2020年11月1日投稿記事より

 

皆様おはようございます。

今日から11月に入りましたね、そして本日は天赦の日でもあります。

11月は旧暦では霜月と言い、秋と冬の境目とした季節とされ、11月は文字通り霜が降る月の意味なのです。

 

  11月の俳句を一句

     口切や 寺へ呼れて 竹の奥 黒柳召波(くろやなぎ しゅうは)

口切(くちきり)の茶事(さじ)は、初夏に摘んだ新茶を入れて保管しておいた茶壺の封を切って茶を味わうという、茶道の行事です。

 

本日は「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第二十四回は 七面山登山口の神通坊にあります

「妙音菩薩品第二十四」をご紹介致します。

 

経石に刻まれている言葉は・・・

「而も是の菩薩は種々の身を現じて 處々(しょしょ)に諸の衆生の為に是の経典を説く」🙏   

意味として

妙音菩薩はさまざまに身を変えて、色々な所に現れ、人々のためにこの経典を説かれる。  

  

栃の木安住坊を後に七面山の道のりも最後になります。登詣者を見守ってさるお上人様が「七面山には、色々な人が登られます。登り切れずに下山する人の中には、今日はここまででこれ以上は無理しなくてもいいよと七面様が仰ってると思いますとか、体調を整えてまた来ますと言う方や、二度と登らないと言う方など、思い方が随分違います」と教えて下さいました。

人それぞれの七面山の登詣がありますが、この話しの後で再び七面山登詣をした折、お上人様が使われる大きな団扇太鼓を少しの間叩かせて頂きましたが、女性の私には少し重い太鼓でしたが、左の手や腕に負担がかからぬよう、お題目を唱え工夫して登詣いたしました。

ふと、我が身の人生も同じで、苦難に悩まされどうにもならなくなった時ほど、人はもがき苦しみながら、周囲の人の力を借りて、幸せになる道を探るものだと気が付きました。

厳しい七面山登詣を通して、人生の道のりも同じようだと学ばせて頂いたのです。

赤い鳥居をくぐり七面山から無事に下山出来た事に感謝し、ご一緒に下った皆様とお題目を唱え神通坊に着きました。

神通坊(本照山常蔵寺別院)は、本建村に売却され、隔離病舎として使用されていたものを、大正年間に常蔵寺第三十世瑞光院日明上人が買い戻され再建復興されました。昭和二十五年に類焼し、市川三郷町落居の本照寺より堂宇古材を求めて再建されましたが、昭和四十二年に、第三十二世智徳院日行上人入寺の際には、朽ちつつある状態であったといいます。

その後、七面山大明神のご加護のもと高崎宝正寺青木上人より多額の寄付を受け、檀信徒の協力で昭和六十年に現本堂が建立されました。

神通坊の赤い鳥居の右手前に「妙音菩薩品第二十四」(「而も是の菩薩は種々の身を現じてに諸の衆生の為に是の経典を説く」)の経石があります。   

どの様な意味なのでしょうか?

妙音菩薩は法華経の中で、この一章にだけ現れます。一万二千年の間に渡り、沢山の仏様を供養された菩薩様で、自らが悟っているだけではなく人々を救い、雑念が全て払われて浄められる境地に立ち、過去世において深く善根(良い種)を植える努力をされました。

どんな境遇にある人にも、どんな事をしてでも、人を救う為に力を尽くされ、色々な姿に身体を変えて身体を現す神通力を得て、多くの人々を救うことが出来る者になったのだと、お釈迦様は会座にいられた方々にお話されます。

この経文では、妙音菩薩がお釈迦様に会いに行く前に、師匠の浄華宿王智仏から、お釈迦様の会座に行った時の忠告を与えられています。「あなたは一緒に会座に着いている人たちを軽蔑し、自らの世界よりも劣っているという考えを持ってはいけません。お釈迦様が今いる世界は、人々の姿を見れば体は小さく、その土地は岩で出来ていて、山が多く大地も人も、あなたのいる世界とは違い、汚れや悪に満ち溢れた所です。娑婆世界の人々は、自分よりも劣っていると思うかもしれませんが、決して軽んじてはいけません。自分がここまで修行して来たからと言って、増上慢になってはいけません」と仰られたのです。

ここで大切なのは、妙音菩薩に語られたことは、私達に残された言葉でもあると思うのです。人は自ら学んできた事を相手に伝える時「上から目線」で接してしまう事があります。妙音菩薩は相手の目線に合わせ、相手の姿に合わせて法を説く事ができ、そのような神通力を得られるのですが、お師匠様はパッと見た容姿で判断し、人を見下ししてはいけないと忠告されたのです。

私(筆者様)が携われている介護の仕事で一番先に教えて頂くのが「尊厳」という言葉です。高齢者や障害者や病気の人など、色々な介護があります。「人はそれぞれに尊厳があり、すべての個人が人間として有する人格を侵してはいけません。これを相互に尊重し、その人その人の生き方や過去の様子を知り得た上で、どのな方であっても上から目線で見て、介護をしてやっていると思ってはいけません」と指導されます。

人の心に寄り添う為には妙音菩薩の相手の目線に合わせて姿を変えるという話のように、自らが相手の心を知り、生きて来た道のりを尊重し歩み寄る事が大切だと思います。

それが相手と目線を同じにして、”共に生きていく”という事ではないでしょうか。🙏

(みのぶ誌2016年3月号より引用致しました。)

 

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌🙏南無妙法蓮華経