日本式
年齢についての嘘を告白されて以来
1~2度メールのやりとりをして
その後、彼にメールの返事を送れないこと丸3日
だって…
なんかぜんぜん納得いかないんだもん!
いくら欧米人にとっては
年をごまかすことがよくある話だとしても
日本人にとってはそうではナイ!
本当のことを言いさえすれば
それで全て終わり…ではナイ!
彼は
嘘をついていたことはとても間違っていた、と言うけど
そのことでわたしに謝る言葉はないし
本当のことを言ったら
付き合いを解消されると思っていた、と言うけど
それを埋め合わせるための言葉もないし
わたしにしてみれば
今まで彼が語った話のうち
どの部分が正しくてどの部分が違っていたのかがわかるように
きちんと訂正して正直に話してもらうことが
唯一の信頼回復の手段だと思えるのに
The problem is that I hate so much to talk about the past.
I hate very much what my past has been and so, I hate to discuss it.
All I want to do is to forget about it like someone who wants to forget about a bad nightmare.
それって
正直に話す気はない、ということね?
わたしだって
できることなら彼に嫌なことを話させたくはありません
でも
嘘をついた当の本人が
何のペナルティもなしで
嘘をつかれたほうがひたすら困ったままの状態でいるというのは
どう考えてもフェアじゃない気がします
悪いことをしたと思うなら
その代償として
自分が多少嫌な思いをしても相手に誠意を尽くすべき、
ということは思いもよらないのかしら?
しかも、それどころか
そのことにかこつけて
年齢を考えると昔ほど稼げないし
やっぱり日本に行けるとは思えない、と言い出す始末
もう何を言う気も失せます
そこで
ちょっと新たな方法を試してみることにしました
彼の主張について一切コメントせず
自分の気持ちや考えを書かずに
わたしがいまどんな気持ちか推測してみて
それを書いて送って欲しい、と頼んでみました
今までずっと
欧米式に一生懸命伝えることを頑張ってきたけれど
そもそもわたしは
相手の気持ちを考えることを大事にする、という風習の国で
今まで生きてきたので
いちどあなたにも日本式に挑戦してもらいたい、と説明
きっと彼には
何のことやらサッパリわけがわからないだろうけど
わたしにとっては
お互いに自分の都合や気持ちや主張を
自分は正しい!という立場で述べ合うのって
ときどき疲れます
ディベートなんていう競技も
なんか好きになれません…
やっぱり思いやりって
難しいけれど
優しくて美しい習慣ですね
おもいやり
ときどき
同じように国際恋愛をテーマに書かれているブログを
探してみます
とくに
自分が迷ったり悩んだりしたときには
他の人は一体どうやって
言葉の壁や文化の違いを乗り越えているのかしら、と
ヒントを求めてネットの海をさまようことも
恋愛は国籍に関わらず千差万別ですから
他人の経験がすぐに自分の助けになることはなくても
似た悩みを抱えている人がいることを知ったり
あるいは
全く違う視点を発見したりして
気持ちを切り替えられることってあります
そんな中で
最近ぼんやりと思うことがひとつ
日本人の場合
その人をとても大切に思う、と言った場合
それは相手の気持ちを思い遣ることと同義と思って
まず間違いないと思うのですが
欧米人に関しては
そこがちょっと違うのかな?
例えば
わたしたちがうんと小さい頃から
幼稚園でも小学校でも
とにかく繰り返し教えられる「思いやりの心」
例えば
長年連れ添った夫婦の
無言ながらもお互いの求めることが分かる
あうんの呼吸みたいなもの
相手の立場に立って考えれば
おのずと分かる、という発想
相手の気持ちがわかる、とか
相手の気持ちを考える、というのは
その相手を大事に思う気持ちに比例していると感じます
一方の欧米人は
「愛している」イコール
その人のためになんでもしてあげたい、
その人を喜ばせたい、
幸せにしたい、
というふうに表現することが多いように思います
それって
一見「思いやり」と同じように見えて何かが違う!と思うのです
愛しているから幸せにしたい
でも
相手にとっての一番の幸せは何なのかは
はっきりと意思表示されないとわからない
といったスタンスのような…
悪く言ってしまえば
何が相手にとって一番幸せなのか
言われなくても考える(そして正しく推し量る)、というスキルが
欠けているようにも見えます
なーんて
我ながらちょっと乱暴な考えですけれど
きっとそんなふうに思うのは
いまわたしの中で彼に対して
「あのう、わたしがどんな気持ちかいっぺん考えてみてほしいんですけど…」
という気分の目盛りが
かなり高いせいかもしれません
「愛している」のカタチっていろいろだなあ、と
しみじみ思うのでした
嘘の余波
彼の年齢詐称事件について…
わたしにとって
年齢そのものはたいした問題ではないけれど
その小さなひとつの嘘のおかげで
今まで聞いた話のどの部分が正しいのか
わからなくなってしまいました
これがちょっと
わたしの中で困ったことに
たとえば
何度も聞いた彼の子供たちの話
彼はハタチのときに1歳年下の彼女に子供ができたので結婚した、
と言っていたけれど
それが本当なら
現在の彼の子供の年齢が聞いていたのと違うことになるし
逆に子供の年齢が正しいのであれば
彼が結婚した年が違うことになります
あるいは
奥さんとの年の差も違うのかも?
それとも
それらの話がもっといろいろと違うのかも?
そう思ったら
他にもたくさん
何歳のときにこういうことがあった、とか
何年間にわたってこういうことがあった、とか
自分が何歳のころ何歳年下の相手とどうのこうの、とか
年や年数にかかわる出来事全般について
どれがどうなんだかサッパリわからなくなったわけです
その事実に気づいてしまって
ちょっと困った気分なのです
相手を知っている、と感じることが
安心感を与えてくれることって、あります
うまく表現できませんが
たとえば園芸における支柱のような
空中ブランコにおける命綱のような
支柱がなくても花がちゃんと育つことも
命綱がなくてもちゃんと飛べることも
わかっているけれど
でも
あると思っていたものが急になくなったら
ちょっと不安になる
そんな感じ
なので
またしてもチャット休憩を申し出ました
自分がどうしたいか
彼に何を聞きたいのか
彼に何を伝えたいのか
よくわからないので
こういうときは時間を置くのが一番
幸い(?)会えない時間だけはタップリある二人ですからね…