不満だったのでしょう。
しゃんとして居たい・・・そう思いたかったのです。
昭和40年代に入って既製服もお店に出回り始めましたが、
まだ、洋服は仕立てに頼んだり、自分で作ることも
多かった時代でした。
私も簡単なデザインで好きな布地で作って着て居ました。
そんな時、主人と出会いました。
当時の私は、実家がお金持ちの人とは結婚したくない・・・
と云う想いがあり、あまり服を持って居なかったのか、
あまりお洒落で無かったのか、ズボンの膝がテカテカの物を
履いて居た姿に好感と安心感を持ちました。
主人の良さは沢山ありましたが、その事も「この人となら
気楽に安心して暮らせると・・・。」と思えました。
でも、お洒落で無い様に見えても、素敵でした。(笑)
後に 私も、地味でやぼったく見えて居たであろう事を
訊いて見たら、「君らしい服装をしていたよ・・・」と
思いがけない事を言って呉れ、それは嬉しかった事でした。
出会った時が真冬だったので、お洒落な人はブーツを
履いて居ましたが、私は白い長靴でした。
その事も主人は良かったと言って呉れました。
この言葉は、何処か引っ込み気味の気持で居た事が
薄れて嬉しかったし、「君らしい・・・」と ず~っと
想って呉れて居た事が有難く想い出されます。
いっぽんどっこの歌 水前寺清子 ♪