というか、途中から「これ、普通にホットケーキでつくったほうが美味しく食べられるやつかも...」と思ってしまったけど、それは重要じゃない。ベビーカステラがつくりたかったんだから。紛れもなく、この私自身が。
生地がもちもちで美味しかった。
小倉あんチーズとかにしてみるのも美味しいかも...!!
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挫・人間の「テレポート・ミュージック」を聴いて過ごしている。日曜日。
良いアルバム...最初から最後まで、曲順も。
特に、今までお世話になりました、ロンググッドバイからの下川最強伝説の流れがたまらない。
そしてラストの「お兄ちゃんだぁいすき」...
人が何かと向き合おうとする姿は、どうしてこう心打たれるのか。これは、ラストに「お兄ちゃんだぁいすき」があるかどうかで全く文脈が異なってくる。人を理解することは不可能だが、人は分かることがあると歌は教えてくれる。
私は自分が心の底から良かったと思ったこと、ものについて他人と話し合うのが苦手だ。
で、それはなぜかというのが分かった。
分からない、と感じるからだ。
昔からなぜか、他の人が良いと思うポイントとズレていたり、考えや感じ方が違っていたり、少数派になることが多くて、その度に糾弾されたような気分になり、何かもっと普通のこと言わなきゃ、とか正解じゃなきゃ、と思うようになった。
私がめちゃくちゃ頭も良くて東大生とか、スポーツができて県大会優勝とか、せめて料理ができるとか楽器が弾けるとか何か秀でたものがあればそんなこと思わなかったのかもしれない。でもこんな、不真面目で非現実的で適当なやつが、他人と足並みを揃えることすらできないなんて最悪なのだ。せめて人にオープンでいること、人を分かろうとすること。でもそれは、叶わなかった。どんどん自分の首を絞めた。無理だ。私は元々とてつもなくわがままで頑固な人間だ。分からなくてもいいようなこと、考えたところで分からないことばかりで頭を悩ませる。一度、本当に人生を諦めたほうがいいと思った。優しさとか工夫とか、誰かの役に立てればいいと考えていたが結局自分が苦しいことにずっとずっと不満を抱えていたのだった。意味ない。分かったことをよく分からないふりするのも、分からないことを分かったように振る舞うのも全部できない。だから、自分が良いと感じたことを人と話し合いたくないというのは防衛本能みたいなやつだと思う。
でも、ブログとか不特定多数に向けたツール(別にこういう記事は自分以外の他に誰も見てないとは思うが)には自分をさらけ出せる。
歌を聴いて感じたことが、届くんだ分かるんだってことを教えてくれたから。
私はね、その歌の何が良かったのかということだけじゃなくて、歌を通じて何があったのかということをもっともっと知りたい。例えば、あなたにとってその歌はどんな時にあなたに何を感じさせたのか。あなたにとってその歌は、あなたの人生の何を意味するのか。そういうことを知りたい。でも、そういうことを教えてくれる人は少ない。関係性の問題とか色々あるとは思うが、私は歌を通じて人を知りたい。だから、どんな歌でもいいよ。大切なものを知れた時、分からなくても、心から嬉しいと思うし、好きな人なら尚更だと思う。こういうのはきっと強欲なんだろう。簡単に教えられるわけないし。でも分からなくても大切なんだ、ってことは分かるじゃん。大切なものは大切ってことは、きっと一緒だ。だから、大切を大切にするのだ。誰かにとっての大切を知るその時のために、壊さないように、壊れないように。