東日本大震災から10年 |   ミズノ馬鹿一代

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秋田県五城目町の地域情報や議員活動、議会での内容、家族のことを発信しております。

3月11日。

今年もこの日がやってきました。

こちら五城目町は穏やかな朝を迎えています晴れ

 

10年前のあの日は

うっすらと雪が積もり寒い朝だったことが思い出されます。

 

 

 

宮城県気仙沼市

気仙沼大島亀山の山頂から

妻の実家があった川口町周辺は名前の通り、大川の河口と気仙沼湾に挟まれた所。

住宅と多くの事業所が立ち並ぶ所でした。

流失する前の実家が確認できます。

 

 

震災三日後の川口町、妻の実家が建っていた場所。

無事らしいけどはっきりはっきりと安否がわかっていない気仙沼の家族のことを思うと、いてもたってもいられずワゴン車に荷物満載で駆け付けました。

再会を果たして抱き合った時の気持ちは一生忘れることはありません。

 

 

2011年5月

跡形もなくなってしまった、思い出が詰まった妻の実家跡地。

当時中3だった我が家の三男。今は縁があって岩手県釜石市に住んで宮古市で働いています。

 

我が家の末っ子の娘は今、遠い九州で学生生活。今年20歳を迎えます。
気仙沼の甥っ子は東京で立派に生活しています。

あっという間のようですが、子供たちの成長を考えると10年という月日の長さを感じます。

 

 

漁業関係の事業所と住宅が立ち並んでいた川口町周辺はこの10年間で大きく変貌を遂げてきました。

 

発災から5年後の2016年5月

実家跡地のすぐ南をニョキニョキと巨大なコンクリートの塊が立ち始めていました。

 

2017年5月

この写真では伝わらないと思いますが、かなりの高さの構築物。

画像奥には

長年の懸案で、2019年4月に開通することになる気仙沼大島へと掛かる気仙沼大島大橋の巨大なアーチが見えます。

 

2019年5月

 

 

昨年2020年3月18日

 

 

震災一年前、今から11年前の

2010年3月、高校入学を控えた我が家の次男。

妻の実家前で逆立ち;

 

 

2015年8月の震災4年後の実家跡前

東側、合同庁舎方向へと通じる道路。震災前までは住宅と企業が立ち並んでいました。

 

昨年2020年3月の同所。

巨大な巨大なタワーのようなものが見えますね。

なんと、高さが115mもある主塔!
気仙沼湾横断橋を支える主塔。

この画像を撮ってから一年経過の

 

この3月6日、三陸道のシンボルと言える気仙沼湾横断橋を含む区間が開通!

それに先立ち、3月1日に

震災犠牲者追悼と復興への感謝の気持ちを込めた記念花火と橋のライトアップが行われたことが報道されました。

 

 

震災から10年後、世の中はどうなっているのだろう?
当時そう考えました。

それが、まさかの世界中ウイルス禍。

 

コロナワクチンの接種が始まっていますが、大きな効果が表れ通常の生活を送ることができる日が一日も早く戻りますよう。

そして

早く気仙沼に行き復興をこの目で確かめたいです。

 

今日は、五城目町議会3月定例会・常任委員会が行われますが、午後2時46分は審議をとめて全員で黙とうします。