私見あり!アメブロ版  森山に建つ『希望の塔』について |   ミズノ馬鹿一代

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秋田県五城目町の地域情報や議員活動、議会での内容、家族のことを発信しております。

大変な暑さが続いていますが、皆様大丈夫ですか?

15日後までの予報を見るとほぼ清一色(ちんいつ)

晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり晴れくもり

日中の最高気温は34℃がズラッと並ぶ信じられないような画面になっています。

34/32/32/33/34/34/34/34/34/34/34/34/34/33/33

 

体調管理に努め乗り切りましょう注意

 

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先ほどアップした

もっと森山をもりあげ隊活動ブログと限りなく同じような内容です。

両方のブログをFacebookと連動させているのでまた出ました;

 

あちら団体としての記事。

こちらは個人としての記事となっております。(若干私見が入っています;)

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秋田県五城目町

地域の人々から母なる山として親しまれている我らが森山の上にたたずむ【希望の塔

ここは森山二高地(285m)、奥に見えるピークが本当の山頂=一高地(325m)

雨の日も、風の日も、吹雪の日も、暑さの中でも64年間の長きにわたり

五城目町民、そして湖東平野を見守ってくれている『希望の塔』

高さ305cm、幅と奥行きは36.3cm、福島県三春町産の黒御影石。

希望の塔

塔の正面の力強い四文字の筆跡は、64年前 發企人代表の加賀谷力司さんのもの!

猛練習に猛練習を重ねて臨んだのだそうです。

 

塔の両サイドには、当時建立に携わった方々=発起人=發企人のお名前が50音順に彫られています。

 

東側 

上段  『あ』~『い』

 

2段目 『い』~『お』

 

3段目  『あ』?『か』~『く』

 

4段目 『く』~『こ』

 

下段 『こ』~『あ』?~『さ』

東側7名×5段=35名の名前。

その下に

石工として携わった千田さんと石川さんの名前も彫られています。

それにしても青空に浮かぶ青い雲が映り、鏡のようキラキラ64年経過しているとは思えないほどキラキラ

千田さん、石川さん、お二人が磨いて彫った希望の塔は今でもピカピカに輝いていますよ~!キラキラキラキラ

 

 

西側

上段 『し』~『あ』?~『た』

 

2段目 『ち』~『は』

 

3段目 『は』~『あ』?~『ひ』

 

4段目 『ふ」~『み」

 

そして

西側最下段 『わ』~『や』? 『あ』?

こちらも7名×5段=35名の名前が彫られています。

名前の下の地域名は、五城目、馬川、馬場目、富津内、内川、大川の他

上井河、面潟、追分の地名も確認できます。

森山の上から見える、湖東地区全体から気持ちのある人々が集まり、おこなった事業であったことが分かります。

 

塔の裏面には

『吾等無限の希望をもつ若き同士相謀り 茲に郷土再建の悲願を立つ

  吾等この塔のもとに結束し廣く社會を見渡して 人生を生き抜く力の源泉に培ふ

  此の塔は万人に仰がれ必ずやその大同団結を見 わが平和郷土は永遠に發展するであらう』

                昭和32年11月3日 發起人代表 加賀谷力司

と記されています。

台座の石を合わせると重さ3トンにもなる塔を標高285mの森山二高地山頂まで3日間かけて人力で運び上げ希望の塔を建立した、当時の若者、大先輩達の郷土を想う強い気持ちとエネルギーがあらためて伝わってきます。(セメントも水も砂も砂利も全て背負って人力)

当時の引き上げ作業の様子はコチラをご参照願います。復活!五城目高校森山登山、3MO隊お手伝い①(4月30日)

 

 

なお70余名の名前は50音順に刻まれたのですが、我が家の関係者6人(祖父と4人の兄弟+祖父の長男=私の父親)おり『アラカワ』が最初の方にガラッと並ぶのはどうかと考え、適当にバラしたのだそうです;

希望の塔建から6年が経った昭和38年、僕が生まれる4年前にこの世を去った祖父。

葬儀の際、

町の著名川柳作家である渡辺銀雨さんが詠んでくださったという弔吟

『僕の名も 君の名もある山の上』

 

 

令和3年(2021年5月26日) 20:30 希望の塔とスーパームーン!

 

希望の塔建立の10年後、昭和42年(1967年)6月9日、電電公社(現NTT)のマイクロウェーブ中継所が建設。

 

そして、昭和56年(1981年)7月18日、五城目町出身の松橋福蔵氏から寄贈された希望の鐘完成。

この時、希望の塔は、鐘楼建設により現在地に移動したのでした。

鐘楼が建つ以前、移動前の希望の塔。(昭和32年)

現在の同所!

鐘楼への階段は土を盛った場所であることが分かりますね。コンクリートブロックの模様が違う。継ぎ目から右は昭和42年。左は昭和56年。

 

この希望の鐘、40年経過した今も森山の名所の一つとして登山者の心を和ませてくれています。

 

希望の鐘と皆既月食のスーパームーン!

 

森山は現在、その眺望の素晴らしさが広く知れ渡り

旅行誌や報道などでたびたび取り上げられるようになっています。

 

希望の塔が建てられた当時と比べると町は今、人口減少、経済形態の大幅な変化や後継者問題などによる地場産業の衰退、雇用の場の減少など苦戦が強いられている状況です。

森山を活かして、町と地域に注目していただき、イメージアップを図ることにより賑わいづくり、活性化、再興につながると信じています。

希望の塔に名前が記されている發企人72名のうち、現在、存命はうちのオヤジ(87)を含め6名と聞いています。

これからも、可能な限り当時の話を聞きながら今後の森山盛り上げにつなげて行けたら!と考えます。

 

自分は森山に対する想いが若干強いと感じているのですが、血筋なのですかねぇ~(^^;)タラー

 

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もっと森山をもりあげ隊(3MO隊)

定期登山は毎月第一土曜日におこなっています。

次回は8月7日。

午前9時に五城目城ふもとの駐車場集合し、森山の野鳥や山野草を楽しみながらのんびり登ります。

てっぺん(標高285mのニ高地)からは、

東 五城目の沢々 森吉山をはじめとした奥羽山脈 五城目町の最高地点である馬場目岳

西 日本で2番目に広かった湖、八郎潟を干拓してできた大潟村 男鹿半島 日本海

南 五城目町の街並み 広大な湖東平野 潟上市・秋田市 そして遠くに鳥海山

北 能代市 世界自然遺産である白神の山々(条件が良ければ岩木山も)

まさに丸ごと(ほぼ)秋田県が見渡すことができる眺望を楽しむことができます。

 

白神山地からポコッと出た岩木山山頂

 

 

田植え時期、水没したように見える湖東平野と五城目町中心部

 

 

秋田山形の県境にそびえたつ鳥海山

 

 

タイミングが合えば、こんな雲海も!

 

 

森吉山 阿仁スキー場 ゴンドラ山頂駅~サンシャインコース 樹氷群

 

 

地域医療の要、湖東厚生病院~西野、石崎~井川町~潟上市

 

 

五城目八郎潟IC~八郎潟町中心部~八郎湖調整池~男鹿市~日本海

 

 

大潟村~男鹿半島

 

 

二高地から見る五城目市街地

まさに眼下に見下ろす感じです!

 

 

森山定期登山はお昼頃解散の予定。

参加は自由です。

クマに人間の存在を知らせるため、鈴やラジオなどの鳴り物(持っていない方でも3MO隊の大きな鈴がありますので大丈夫)

熱中症対策として多めの飲み物を持参していただいて

皆様のご参加をお待ちしております。

 

アチラと若干違う文面の記事でした。

 

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明日は第3回の議会臨時会が行われます。

議案は

①五城目小学校旧校舎解体工事請負契約締結について議会の議決を求めるもの

(予定価格の契約額5000万円以上の工事請負に対しては議会の議決が必要)

②新型コロナウイルス感染症対策の町独自事業を行うための補正予算案について

 

明日、議決・閉会後その内容をご紹介させていただきます。