繰り返せど謳えど、不可逆のかたち | 人間でいたい

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愛と平和


ビーグルのいるカフェに...います!!!



代々木上原の「ティールーム ビーグル」。

奥の席に座っていて、今のところ、ビーグル(アロエちゃん)のお姿を拝見できたのは2回ほど。

最高!!!幸せである。


今日は、渋谷の図書館へ行った。

下川くんが紹介していた「バンド・デシネ」を読む為である。そして、バンド・デシネを目にした時に感じたことは「読む」より「観る」に近かったということ。バンド・デシネは、フランスで第9の芸術とされているとのこと。なるほど。下川くんが紹介していたニコラ・ド・クレシー作の「氷河期」も掲載されていた。漫画はフランス語だったため、作品の解説を読みながら絵を観るだけになった。日本語に訳されているものも販売されているようだ(都内の図書館では、所蔵していなかった)。文字と絵は、意識と無意識のように切っても切り離せないと漫画を読むと感じることができる。しかし、文字という意識は必ずしも要らないのかもしれない。そう思った時、まるで言葉を交わさぬ動物になった気分で心が安らぐ。言葉になり得なかった無数の感情を、言葉にせぬまま大切にしまっておくことだっていい。


せっかくだから何か借りて帰ろうかと思ったけれど、やめた。

足がすくんで、くらくらしてしまった。

作品を生みだす方々のことを、私は心から尊敬している。数多くの美しい作品に触れたい。でも私は、それでも私は、叶うのなら出来る限り知らずに生きていきたいのだと思う。きっと今の私に、大した悩み等がない証拠だろう。諦めなのかもしれない。そうだとしたら、哀しい。風になびく木々の音や、足もとを転がる枯葉の音、店の戸がカラカラと鳴る音まで何もかもがじんわりとへばりつくように気持ちが悪い。この世界と溶けあうことを拒んでいるように感じる。悲しみや怒りを知り、それらを心に沈めながら生きることはきっと容易ではないのだろう。私には、まだできない。まだできない、と思う他ない。せめての祈りのように繰り返し、唱える。


ぬいぐるみとの対話を試みる。思ったより、苦しい。君はどこから来たの?と聞いたら突然喋らなくなり、涙が止まらなくなった。これが心の守り方なら、私は血と肉をもつ人間に宿ったぬいぐるみなのだと思うことにした。

私はどこにもいかない。何にもならない。

ただここにいて、同じようにただそこにいる人間と、今という時間を取りこぼさぬように生きて、そうしたらどうなるのかな。そうしたらいつか、何もかも本当だったと分かる日がくるのだろうか。